そんな足跡

 宮藤の質問で、何となく理解する。そもそもこの2人は、今の姿の俺とは今朝が初対面。先に変化するビデオを見ていれば、疑いも多少は晴れていたのだろうが、それを、見ていない時点で本人かを疑ってかかるしかない。


「本物ですよ。・・・、そうですね、私は昔陸上自衛隊に所属していた事があります。G-1733448これが私の認識番号でした。問い合わせて整合が取れれば、本人としての後押しになるでしょう。他に必要なら聞いて下さい、生年月日でも実家の住所でも。」


「夫婦の事なら私も質問出来るわよ、刑事さん。じゃ、私は売店行くからここで。」


 そう援護射撃を残した莉菜と別れ、宮藤と喫煙室へ。中に入ると視線を集めるが、面倒なので無視。人は生きればそれなりに図太くなるんだよ。


 タバコに火を付けて一服、肺は無いが心地いい。横に並んで吸う宮藤が紫煙を吐き出し、スマホを弄りながら話しかけてくる。多分、伊月に先程の情報を流しているのだろう。


「違和感凄いですね。町で見たなら、未成年の喫煙かと思って職質かけるかも知れません。」


「低身長かもしれませんが、いるでしょう?これくらいの身長の女性は。」


「居ますよ。ただ、貴方の場合顔付きが幼いんです。めちゃくちゃ整った美人さんですけどね。今はそんな服ですけど、オシャレしたらナンパの嵐ですよ!」


「嫁がいる、野郎に興味はねぇ。」


 鼻息荒く話す宮藤を横目に、自身の事を考える。黄金比で出来た身体は、何処をとっても美しい。それはこの比率が、人間が最も美しいと感じる比率だからだろう。言い換えれば本能で直感的に、美しいと感じているのである。


 ・・・、面倒事はゴメンだ、自衛は心がけよう。お互いのタバコを吸い終わり、喫煙室を出る。部屋の前のベンチには、夜と同じ様にお婆さんと、パンパンに膨らんだ買い物袋を持った莉菜が座って居た。


「ごめん、またせた?」


「ううん、今来たとこ。楽しそうだったけど、何話してたの?」


「補導とナンパと美しさ、戻ろうか。」


 買い物袋を手に取ろうとすると、宮藤に止められて彼が持つ事になった。本人曰く、一番幼く俺が持つと居心地が悪いとの事。部屋に入ると既に高槻は戻って来ており、備え付けのテレビとビデオカメラを配線で繋いでいた。


 伊月の方は椅子に座り、スマホで何処かに電話しながら、手帳に情報を書き込んでいる。多分、宮藤の情報の整合性を確かめているのだろう。


「黒江さん、認識番号は間違いなく黒江 司さんの番号で合ってましたよ。」


「それは良かった。多少は私が黒江 司である事を信じて貰えましたか?あのビデオの映像と、2人の証言で完全に信じて貰えると助かるのですが。」


 特に隠し立てする事も無く、伊月が俺達に話しかけてくる。信じて貰えさえすれば、俺としては格段に動きやすくなる。何せ身分証明が出来ない現状では、高槻と莉菜は兎も角として、誰も俺が黒江 司だと信じてはくれない。それに、リングの開通とモンスターが溢れる事を考えると、被害を抑える為にどうしてもマンパワーが必要になる。


「私はこの子が夫だって証言しますよ。」


「私も彼女が黒江 司で有る事に同意します。と、準備出来ました。」


 抱き着いてきた莉菜は当然として、第三者である高槻も俺が本人で有る事に同意した。後はビデオの映像で、本人証明が出来れば問題無いだろう。テレビを囲むように集まり再生開始。


 テレビに映し出された映像には、前の姿の俺と莉菜が頬を寄せて写真を撮ってもらっている所から始まっていた。お互いに微笑み合う仲睦まじい様子や、高槻と話した他愛もない話をしている様子が数分流れた後、横になって話していた俺が黙り込む。


「0時か。」


「そ、この時凄い焦ったんだからね!」


 抱き着いたまま映像を見たまま莉菜が、手に力を込める。妻よ、中身はないが痛みはあるんだ、あまり強く握らないでくれ。結構指が腕に食い込んでるから。莉菜から逃れようと、身じろぎしていると。


「お2人共、イチャつくのは後にしてください。刑事さんこれから凄いですよ。私も医者になって色々と見てきましたが、これは間違いなく歴史に残りますね。」


「そんなにですか?て、え?えぇぇ!?何ですか!何なんですか?え、先輩、人ってこんなにポンポン姿変わりませんよね?何か光ってますし。」


「黙れ宮藤、落ち着かんか。先生、後でこの映像は借りられますか?他の刑事への説明に使います。私等は・・・、刑事って生き物は厄介でね、何でも疑ってかかる。状況証拠は全部その娘さんを黒江 司本人だと示していた。


 でも、人はそんなに姿形は変わらない。昨日の救急車に乗る姿は、間違いなく中年男性そのもの。真実と虚偽が曖昧な中、まごう事なき物的証拠も出た。黒江さん疑うような言動を取って済まなかった。」


 映像の終わりと、伊月の謝罪は丁度同じタイミングだった。良かった、これ以上証拠を提示しろと言われても、出すものがない。抱き着いたままの莉菜は取り敢えず放置して、伊月に罪悪感があるうちにお願い事をしておくか。


「いえいえ、私も貴方の立場なら、簡単には信じられないでしょう。これで信じて貰えて助かりましたよ、ただ、今の私は何分こんなに姿形が変わって、身分を証拠出来るものが無いんですよ。免許更新や他の手続きへの協力、どうにかなりませんか?」


 そう言うと、伊月は肩をすくめながら、首を縦に振る。取り敢えず一段落、個人の証明は出来たと思っていいだろう。問題はここからだ、しかし、俺と言う異常を見た後なら、言葉に説得力が増す。


「藤宮、取り敢えず交通課と課長に連絡だ。黒江さん、すぐに更新というのは、正直厳しい。何せ今から署で説明して、信じて貰わんといかん。映像記録があるにしても、いささか上を納得させるには骨が折れる。それに・・・。」


 伊月はちらりと、莉菜と高槻を見る。2人に同行して貰い証言して欲しいのだろう。莉菜はいいとして、高槻は医者なので何処まで時間が取れるか分からないが、高槻は俺を見て頷いたので協力してくれるようだ。しかし、それよりも大変な事がある。


「身分証は今の所、追々でいいです。それよりもあのリング、本来はゲートなんですが、あれがヤバい。」


 俺の発言で、弛緩していた部屋の空気が変わる。机の上にあったスマホは充電していなかったが、電池切れは起こしていなかった。ロック解除し中を見ると、会社や佐々木からの着信やメッセージが届いていたが、今は無視。写真フォルダーを開くと、中には三目の写真と動画がしっかりと残っていた。


「黒江さん、ヤバいとは?具体的に説明できますか?確かにアレは邪魔ですよ、道の真ん中だったり、人の多い所だったりに有りますから。しかし、貴方が入った後は誰も中に入ってない。もしかすれば、私達の所に連絡が無いだけ、かもしれませんがね。」


「伊月さん、私からも質問ですが階級は?」


「警部ですが?」 


ふむ、警部というのは、確か一般企業に当てはめると係長位の地位だったと思う。伊月自身は現場担当のようだが、伊月を通じて今回の事件の、指揮系統の上位者とも会いたい。


「リング・・・、これからはゲートと呼ぶ方が妥当ですが、これに関する指揮系統の最上位者と、話がしたいです。・・・、理由はこれです。私を見た後なら、ある程度信じられるでしょう。」


 そう言って、伊月にスマホを渡し、動画を再生。連絡から戻った宮藤も含め部屋に居た全員で動画を見ると、見た事もない頭に傷を負った生物が、消えていく姿が映し出されていた。他にも一応、周囲も撮影したのだが、石壁と薄暗い室内では余り説得力はない。


「これは、私がゲート内で襲われた生物・・・、かは分かりませんが、あのリングを作り、世界にばら撒いた存在、ソーツによれば、廃棄品・・・、モンスターだと言っていました。」


 動画を見終わり全員無言の中、おずおすと宮藤が小さく挙手した。


「黒江さん、これゲーム動画とかではないですよね?それとソーツでしたか?何なんですかこれは?」


「今ゲーム動画を見せるほど、おちゃらけてはいませんよ。それにほら、撮影時刻と日付を照合すれば、私が居なかった時間だと分かるでしょう。」


 スマホを操作して詳細を開くと、時刻は18時18分。俺が最後に中で時間を確認したときは、18時30分頃だったので、時間証明としては問題無いだろう。動画の他に数枚の写真を見せると、いよいよ伊月は目を覆い首を振り、こめかみを揉み出した。中年が受け止めるには厳しい現実である。


 逆に、宮藤と高槻は何度も、写真と動画を見比べて興奮している。この二人は大丈夫だろう。宮藤はゲームとか好きそうだし、高槻は柔軟性がある。


「その・・・、この化け物は貴方が殺したのよね?見た感じ頭?が奇麗に斬られたみたいになってるけど、刃物とか持ってたの?」


 妻の疑問は尤もだ。俺の仕事は刃物を使う様なものではないし、刀剣類を集めるような趣味も無い。仮にそんな趣味が有ろうとも、長物を持ち歩いていては、警察に捕まる。


「中で武器を手に入れて、それで殴って殺したんだ。今も持ってるけど、その説明は警察署とか、対策本部とかで説明した方がいい。伊月さん、そういった場はありますか?」


 若干の間、現実逃避していた伊月はしかし、呼び掛けると難しい顔をしながら口を開く。


「リング・・・、いや、ゲートに付いての調査本部はありますが、化け物は想定外ですな。至急帰って報告してからの、手はずになります。重要参考人なので、黒江さんにも後で来てもらう事になりますが、ここまで来て拒否はないでしょう?」


 そう言って、伊月が俺を見る目からは『絶対逃さない』という、意志が見て取れる。大丈夫、ここまで来て投げ出すほど、無責任ではないさ。それに、伊月には悪いが、まだ爆弾は残っているのよ?


「高槻先生、伊月さんに胃薬を。これから更に胃が痛くなる話がありますんで。」


「いいですよ。あぁ、後で私にもこのデータ、コピーさせてください。」


 爽やかな笑顔を残し、高槻は足早に部屋を出たいった。残された伊月と宮藤は、引きつった顔で俺を見ている。この情報は高槻に教えていいものか悩ましかったが、帰ってくる前に話してしまおう。これを聞いたら多分、高槻は引き返せない。多分、半分位は無理な立ち位置にもう、いるだろうけど。


「黒江さん、私貴方になにかしましたかね?」


「最初に疑われましたね。」


「代価がちと、酷すぎやしませんか?」


 伊月は、恨みがましく俺の方を見てくる。しかし、市民の味方、勇敢な警察には存分に職務を全うしてもらおう。宮藤は既に覚悟を決めたのか、神妙な面持ちで、俺の言葉を待っている。


「勇者は逃れられないんですよ、恨むなら上司王様を恨んでください。・・・、今から約2日後ゲートが開通します。多分、全部。」


「早すぎる!」


 俺もそう思う。声を上げた宮藤はモンスターと、俺の顔を交互に見ながら、しかし、次に言う言葉が見つからないのか。黙り込み、再度映像と写真を見ている。


「あ~、黒江さん。それだけですよね?」


「まさか、まだ有りますよ・・・。約9日後、これが、廃棄品が溢れます。・・・・・


 話し始めると同時に、高槻が薬を持って入室したものだから、結果的に巻き込んでしまった。3人とも絶句して、言葉が出ない。まぁ、彼らの立場なら俺もそうだ。行方不明者が見つかり、本人確認出来て大団円のはずが、確認取れたら起動済みのダイナマイト腹巻きを、していたようなものである。


「ねぇ、司。コイツ弱いの?」


 動画を見ていた莉菜が、そう俺に聞いてくる。しかし、それは俺にも分からない。今回コイツを仕留められたのは、ソーツが時間停止した後の不意打ちだった事が大きい。


 今は職業に付いたから、何らかの補助があるかも知れないが、それを試す場も、時間も無かった。あまり憶測で物を言うべきでは無いだろう。こういう場合、事実のみを淡々に、である。


「正直、分からない。俺が仕留められたのはゲートを設置したやつ、ソーツがコイツの時間を止めて、解除した瞬間の不意打ちを狙って仕留めたんだ。それまでは走って逃げてた。


伊月さん、宮藤さん、本当に事は急を要します。ソーツの話では、コイツに触ると職業に付いてないと、溶ける可能性があるそうです。職業やゲートに付いては、後日、集まってから話しましょう。高槻先生、今回は巻き込んでしまって、すいません。すべて忘れて引き返すなら、今ですよ?」


 刑事2人組はお互いの顔を見た後、1つ頷くと腹を決めたのかキビキビと動き出し、俺と連絡先交換及び、ゲート内の映像と写真。高槻から胃薬と、俺が変化した時の映像を貰って出ていった。


「さて高槻先生、退院の許可。貰えますよね?流石に病室から指示だけ出す訳にもいかないですし。」


「いいですよ。主治医として許可しましょう。但し、検査はする予定なので、日時を再度調整してお伝えします。それと、ゲート関連で医者が必要なら、指名してくださいね。私、こう見えてもSF大好き何ですよ。」


 嬉しくて堪らない様子の高槻は多分、もう引き返せないし、引き返さないだろう。医者は変人が多いと言うが、今の状況で医者の助っ人というのは有り難い。


 高槻と連絡先を交換し、莉菜が俺の変身映像を貰うと。これから医院長と話があると言い、高槻は部屋を後にした。昼から話し出して、時間は既に15時過ぎ。肉体は別として、精神はガタガタだ。


「退院出来たし、帰ろう莉菜。」


「そうね。夕飯の支度もあるし、私もおお腹空いたわ。コンビニか売店でつまめる物買って帰りましょ。」


 詰める荷物はほぼ無い。当然と言えば当然だが、救出されて着の身着のまま運ばれたので、持ち物といえばタバコやスマホを、後は制服・・・、あっ。


「服がない。」


「こんな事もあろうかと!いゃ〜、人生で言いたいセリフランキングの台詞が言えたわ。」


 持ってきていたスーツケースに、出した服をそのまま詰めていた妻が、紙袋を俺に差し出してきた。多分、服が入っているのだろう。開けて中を見ると、肩紐タイプの黒いワンピースと、白いTシャツが入っていた。


 本当は下着も欲しいが、サイズが・・・、いや、サイドが紐タイプの黒いショーツがあった。ブラは無しか。まぁ、小さいし良いだろう。最悪付けなくても、変化しないし。


 出した服を身に着けていく。やはりサイズが合っていないせいか全体的にダボダボで、ショーツの紐はかなりキツめに縛ったが、少し心伴い。


「ちょっと大きかったね。今度は一緒に買いに行こ!」


 靴も前の物は履けなくなったが、一緒に買ってきていたSサイズのクロックスのおかげて問題無し、色も好きな黒なのでこれからはこれが普段履きになりそうだ。


「サイズはこれで。身体測定で測って貰ったから、間違い無いだろう。」


 忘れ物が無いが確認した後は、病室を出で妻と歩き出す。身体が物理的に軽くなったおかげで、足取りが軽い。そうで無くとも、家に帰れるのは嬉しい。ナースステーションの前を軽く会釈をして通り過ぎ、帰る前にタバコで一服。あのお婆さんは今もベンチにすわって居るが定位置なのだろうか?


 病室を出て、妻の運転する車に乗り込み発進。何時もなら、俺が運転し妻が助手席だが、流石に免許が有っても本人証明で手間取るので今回は妻に任せる。・・・、今の姿でバイク乗れるかな?


「買い物と家、どっちが先がいい?」


「家で。流石に疲れた。昨日から入ってないんだ、風呂にも入りたい。」


 おんせん県に住む者として、風呂は欠かせない。流れる町並みは同じはずだが、縮んだせいか大きく見える。会社や佐々木から来ていたメッセージを見ると、安否確認や佐々木からの謝罪。何時出勤出来るかなどが書いてあったが、残念ながらこのまま退職する運びとなるだろう。まぁ、退職するにしても一度職場に顔を出して、荷物をまとめないといけない訳だが、今行っても無理だ、本人だと信じてもらえない。後日、伊月か宮藤或いは他の警官と行こう。


「黄昏れてるけど、やっぱり不安?」


 運転しながら、ちらりとこちらを見た莉菜が話しかけてくる。あんな話の後だ、不安になるのも仕方無い。何か話題を変えないと。


「いや、不安は無いといえば嘘になるが、やるだけやるさ。そう言えば、あのお婆さん何時もあそこにいたね。定位置なのかな?」


「お婆さん?」


「喫煙所のベンチに座ってたお婆さん。深夜も居たし、帰る時も居た。」


「・・・、誰も居なかった・・・・・よ?」


「・・・。この話は止めよう。」


 思わぬ所で、貴方の知らない世界。えっ?幽霊?結構ハッキリ見えたけど・・・。そう言えば、職業流用で第六感が何かしら有るんだった。別に幽霊は怖くない、寧ろ怖い話は好きだが、今は止めよう。妻は怖がりだ。


「あ~・・・、那由多。そう、那由多は?」


「・・・、朝学校行ったよ。今日は部活無いらしいから、17時頃までには帰るかな?」


 若干重い空気が車内に流れるが、話題を変えたおかげで、それ以上重くなる事はなく、取り留めもない話をする。差し当たっての問題は、那由多が俺を父と認めるか?と言う事だ。結局、それは映像を見せて納得してもらう、と言う結論に至った頃に家に着いた。


「一昨日ぶりの我が家だ、私は帰ってきた!」


「司、ソロモンじゃないんだから声上げないで。私はこのまま服とか買い物に行くから、先に家で休んでて。」


 そう言われて若干ヘコみつつ家の中へ。玄関でお出迎えしたにゃん太をグリグリ撫でた後、風呂自動のボタンを押しお湯張り開始。お湯が溜まるまでの間に、冷蔵庫から菓子パンを取り出して食べ、若干休憩すると、お湯が溜まったので入浴。入浴剤を投げ入れるのも忘れずに。



ーside 那由多ー



 親父と言う人を一言で言うと、普通のおっさんである。よく食べ、よく飲み、ボチボチのユーモアと厳しさを持った、けむくじゃらのおっさんである。一緒に温泉に入れば、髭と言わず、胸毛と言わず、全身毛が濃い。


 母さんは美人なのに、何で親父を選んだのか?そう、疑問を持つ人も少なく無い。だが、中身は子供の俺から見ても、変な貧乏くじを引くが、中々できた人だと思う。


 休みになれば、何処かへ連れて行ってもらい、夏休みの宿題が終わらなければ、最後の最後の最後で手伝ってくれる。そんな親父との思い出深いエピソードに、今も部活や道場に通っている空手引退事件がある。空手を始めたきっかけは、幼稚園の頃にテレビで見て格好いいと思ったからと言う。


 割りと何かを始めるには、心当たりのあるきっかけからだった。始めた当初、親父と道場に行き空手を学び、数ヶ月してキツくなって辞めたいと言った時は、こっ酷く怒られた。それから続け、次はオレが高校生ななろうかという時。


 周りの友達は恋に遊びにと、キラキラと青春を謳歌し、そんな中ひたすら汗臭く野郎と殴り合うのに嫌気がさしていた。いや、はっきり言うと空手は好きだったが、単純に遊びたかったのだ。そんな気持ちで、空手を辞めたいと母さんに言えば、親父が承諾するなら構わないと言ってきた。


「父さん、オレ空手辞めようかと思う。いや、辞めたい。」


 そう言うと、ソファーに寝転んでいた親父は身体を起こし、ソファーに腰掛けながら俺の顔を見てくる。


「何年やった?」


「約11 年」


「・・・そうか、納得したんだな?」


「え?」


「いや、11年・・・、口で言うのは簡単だが、実際に続けるのは難しい年月だ。それだけやって、納得したんだろ?」


 そう言って、親父はじっとオレの目を見てくる。後悔ではなく、諦めでもなく、納得。黙り込んだオレを見ながら、親父は言葉を続ける。


「別に辞めてもいい、休んでもいい。時には逃げ出してもいい。俺だって嫌なものは嫌だ。でも、辞めるなら、納得だけはしろ。してから辞めろ。出来ないなら、もう一度考えてから来い。」


 そう言われて、一晩中どうするかを考えた。昔から、あまりオレや姉を怒る事の無い親父だったが、怒る時は毎回『自分が何をするべきか、分かっているよな?』『やるべき事は、やったのか!?』と言うと、考えさせる怒り方だったので、癖のように考えた。


 考えて、考えて、そして結論は出た。いとも簡単だったのだ。遊びたいなら、遊べばいい、空手をしたいなら、すればいい。ただ、時間配分さえ気を付ければいい、だけの話だったのだ。だからこそ、朝イチに親父に言った。


「空手続ける。練習量減るかもだけど・・・。」


 そう言うと、親父は一言『それで納得したか。』と返してきた。あぁ、納得したさ。だって空手好きだから。そんな、親父になにか合ったと、連絡を受けたのは一昨日の昼頃。部活のロードワークでグランドを走っている時に、校内放送で呼び出された。


 当直の先生から電話を渡されて母さんと話すと、電話の向こうの母さんはかなりテンパっていて、要領を得なかったが、要約すると、親父が勤め先で何かに閉じ込められたらしい。母さんもそれ以上、事態が掴めていない様だった。


 母さんは部活が終わってから帰るように言っていたが、何があるか分からない。結局その日は部活を早退し、バタバタ家に帰ったが母は家に帰ってこなかった。ただ、姉の遥には連絡がついた。


 姉は現在ファッションデザイナーを目指し、県外の大学に通っているが、親父に小さい頃乗せて貰ったバイクが忘れられず、自身で免許を取り走り回っている。和風美人な姉が革ジャン、ジーパンレザーブーツ姿で、バイクを乗り回すのは、中々にパンクだ。


「もしもし、姉ちゃん?今どこ?」


「あ〜、那由多か?今四国だけどなんかあった?」


 四国とはまた遠い。いや、フェリーならそこまでかからないか?


「母さんから連絡があったんだけど、父さんが何処かに閉じ込められて大変らしい。帰ってこれる?」


「は?お父さんが?・・・、詳細は?」


「母さんが現場に行ってるらしいけど、何処かまでは・・・。かなりテンパってた。」


「母さんか・・・、お父さん絡みだと、ポンコツだ。分かった、できるだけ早く帰るようにする。」


 そう言って電話を切った。そして、夜飯を食べながらニュースを見ていると、親父が務める会社が空撮され、被害者が出て来た事が報道されていた。多分、この被害者が親父なのだろう。


 ニュースを見た後ネットで色々と調べて見たが、どうやらオレが部活で汗まみれになっている間に、世間では大変なことになっていたらしい。何だよ巨大リングって?

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