第9話

【マリー=テレーズ処刑裁判・第三の証人】

 あなたは無意識に胸元に手を置いていました。掴んだもの。それは金色のペンダントです。


「気になるの?」

「うん。何かを思い出せそうな気がして」


 あと少しなのに掴めない。棚と壁の隙間に入った小さなガラス玉を取ろうと苦心する時と似ていました。

 しばらくペンダントを見つめた後、「そういえば、名前を聞いていなかったね」と言います。


「マリー。あたしはマリーというの」

「私と同じ名前ね」

「……そうね」


 マリーは俯きながら足をぶらぶらとさせています。見た目はテディベアですが、その動きに少女の姿が重なるよう。昔の自分と不思議とよく似ているけれど、あなたよりは気が強くてちょっぴりわがままな女の子……。


 カンカンカンッ。

 法衣をまとったフクロウが、木槌を叩いて審理再開を宣言します。

 ギィ。

 法廷に入る大きな扉が軋み声をあげて開かれました。

 最後の証人は、黒いドレスを纏ったうらわかい女性でした。はじめに紹介されたときに、泣いていて顔さえ見せなかった人です。きっと彼女も王女と関わりのあった人物でしょうが、あなたの知らない人だと思いました。

 女性は証言台に立ちました。


「証人、名前を教えてください」


 裁判官の言葉に、しん、と辺りが静まり返ります。


「証人」


 目の前で、枯草色の物体が音もなく転がり落ちました。よたよたと立ち上がったモノ。それは『マリー』と名乗ったテディベアです。

 ぶるぶると震えながら、あなたを守るように立ちふさがりました。

 『マリー』は物言わぬ証人を警戒しているのです。

 この時になってようやく、周囲の異変に気が付きました。

 法廷にいるすべてのカラスが、まるで石像のように微動だにしなくなっていることに。そのために法廷はおそろしいほどの静寂に支配されていたのでした。「アン」と、女は名乗ります。

 ようやく顔が見えました。青白い顔と、虚無に満ちた青い眼。あなたを憎しみの視線で串刺しにしています。ざっと冷水を浴びせられたように身体の奥が冷たくなる心地がしました。


「返せ」


 女が発したのはたった一言。首の後ろに熱が走りました。

 カシャン。足元に何かが落ちる音。

 鎖の千切れた金色の、ペンダント……。

 カシャン。

 カシャン。

 カシャン。

 頭の中でいくつもいくつも音が反響しました。


「××! ××! ……×ディ!……リディ!」

「あ……、あれ?」


 耳に、テディベアの叫んだ声が届きました。『リディ』。マリーがそうあなたを呼ぶのです。だからあなたは『リディ』という名だと思い出しました。

 そこから頭の回線がクリアになっていき、あなたは……は、ようやく自分を取り戻す。


「……ここは?」

「バカ! バカ! バカ!」


 マリーが足に縋りついてくる。マリーがいるならまだ安心はできるけれど、どうにもここに来るまでの記憶が不明瞭だった。靄がかかって何もわからない。

 フクロウが法衣を脱ぎ捨て、一段高い裁判官の席から飛び立ち、法廷の空中を旋回した。

 私は落ちたペンダントを拾おうとした。寸前、別の手が奪い取る。

 アンと名乗った女だ。彼女は自分の首にペンダントを賭けようとした。が、落ちた。

 なぜならば、彼女の首はとても外れやすく、かけてもかけても滑り落ちてしまうから。

 何度も何度も試している彼女を見て、私は確信した。

 『大鴉の塔』と『フォルテンシア城』、どちらでも目撃した首の取れた女性。その正体がこの『アン』だということに。

 アンは諦めてペンダントを手に持ち、法廷の中央に立った。

 検事総長のカラスが金縛りから解けたように、語り出す。


「マリー=テレーズは人の命を奪っておきながら、のうのうと生きていた。自分の身に余る地位を盗み、自分のものとした。それだけで重大な罪である。さらにもっと罪深いのは、それでも罪悪感を覚えぬ人としての倫理と道徳に欠けた悪魔であること。ただ、存在していたことも罪である。よって、死刑に処すべし」

「無茶苦茶だわ!」

「検察側は、我らが女王に下されてしまった刑と同等以上の刑を求める。罪人マリー=テレーズを断頭台へ!」


 待って、とマリーは叫んで裁判官のフクロウを見上げる。だが、フクロウはキイキイ啼くだけで裁判官席に戻らない。役立たず、と毒づいた。

 空席となった裁判官席。そこに無表情で座ったのは、アンだった。木槌をガンガンと振り下ろす。

 ずっと沈黙していた陪審員席のカラスたちは、順々に自分の見解を述べていった。


「死刑」「死刑」「死刑」「死刑」「死刑」「死刑」「死刑」……。


 全員一致の「死刑」。

 女は冷たく私を見下ろし、小さく呟いた。


「マリー=テレーズを断頭台へ」


すぐに法廷にカラスたちが運んだ木製の断頭台が設置され、カラスを模した鉄仮面をかぶった巨躯の男が斧を持って現れた。

 法廷中のカラスが私の身体を押さえつけにかかる。テディベアがわめいたものの、力及ばずどこかへ投げ飛ばされたようだった。「ひどい」という声だけが耳に届く。

 断頭台のくぼみに頭を押さえつけられ、膝はがさがさしたむしろで擦れて痛い。断頭台に頭を押さえつけられ、視界が黒く閉ざされると恐怖が襲ってくる。

 ここはどこか現実とかけ離れている。しかし、現実と繋がっていないとは誰も断じることはできない。夢の中で死んだら現実の私も死ぬのではないか。頭をよぎる。


「罪人よ。最期に何か申し述べることがあるなら述べよ」


 女が私に告白を促してくる。彼女の望みは私の死。彼女は王女の近くにいた人なのだろう。だからこそ憤り、量刑があらかじめ決まっていた『マリー=テレーズ処刑裁判』を開いた。

 私はてっきりアンヌ=マノンが現われるものと思っていた。なぜなら、女王を責めるもっとも正当な権利を持つのが彼女だから。

 ……だが彼女は現れなかった。法廷では空の玉座が主を待っていた。

 金色のペンダントに刻まれた『わたくしの最愛』『アンヌ=マノン』を思い浮かべ……。ふと、私は何か勘違いしているような気がしてきてならなくなった。

 なにか、違和感がある。おかしなことがある。

 見逃してはならないものを見逃している。

 たとえば金色のペンダント。『わたくしの最愛』『アンヌ=マノン』と本人が刻んで、愛しい人に贈ることは何もおかしくない。だが、最愛のアンヌ=マノンに対して誰かが贈る可能性だってあったはず。『わたくしの最愛であるアンヌ=マノン』へと。

 アンがペンダントに執着していることからも、アンヌ=マノンにペンダントを贈ったのは彼女だろう。だとしたら、あまりにおかしい。首を切られたのはアンではなく、アンヌ=マノンであるはずだ。

 アンの髪の色は金、瞳は青。背丈もほぼ同じ、容姿もどことなく似ている。

 王女の処刑は、ごく内々で行われたもので、王族の立場から首を晒すことはなく、すぐさま棺桶に入れられていたという。処刑人が落とした首を掲げることもなかっただろう。

 そう、こうは考えられないか。

 

 そしてアンが事あるごとに呟いてきた『王子様、わたくしは秘密を守ります』の意味。リシュム卿が口を封じられたその続き。風変わりな肖像画。

 美しくはかなげな悲劇の姫君アンヌ=マノン。けれど、彼女の心は。本当の彼女は。

 のではないか。

 私は懸命に断頭台から頭を持ち上げて、すべてがひっくり返ってしまう疑念を口にした。


「……アンヌ=マノンの心は、男だったの?」


 目の端で、フクロウが滑空していた。白いメンフクロウがまっすぐと目指したのは、裁判官席や陪審員席のさらに奥の空間。玉座が設えられていた。

 その傍らに誰かが立っている。

 ズボンを履き、短い金髪を撫でつけているから男性だろうとはじめは思った。


「アン」


 その声は高くもなく、低くもない。少し掠れた中性的な声だ。


「殿下……」


 硬直していた女が、玉座を振り返る。私の背中を押さえつけていた力も消えた。

 立ち上がろうとしたものの、腰が抜けて尻餅をつく。


「アンヌ、マノン……」


 女は玉座の男に抱き着いた。「お会いしたかった」「アンはずっとお待ちしていたのです」と話しかけている。

 なんということだろう。私の憧れ。私の理想。それらはぜんぶ、私自身が勝手に見ていた偶像に過ぎなかった。誰に羨望し、誰に嫉妬していたのだろう。すべてが完璧な彼女は、心の中でいつも葛藤している私とはまるで別の次元に生きていると思っていたのに、そんなことはなかった。彼女も人知れず思い悩んでいる一人の人間だった。考えれば当たり前のことに、衝撃を受ける。


「アン。彼女は僕の一人きりの従姉妹だから傷つけないでくれ。彼女を傷つけることは、僕を傷つけるのと同じなんだよ。もういいんだよ、アン……」


 男はアンの肩を抱き、後ろを向いた。肩越しの青い眼が、私(マリー=テレーズ)を見つめる。


「君は、世間を欺いていた僕を恨む?」


 私は懸命に首を左右に振った。


「思わない。本当の自分を隠し続ける辛さはわかるから」

「やっぱりそうだと思っていた、親愛なる僕の従姉妹よ。……実は、君なら理解してくれるのではないかと期待していた。ずっと、話をしてみたかったよ」


 かすかに笑い、アンヌ=マノンは……いや、アンヌ=マノンとして生きた男はアンとともに法廷を出る扉を出ていこうとする。

 思わず、「私も同じだった!」と叫んでいた。

 その声が届いたのかわからない。

 ただ、暗転した。





 アパルトマンに着いたのは、早朝に近いような時間帯だった。「お疲れ様」と疲労も見せないマクレガン氏の車が去っていく。

 選挙まで一週間。選挙終盤戦に向けて、多忙な毎日が続くのだろう。その中で私に付き合うことは相当な負担だったはず。けれどきっと彼はそれを口に出さないのだろうけれど。

 さて、アパルトマンの部屋には『マリー』が留守番をしている。私の帰りを待っている。

 扉の鍵を開けて、中に入る。真っ暗闇だった。照明をつけていなかったらしい。


「マリー?」


 照明のボタンを探して、壁を探っていると、足に柔らかいものがくっついた。「うえーん」とテディベアが涙声で、すがりついている。


「どこ行っていたの! 怖かったんだから……! こわかったんだからあっ!」


 何事かと思った。ちょうど部屋の照明がつく。絶句するしかなかった。部屋がめちゃくちゃに引っ掻き回されている。クローゼットや棚の中身がぜんぶ飛び出ているし、床に置いてあった観葉植物の鉢植えが土もろとも派手に倒れている。家具の位置も変わっている。カーペットがよれてめくれあがっている。


「何があったの」

「わかんない。覆面をした男がいっぱいね、部屋に入ってきて、荒らしていったの。たぶん、まだそんなに経ってない……。何かを探してたみたいだった……」

「そう。怖かったね」


 テディベアを抱き上げて、もう片方の手でバッグの中の携帯端末メルクリウスを操作し、警察に電話をした。簡単な事情説明だけして電話を切る。

ヘクセンに連絡を入れようか迷うが、彼も警察にいるならすぐに情報が入るだろうと思い、後に回すことにした。


「あたし、頑張ったのよ。早く出ていけって念じていたらパシン、パシンって部屋で音が鳴ったの。あいつらも驚いて出ていったみたいだった」


 突然の心霊現象に彼らも驚いたに違いない。泥棒は何を探していたのだろう。この部屋にそう金目のものは置いていないのに。すると、マリーがたぶん、これ、と自前のワンピースから小型メモリを出した。

 上司から託された中身のわからない小型メモリ。忘れておかないと、中身が気になって仕方がないからマリーに預けていたのだった。


「……とられずに済んだのね。えらいね」

「うん」


 ふわふわ頭を撫でてやると、テディベアはこころなしか嬉しそうに見える。


「あいつらね、チューベローズって言ったの」

「チューベローズ?」

「部屋から出ていく時、『チューベローズに報告しろ』って。きっとこんなところに喋るテディベアなんていないから油断したのだわ」


 チューベローズはたおやかな印象の白い花だ。香水にも使われるほどかぐわしい香りを放つ。チューベローズと呼ばれている人がいるのだろうか。どう考えても本名ではない。

 小指の爪ほどの大きさしかない黒い小型メモリ。持っていると危険かもしれない。そろそろ上司に返してもいいのでは?

 しばらくして、ドンドン、と入口の扉が叩かれた。それに肩を揺らして反応してしまった私は、なんだかんだ言っても家に泥棒に入られたことが怖かったのかもしれない。

 本当は両親にも報告するべき事件だけれど、今は余計な心配をかけたくない。しばらくホテル暮らしも検討しておかなければ。もうため息が止まらなくなる。

 ふと、チューベローズの花言葉を思い出した。たしか、あれは……『危険な快楽』、だったっけ。




 警察に聴取をされた後、早朝に上司を電話で叩き起こして、二日の有給休暇をもぎ取った。小型メモリのことは話さないでいたが、寝ぼけた上司から「ああ、あれはもうちょっとで済むからよろしくね」と言われた。実害が出ているのに何がよろしくね、なのだろう。


『もう少ししたらわかるさ。それよりも君はゆっくり休むことだ。こういう時はすぐにしんどさが追い付いてくるからね』

「……はい。気を付けます」

『家には居づらいだろうが、どこか行く当てはあるの?』

「近場のホテルに泊まるつもりです」

『わかった。そうしなさい』


 上司は二度寝するからと通話を切った。その途端に体が数段重くなった。早朝の警察署前で蹲るわけにもいかず、近くのベンチに腰掛ける。

 ここ、西地区ガリバルディ警察署はヘクセンの職場だ。警察官は変則的な勤務をしているから、彼のことを聞けば出勤時間を教えてくれるだろう。

 傍で受付をしていた警察官にヘクセンのことを尋ねると、意外な答えが返ってきた。


「ああ、彼ですか? 彼はこの二か月ほど長期休暇バカンスを取っていますよ。バックパックで世界一周したいって意気込んでいましたね。そろそろ帰ってくるはずですが。……あら、大丈夫? 顔色が悪いようですが……」

「いえ……」


 指先から血の気が引く心地で、今度は別の人物に連絡を入れた。朝早いにも関わらず、その人は愛想よく対応してくれた。


『うちの兄貴ですか? はい、旅行中ですよ。昨日の夜にも連絡がありました。今、砂漠地帯をラクダで横断しているそうです。自由人なんですよ。見た目ですか? 私と同じぐらいで、背はあまり高くなく、体型もなかなか筋肉がつかないようでだいぶ細身ですよ。髪は普段は金髪に染めていることも多いですね。眼鏡もしていますよ』


 お礼を言って、通話を切った。

 内容を耳にしていたテディベアがぽつりと「別人みたいね」と呟いた。

 話を総合するとこういうことだ。

 私がこれまで『ムーラン・グロッタ』で会っていた『ヘクセン・クォーツ』はヘクセン・クォーツではなかった。俺と付き合ってみないか、と尋ねてきたは――いったい誰だったのだろう。

 いつの間にか握っていた携帯端末メルクリウスが着信を告げた。電話が来ている。

通話のために画面に表示された「ヘクセン・クォーツ」の文字を見つめた。

 不思議と気持ちは凪いでいた。

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