第5話

「アリシア・フローライトはいるか!?」


 一夜明けて朝。自宅であるマナーハウスから学園に向かうための馬車に乗ろうとしたところで、声を掛けられた。

 一目で王族と分かる紋章があしらわれた馬車から出てきたのは、目つきの悪い少年。

 金髪碧眼と王族の血筋が感じられる姿はこの国の第三王子、ゴードン・レイエストだ。

 取り巻きらしき少年を横に携えたゴードンはアリシアを見つけるなり、偉そうに胸を張って鼻を鳴らした。


「いるではないか。朝から俺を待たせるな」

「……ごきげんよう。ええと、どちら様でしょうか?」

「ふん、俺の顔を知らないのか!?」

「『フン・オレノカオヲシラナイノカ』様ですね。初めまして」

「そんな名前があってたまるかァ!?」

「でも、そう名乗られたのはフン様ではありませんか」

「誰だフン様って!?」

「てっきりフンがファーストネームかと」

「だからそんな名前があってたまるかァ!?」

「何を怒ってらっしゃるんですか……名乗ったのはゴードン殿下でしょう」

「しかも俺の名前を知ってるじゃないかッ! なぜたずねた!? 不敬ふけいだぞ!?」

「そんな……朝から面倒臭そうだから知らない人のふりをして追い払おうとしただなんて伝えにくいです」

「ガッツリ伝えてるじゃないかッ! 不敬すぎる……!」

「ええ、ですから『言えない』『伝えられない』じゃなくて『伝えにくい』と」

「ぐぐぐっ……! クソ、国語の教師かお前は!」

「公爵令嬢ですわよ? 私が何者かもわからずに訊ねて来られたんですの?」

「嫌味だよチクショウ! 馬鹿にしやがって!」


 ゴードンが地団駄じだんだを踏んだところで取り巻きが場を収めるためか、口を開いた。


「お二人とも落ち着いてください。殿下もここは僕に任せて」

「ノーリッツ様、でしたか」

「おお、僕のことも覚えて下さっているとは光栄です。さすが学園一の華と名高いアリシア嬢ですね」

「ありがとうございます。アッパラーパ伯爵家の長男でゴードン殿下の乳母姉弟。好きなものはチーズハンバーグで嫌いなものはすっぱいフルーツ。一昨日、同学年のリズさんにフラれて落ち込んでましたね」

「何でそんなことまで知ってるんですか! 怖いですよッ!?」

「いえ、風の噂ですわ風の噂」

「どんな噂ですか!?」

「告白を断ったリズさんに『僕には君しかいないんだァー!』って泣きながらすがりつこうとして避けられたと聞きました。ちょっと狂気を感じて怖かったとリズさんはおっしゃってましたわ。避けられなければ傷モノにされていたかも、とも」

「まさかの本人!? 聞きたくなかった……!」

「突然抱き着こうとするなど、無理矢理襲う卑劣漢と勘違いされるところでしたわ。私がリズさんの誤解は解いておきましたけれど」


 アリシアの言葉が、ノーリッツには別の意味に聞こえた。

 すなわち、私がリズに言えばすぐさま性犯罪者扱いさせることもできるんだぞ、と。


「……殿下。ここは一度帰って出直しませんか……?」

「ここまで来て何を言うか。さっさと話してやれ」


 無慈悲なゴードンの命令に従い、ノーリッツは決心した。

 自身が性犯罪者という風評被害を被ったらゴードンの命令でやったと言おう、と。


「……本日はアリシア様にとっても耳寄りなお話をお持ちしました」


 ひきつった笑みを浮かべたノーリッツの提案は、アリシアですら予想していなかったものだった。


「……私とゴードン殿下の婚約?」

「形だけだ。俺には心に決めた女性がいるからな! 栄光ある王国の民と汚らわしい獣人が融和することを防ぐために、形だけの婚約を結び、獣人が諦めたところで破棄する」

「ゴードン殿下のお母様は軍閥ぐんばつ家系ですからね。仲間や親戚、友を殺された獣人と肩を並べることだけはどうしても容認できないのです」


 ノーリッツが補足を入れるが、アリシアは頭が痛くなりそうだった。

 こめかみを揉んで、それから二人を見据える。


「……一応お伺いしておきますが、殿下の首の上に乗っかってるのは頭、ですわよね?」

「どういう意味だ?」

「いえ、あまりにも頭の悪い発言でしたのでもしかして顔が書かれたバケツプリンか何かを乗せているのかと思いまして」

「ふ、不敬だぞ!? 馬鹿にしているのか!?」

「いえ、王国の臣民として心の底から心配してるんです……殿下の頭を」

「なおさら悪いわァァァ!」


 思わずツッコミを入れるゴードンを宥めるノーリッツ。ここでゴードンとアリシアが仲たがいをすれば、余波が自分にも及ぶかもしれない。

 それだけは避けなければ、と内心で冷や汗を垂らしながら言葉を掛ける。このまま仲たがいすれば本日中に性犯罪者と呼ばれる可能性がある。

 薄氷はくひょうの上でタップダンスをしている気分だった。


「あ、アリシア嬢の考えも聞いてみましょう。仮とはいえ婚約ともなればお互いの気持ちが重要ですから」

「ふん。すぐ破棄するのだから関係ないと思うがな」

「王族のために自らをささげたとなれば国王陛下からの覚えもめでたくなりますし、ゴードン殿下もアリシア嬢に感謝するでしょう。いかがですか?」

「先ほどの発言は撤回します。──お二人とも、頭の中にはプリンすら詰まっていないんじゃないでしょうか」

「なっ!?」

「貴様、不敬だぞ!」


 何をどう考えたらアリシアが同意する未来を思い描けるのだろうか。断られると思っていなかったらしい二人は愕然がくぜんとしながらアリシアを見た。

 満面の笑みを浮かべたアリシアは思わず胸が高鳴りそうなほどに美しい。にも関わらず二人は真冬のような悪寒を感じていた。


「まずはノーリッツ様。国王陛下の覚えがめでたくなる? 陛下自身が推し進めた婚約を破棄してそんな結果になるとは思えません。登城して陛下に直接訊ねてみましょうか」


 顔を強張らせたノーリッツに、もっとも、と追撃を加える。


「陛下の名前をだして適当なことを言っていたら強姦魔どころじゃすみませんし、嘘なんてついていないと思いますけれど」

「は、ははは。もちろんですとも。ねぇ、ゴードン殿下?」


 国王を引き合いに出して嘘を吐いたとなれば、軽くて貴族籍の剥奪、死罪まであり得る重罪だ。ノーリッツは目に見えて顔色を失っていた。


「それからゴードン殿下。破棄する前提で婚約を持ち掛けられて頷く人間がいると思いますの?」

「一夜の過ちでも良いと言ってくれる女がたくさんいる!」

「そうですわね。ゴードン殿下自身が石の下にいるダンゴムシ以下だとしても、第三王子という肩書きには価値がありますものね」


 余りの発言に言葉を失った二人だが、アリシアは意に介さない。


「万が一にでも子を授かれば王族と繋がりを持てますし、ワンチャン未来の国母になる可能性もありますから。……それを天秤にかけても私は御免被りますけれど」

「な、何を無礼な! 酒場のミミちゃんもお風呂屋のルアンナも心から俺に惚れたと!」

「本人を知らないですけど、賭けても良いです。成り上がる気満々の平民ですよそれ」


 余りにもノータリンな発言をするゴードンを相手にすることすら面倒になってきたアリシアだが、ノータリンだからこそきちんと理解させる必要があった。

 変な勘違いをされて周囲にあらぬことを吹聴されれば面倒なことになるのは目に見えていた。


「いくら私が王国でも一・二を争うほどに可憐で知的で魅力的なパーフェクト・レディだからと言って、アルフレッド様との婚約に横やりを入れてはいけません」

「……ちょっと自己評価高すぎないか貴様」

「いえいえ、殿下ほどでは」

「そ、そうか……?」

「殿下、褒められてるわけじゃありません! 照れないでください!」

「分かっている! わざとだ! ついだ!」

「どっちですか……」

「とにかく、私はアルフレッド様との婚約を破棄するつもりはありませんのでお引き取り下さい」

「……後悔するぞ?」

「おや、何故ですか?」


 睨むゴードンに合わせてノーリッツも嫌な笑いを浮かべる。

 小物にしか見えないが、本人はすごんでいるつもりらしい。


「いやぁ、残念です……もしかしたら、『婚約を破棄しなくてはならないほどの不幸』がアリシア嬢を襲うかもしれませんね」


 言外に、お前を襲うぞと示唆したノーリッツ。


「ちょっと気持ち悪い男性に告白され、断ったら泣きながら襲われるとかですか?」

「うぐっ!?」

「ふん! 貴様の顔が二度と見られないようになる事故があるかも知れんということだ! 今から包帯を準備しておくんだな!」


 分かりやすい犯罪予告を残して去っていく二人。

 アリシアは大きな溜息を吐いてそれを見送ると、御者に紙とペンを用意させた。

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