事故物件

茶々丸

第1話

 田端啓介たばたけいすけは売れない芸人である。


 コンビ名は『三本角さんぼんづの』、二人組だけど『三本角』。


 大学卒業後に入った養成所で同期だった溝口竜也みぞぐちたつやと二年前にコンビを組み、バイトをしながら劇場でネタ見せをして活動している。


 お笑い芸人を目指すと決めた際に覚悟しているつもりではあったが、実際はその数倍以上お笑いの道は険しかった。


 作ったネタは抜群に面白いわけではない、残念ながら田端も溝口もルックスが抜群にいいわけでもない。

 どこにでもいる凡庸な塩顔に美容院に行く余裕のないボサボサ髪というこれといった特徴もないコンビの『三本角』は、いまいちパッとせずにだらだらと若手お笑い芸人の底辺をうろうろとしている。

 後から入ってきた後輩はこの一年であっという間にテレビに出るまで人気になり、同年代はすでにきちんと就職してキリキリと働いているにもかかわらずだ。


 まだ二年。

 しかしそのまだ二年があと十年続いたら?


 このままだらだらと続けて後戻りできないところまでいってしまえば、永遠に売れない芸人のまま貧乏暮らしだ。


 毎日バイトに明け暮れて生活費もギリギリ。売れない芸人じゃあ結婚もできないし、そもそも今は恋人をつくる余裕がない。

 貧乏だけでなく、さらに孤独で生きていかなければならないかもしれない。

 そんな漠然とした不安が、もやもやと形になり始め、ここのところ田端はなんとなく焦っていた。


「先輩、事故物件って知ってます?」


 ある日、そう声をかけてきたのは後輩の長谷川駿介はせがわしゅんすけだった。養成所時代の後輩で、犬のような人懐こい性格なので先輩達に可愛がられており、田端も目をかけてやっていた。

 現在長谷川はピンで活躍しており、最近は動画配信に力をいれているらしく、毎日わりと忙しそうにしている。


「事故物件?あれだろ、人が死んだり、問題があるって家だろ。それがどうした?」

「今度動画配信の企画で、事故物件に住んでみるってやつをやろうってなったんですけど、俺ほんとそういうのダメで。一人じゃ絶対できないから誰かと一緒にやりたいんですよ。どうせ先輩暇でしょ?やりません?」

「お前、失礼な。勝手に決めつけんなよ。まぁ、実際暇だけどさあ」


 つまみのチータラを口に放り込み、ビールで流し込みながら少し酔っ払った頭で考えてみる。 

 確かに長谷川の言った通り、田端は暇だった。ずっと続けている居酒屋のバイトのシフトがはいっているくらいで、新作のネタも特に作っているわけではない。

 相方の溝口は最近やる気をなくしているのか全然会ってもいないから打ち合わせもしていない。

 確かに、もしこれでなにかきっかけになるのならちょうどいいかもしれない。


 長谷川は田端の二つ下の後輩で、高校卒業と同時に絶対にお笑い芸人になろうと決意を決めて上京してきた熱血ボーイだ。


 ピンで活動し、劇場でネタをやりつつ、最近は動画配信やSNSを駆使して、売れるために頑張っている。

 ネタも結構笑えるし、トレードマークであるド派手なオレンジの髪と整った顔立ち、裏表なく人懐こい性格がSNS上で露出したことも手伝って、少ないがファンも付き始めていた。


 なんだか最近やる気のでない田端にとって、ひたすら頑張っている長谷川はまぶしく、羨ましい。


「先輩、溝口さんとうまくいってないんでしょ。最近一人じゃ忙しくてヤバかったんで、これうまくいったら俺と組みましょうよ」

「お前と?お前ピンじゃん。それに何がそんなに忙しいんだよ」

「動画の編集作業とか色々、一人でやるにも限界があるし。それに俺、前から先輩と組んでみたいと思ってたんですよね。ピンで頑張るのもいいけど、やっぱ羨ましいじゃないですか、コンビ。先輩とならうまくいきそう」


 屈託のない笑顔で言われて、照れると同時に悪い気はしなかった。

 長谷川の言う通り、相方の溝口はもうやる気がないようで、最近はネタ合わせしようと誘ってもバイトだからと断られることが多かった。 

 以前溝口の鞄の中に書きかけの履歴書を見つけた時から、就職活動をしはじめているのだということも何となく気が付いている。だからといって溝口を責める気にもならない、というかできない。

 自分たちが売れていないのは事実だから、生きていく為には仕方ないのだ。田端の叶うかわからない夢の為に、溝口の人生まで巻き添えにはできない。そろそろ潮時だなと田端もなんとなく思っていたところではあった。


「まぁな、暇なのは間違いないし。とりあえず溝口に聞いてみるよ。コンビについては保留な」

「やった!あ、あとゲーム実況も面白そうだから、今度それもやりましょうね」

「お前がゲームやりたいだけだろ、それは」

「いやいや、コツコツと知名度を上げるためっすよ。先輩、もっと時代に適応していかないとね」

「それで?その事故物件の企画、住むってどうすんだよ。いきなり引っ越しとか言われても、そんな金ねーぞ、俺は」

「あ、それは大丈夫です。企画のプロデューサー的な人が金銭面負担してくれるんで。まぁだいたい一カ月くらい、そこで共同生活してる様子を定点カメラに収めて編集してアップするだけです。あとは毎日生配信することが条件だったかな」


 スマホの画面をタップして、長谷川が一枚の写真を田端に見せた。

 写っているのは小さなボロアパートで、お世辞にも綺麗とは言いがたい。と言っても、現在の田端の住んでいるアパートと大差ないような気もした。


「ここに住むの?」

「はい、1Kでちょっと狭いけど、先輩の部屋と広さはあんま変わんないと思いますよ。あと、動画アップ一本につき一万円もらえます」

「えっ、まじで?!」


 思わず大きな声をあげてしまった。このボロアパートに住んで動画をアップするだけで一万円。しかも住むところの家賃と光熱費はあちら持ちだ。美味しい話すぎてなんだか少し不安になる。


「なんかちょっと、美味しい話すぎないか?家賃も光熱費もあっちが払ってくれて、それで俺たちは動画撮るだけなんだろ?大丈夫かな」

「いやいや、何言ってるんですか。事故物件ですからね先輩。ここで一カ月生きるか死ぬか、呪われるかの生活を送るんですよ!動画だってただ撮るだけじゃだめで、色々時間がかかるんですから、むしろ一万円じゃ安いですって!」


 そう言われると、確かにこっちは命をかけるわけで、妥当な値段であるような気もしてくる。

 毎日動画をアップするだけで今のバイトで稼いでるくらいの金が手に入る。しかも別に行動を制限されてるわけでもないからバイトするもよし、お笑い活動に勤しむもよし。こうなっては田端に断る理由はなかった。


「よし!のった!たまにはこういうチャレンジしてみないとな。一カ月だけだし、事故物件とかいっても不気味なだけだろ、どうせ」

「やったー!いや、ほんとありがとうございます。俺ほんとダメなんですよこういうの、怖くて。でもこんな美味しい話絶対逃すわけにはいかなくて……」

「こっちこそありがとうな、長谷川。で、いつ行けばいい?」

「来週から入居できるみたいなので、荷物まとめといてください。また連絡しますから」

「了解。あれだな、来週、入居前に神社いって祈祷でも受けてくか」

「あ、いいっすね。そうしましょ」


 ひさびさに気分が良かった。すっかりぬるくなったビールも気にならず、むしろ極上の美酒にすら感じる。長谷川はいい奴だし、流行りの動画配信もいつか手を出してみたいなと思っていたところだった。

 ただ、どうしても始めるには機材の調達やら何ならとお金がかかるし、やり方だって全くわからないから二の足を踏んでいたのだ。それが一気に解決したのだからありがたい。

 それに、一カ月間、金銭面を気にせずに好きなことができる。

 掛け持ちのバイトに明け暮れて疲れ果てたり、将来の不安からたった一時ひとときでも解放されるのはありがたかった。

 なによりも、このチャンスを最大限活かして、爪痕を残せれば次に繋がるかもしれない。

 養成所時代の熱い気持ちが戻ってくるようだ。


 酒盛りは深夜まで続き、どんな動画を撮るか、ついでに生配信でネタもやってみたいと色々なことを話した。間違いなく運が向いてきている。田端は未来を夢見てワクワクが止まらなかった。

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