第10話 夕食。

 階下から聞こえてくる人の気配でギアは目を覚ました。ゆっくりと起き上がり、素足のまま窓の側に寄る。窓辺の寝台では、フレイアがぐっすりと眠っていた。視線をずらせば薄青い瞳とぶつかる。


「まだ寝ていろ。何かあったら起こす」


 囁くように言えば、シアはフレイアを起こさないように僅(わず)かに頷(うなず)くと、素直に瞼を閉じた。

 ギルはあまり音を立てないように気を付けながら窓を開ける。もう間もなく日が沈む。


(……外は、問題なさそうだな)


夕日が町を取り囲む防護壁をオレンジ色に染め、昼とは違う顔を見せていた。


(下にいるのは女将達を入れて、恐らく10人ぐらいってところか……)


 階下から漏れ聞こえてくる話し声から人数を予測する。

 

「私達の他にも客が来ているようですね」


 不審がる声に振り向けば、シアが半身を起こしギルを見ていた。寝ていられないほど気になったのだろう。


(まあ、無理はない)


 この食堂兼宿屋は大通りからかなり離れた場所にある。それもかなり奥まった細い路地だ。店の雰囲気からも繁盛しているとはお世辞でも言えない。

 さらに、聞こえてくる声も食事や酒を楽しんでいる雰囲気が伝わってこないのだ。

 だがらといって、寝込みを襲ってくる気配も無い。


「まあ、何もないに越したことはないがな」

「……そうですね」


 ギルとシアはフレイアが目を覚ますのを待って、階下へ下りて行った。

 食堂に足を踏み入れると、やはり客がいた。カウンター席に四人と入口近くの席に二人。全員男だ。

 現れたギル達に気づくと、全員が話すのをやめた。突然店内が静まりかえる。あまり良い気はしない雰囲気だ。彼らはじろじろと不躾に見てくる。絡んでくる様子がなかったので、居心地の悪い視線を無視する。

 だが、ふと気になったのはカウンター席の一番奥に座っていた男だ。ここへ来た時に、昼から酒を飲んでいた男だっだからだ。彼だけは、なぜかこちらに目を向けることはなかった。

 シアへ視線を向ければ、同じ男を見ていた。やはり気付いているようだ。


「シ……」

「あら、待ってたんですよ。すぐに食事の用意をしますね」


 シアに声をかけようとしたギルの声を猫撫で声で近寄って来た女将が遮る。

 そして、作り笑いそのままに慌てたように扉を開け外へ顔を出した。


「アミール! 早く入って来な! お客様をすぐに言っておいたテーブルへご案内するんだよ!」


 女将に急かされ、箒を手にしたアミールが慌てて店内へ入って来る。箒を片付けると、急いでギル達の所へ戻ってきた。


「こっちだよ」


 案内された席は店の一番奥だった。来た時に座った席が空いているというのに、わざわざ奥に座らされたことにシアが違和感を感じているようだ。一瞬奥へ行くことを躊躇したように見えた。

 だが、フレイアを抱き上げ案内するアミールの後に続き席へ向かう。ギルも黙ってついて行く。


「眠れた?」


 屈託ない笑みを浮かべたアミールが尋ねてくる。


「ああ、お陰でゆっくり休めたよ。ありがとう」


 応じながらギルは席に着いた。


「良かった」


 アミールが屈託なく笑う。何かを隠しているようには見えなかった。


「食事なんだが、昼にしっかり食べたからな、夜は軽めにしようと思っているんだ。お勧めの料理はどんなものがある?」

「今日買ってきたばかりの野菜で作ったスープがあるよ」


 ギルがアミールと話をしていると、高価な香辛料がふんだんに使われた肉料理と酒を持って女将がやって来た。

 焼き上がったばかりの肉は旨そうな湯気が立ち上っている。 


「これはサービスさせてもらいますよ」


 驚くことに酒と皿をギル達のテーブルの上に並べながら女将が満面の笑みを浮かべてそう告げた。仮眠をとっている間に何か良い事でもあったのだろうかと訝る。


「子供にはかなり辛いですからね。小さなお嬢ちゃんには食べさせないでくださいな」


 女将の言葉に、シアの形の良い眉がピクリと反応する。


(小さな子がいると分かっていて、食べられない物を持ってきた事に相当怒っているな)


 全ての事に置いてフレイア至上主義のシアは不快な気持ちを隠そうともしない。視線だけで凍らせてしまいそうな目を向けている。

 だが、女将はフレイアを見ていた。表情は笑っている。

 しかし、その目を見た瞬間、ギルの眼差しも鋭くなった。女将がフレイアを見る目はあまりに異常だったからだ。まるで値踏みするような視線をフレイアに向けている。

 ギルは敢えて明るい声を出す。


「有難い! 女将、ここへ来て良かったよ。では、早速いただくとしよう」

「あ、私が取り分けますよ。さあさあ、まずお酒を飲んでくださいな」


 ギルが皿へ手を伸ばそうとすると女将が慌てて止めてきた。酒を注ぎ、二人の前に置く。ギルとシアは視線を交わした。すぐに、シアは自分の前に置かれた酒を押し戻す。


「私は、いりません」

「そうか。では女将、あんたがこの酒を飲んでくれ! ここで一緒に飲もうぜ!」


 陽気な声でギルはシアの杯を女将に持たせた。女将は嬉しそう満面の笑みを浮かべ杯を受け取る。どうやら酒が好きだったようだ。


「コモザの発展と美味しい料理と優しい女将に乾杯だ!」


 ギルは女将の杯に自分のものを軽くぶつけ、人好きする笑みで女将を見つめる。女将はまんざらでもない表情を浮かべて酒を飲み始めた。その姿をみたギルも酒を喉に流し込む。


(……ただの酒だ。何かを入れたのではなかったのか? 本当に、ただの親切心?)


 疑問を感じながらも表情は笑顔のまま女将の様子を観察する。


「さあさあ、私の自慢の料理ですよ。食べてくださいな。可愛いお嬢ちゃんのものももうすぐお持ちいたしますからね」


 女将はまだ湯気がのぼる料理を切り分け、ギルとシアの前に置く。


「本当に旨そうだな! 俺達だけ頂くのは申し訳ない。そうだ! あんた達も一緒に食べようぜ!」


 入り口近くにいた男達のテーブルの上に、ギルは自分達の為に切り分けたばかりの皿をコトリと置いた。席にいた男達の顔が引きつるのをギルは見逃さなかった。


「遠慮せずに先に食べてくれ。俺達は小さな子供より先に食べるわけにはいかないんだ」


 やはり男達は料理には手を出さず、ちらりとカウンターの奥に座る男へ視線を向ける。視線を受けた男が立ち上がった。それが合図だったように、他の男達も椅子を蹴倒し立ち上がる。


「馬鹿な男達だ。あの世へ行く前にせっかく旨い肉を食わせてやろうってぇのによ」


 カウンターにいた男がニヤリと笑う。この男がリーダーのようだ。


「お前ら黒髪の男を殺れ! ガキには傷を負わせるな! 銀髪の男は顔さえ傷がなければ多少の怪我は目をつぶってやる」

「おいおい、俺にだけ容赦ねぇのかよ」


 しくしくと泣くふりをするギルに向かって、男達が一斉に剣を抜き、襲い掛かってきた。

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