第30話 ※ウイリアム視点

 夜、執務室にて次なる政策を考えているところへクラインがやって来た。


 両手でトレーを持ち、その上にはティーセット。

 クラインが紅茶の給仕とはかなり珍しい事だ。


「……今のまま避け続けて、本当に良いのですか? 旦那様」

 

 クラインはほんのり湯気が立ったティーカップを机の隅の俺から邪魔にならない位置、しかし手の届く範囲内に置くと、何やら唐突に問い掛けてきた。

 主語の無い問い掛け、字面だけだと何についてか分からないが、おおよそ見当はつく。

 

「……いくら欺こうとしても、バレバレか」


「そうですね。バレバレです。……というか、あの状況から言い逃れようとする旦那様のその度胸には、いやはや、さすがは英雄。感服するばかりです」


 クラインは俺の前に立ちながら自分に用意した紅茶を啜る。


「馬鹿にしてるだろ?」


「いえいえ。滅相もございまません」


 動じるどころか余裕の佇まいで、やはり紅茶を啜る。


 俺は溜息をひとつ吐き、そしてエミリアに対する本心を吐いた。


「……そうだ。俺はエミリアを愛してる……しかし彼女は人妻であり、そして貧民だった。貧困に苦しむ家族を助ける為に、彼女は高額所得が望める当家の使用人になったんだ。愛する家族と離れ離れになってまで」


 ここまで口にしたところでクラインの余裕の表情が僅かに変化したような……。

 たぶん、気のせいだろう。俺はそのまま続ける。


「貧民の者が当家のような貴族家の使用人に採用されるなど、それこそ並大抵の努力では無かったはずだ。家族一丸となってエミリアを支え、励まし、その末に『貴族家の使用人』という職業を勝ち取ったのだろう。エミリアのご主人から、すれば――……なんだ?」


 やはりクラインの表情の変化が気になり、俺は堪らず問い掛けた。

 クラインは「は?」っと言ったように口を少し開けて、薄ら笑いを浮かべているように見える。


「……いえ、面白そうなのでそのまま続けて下さい」


 やはり馬鹿にされているような……クソ。まったく調子が狂う。

 しかし、初めて口にした自分の本心。ひとたび口にしてしまうと不思議とそれは止まらないもので、俺は促されるままに続きを口にしていく。

 コホンの咳払いをひとつ挟み、


「……とにかく、ご主人からすれば、愛する妻を単身こちらへ送り出す事は苦渋の決断だっただろうと思う。エミリアが居ない間はご主人が娘の面倒を見て、そして休暇の度に帰ってくる妻――エミリアの帰りをただひたすら楽しみに待っているのだ。そんな仲睦まじい夫婦の絆、家族の絆を俺が壊すわけにはいかないだろう?」


 言い終えた頃には、明らかにクラインは笑っていた。


「――いや、失礼。 それにしても、まさか旦那様がエミリアが独身でいる事をご存知なかったとは正直驚きました。エミリアはご主人と離婚されています」


 独身――だと?


 『独身』と聞いた瞬間、俺の頭の中を衝撃が走り、次に真っ白になり、そして疑問符が占拠した。


「――は?」


 エミリアが……人妻では無い……だと?


「しかし、彼女にはまだ小さな娘が……。――は!そういう事か、娘の面倒はご両親が見ているという事か!」


「……いえ、違います。エミリアの娘は我が領国一の美女として名高い、あのアリア殿。リデイン子爵令息マルク様の妻です」


「――――」


 驚きで全ての動作が止まる。瞬きも忘れ、表情筋もぴたりと止まった。


「……それにしても、何というか、ものすごい勘違いをなされていたようで……」


 クラインは困った者を見るような目で、薄ら笑いを浮かべ、そして呆れたように言った。


「――――」


 俺は未だに驚きで言葉を失ったまま、動かず。


 もはやどこから出を付ければ良いのか分からず、自分でも呆れる程の勘違いと驚きの連続にただただ唖然。


 だが、そんな俺でも単純明快に分かった事がある。

 それは俺はエミリアの事を諦めなくても良くなったという事。

 そう思うと、何やら胸の奥から熱いものが沸々と湧いてきた。


 しかし、そんな時、クラインが言いにくそうに再び口を開いた。


「ただ……。エミリアには、誰にも言うな、と言われているのですが……」


「――何だ?」


 何やら不穏な表情をするクラインに胸騒ぎを覚え、俺はその続きを促した。


「あと、ひと月程でエミリアはここを去る事になるでしょう」


「それはどういう事だ?」


 クラインのその言葉の中に理を見出せなかった俺は更に続きを促し、次にクラインから発せられたその言葉に、


「リデイン子爵卿がエミリアへ結婚を申し込んだそうです」


「――!!」


 愕然とさせられたのだった。

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