第24話

 同僚メイド達からの尋問を終え、ようやく解放された私は自室へと帰って来た。


「――はぁ。 何だか、とても疲れたわ……」


 溜息混じりに呟いて、私は帰ってきたその身そのまま寝台へと歩み寄ると、そこへ倒れ込むように身を投げる。


 ――ぼふん、と柔らかい感触を頬に感じながら私は今日の出来事を振り返る。


 黄金色に輝く太陽、焼けた空、海、静かに響き渡る小波の音。あの美しい海の景色を2人きりで、2人だけの時間を共有した。

 相手は雲の上の人。私なんかがどうこう考えていい人では無い。

 住む世界が違う。あまりにも遠い存在。なのに、2人で見たあの景色、穏やかな空気感、それでいて高揚感に胸を躍らせたあの時の事が頭に焼き付いて、まるで雲の上の存在のその人の事を私は――


「ち、違う……そんなんじゃ……」


 慌てて飛び起き、心を侵食してゆく色めく何かに待ったをかける。

 

 ――認めちゃいけない。あってはならない。


「旦那様と私なんかとでは何もかもが違うのよ……」


 先程、同僚達が騒ぎ立てていた元凶――彼女達が耳にしたという旦那様の声。


 ――『エミリアは俺の女だ!!』


「あるわけないじゃない。そんな事……」


 『――全くのデタラメで、嘘だ。何かの間違いだ』


 旦那様が帰路で私へ告げた言葉――きっと、これが真実だろう。


「当たり前じゃない、そんな事。あるわけないのよ……こんなおばさんなんかの事を……旦那様が想っているなんて……」


 言いながらも蘇る、彼の胸の中に包まれた時のあの感覚。


 そう。きっとあの時だ。

 私の中の克己心が決壊し、何ふり構わず己の本能に支配されてしまったのは。


 ――何とかしなきゃ……。


 34にもなる私のようなおばさんが年下の上級貴族の、しかもその人は世界的英雄……そんな相手に恋心を抱くなんて、身の程知らずにも程がある。私なんかが想いを寄せていい相手ではないのだ。

 自制心を総動員し、何とか事態の鎮火を図る。が、彼と過ごした夢のような記憶がそれを阻む。


 『……少し、話さないか?』


 彼の優しい言葉に、まるで身分の格差など無かったような錯覚を覚え、勝手に彼との繋がり合いを感じ、


 『領主たるもの、領民の幸せを第一に考えるのは当然の事だ』


 領民の幸せを誰よりも願う、彼のその優しい人となりに全幅の信頼と尊敬の念を抱いた。


 『――きゃ!!』


 そしてあの時、

 

 『――っと……』


 不可抗力で彼の胸に飛び込んでしまったあの時、


 『――!!』


 彼の温もりを肌に感じ、身悶えする程の幸福感を体全身で味わってしまった。


 『……乗れ』


 強く大きな背中にこの身を任せた時もそうだった。同じように幸せを噛み締めた。


 ここまで深く鮮明に刻まれてしまった彼の記憶。本当なら小さな出来事だと思いたい。

 主人とメイドとの何気ないやり取りだと。


 彼の胸へ飛び込んでしまったのはただの事故だと。「あ〜、ごめんなさい」と、軽く笑って飛ばせるくらいに思いたい。

  

 何て事は無い。気に留めようにも留まらない。記憶の片隅に自然と追いやられてしまうような、そんなどうでもいい事として処理してしまいたい。

 それが出来たならばどんなに楽だろうか。


 まさか、この歳になってこんな感情を抱くなんて思ってもみなかった。


「……どうしよう。この気持ち。本当、私って身の程知らずね……」


 忘れようにも、忘れられそうにない。一体どうすればいいのだろうか。


 結局、私はその答えを出せぬまま、眠りに落ちていったのだった。

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