梅雨殺人事件

「僕は……なんてことを……」

 罪に塗れた自分の両手を茫然と見つめ、弱々しく呟いた。


 濡羽色の艶やかな髪が床に散らばり、白磁のような指先からは徐々に温度が失われていく。憂いと瑞々しさを備えた美しい人は、もう動かない。その目に僕を映してはくれない。ひっくり返した盆の水が元に戻らないように、僕が仕出かしたことも巻き戻りはしないのだ。

 でも、皆この人を疎ましく思っていたはずだ。この人がいると不自由で、気分も暗くなると……! だから、感謝こそすれ、責められるようなことは……!


 背後から足音がする。緊張した面持ちで振り返ると、上機嫌な男が一人。

「ありがとう、梅雨さんを葬ってくれて」

 そいつはギラギラと照りつける太陽のような笑顔で宣う。纏う雰囲気は爽やかなのに、不快な湿度を帯びていた。

「夏君……」

 罪の意識と激しい後悔に蝕まれた僕は、掠れた声で名前を呼ぶことしかできない。暑さで意識が遠のいていく。


 ◇


 ※昨年の梅雨明け、妙に早かったよねっていう話。

 ※戻り梅雨だったので続きを書いた↓


 ◇



 細い路地を右へ左へ駆け抜けた。もう自分でも何処にいるのかわからない。兎にも角にも逃げなければ、その一心で足を動かし続けた。

 どうして、こんなことになってしまったのだろう。罪悪感、後悔、焦燥、色んなもので頭の中がぐちゃぐちゃだ。唆されたとはいえ、僕は罪を犯してしまったのだ。無かったことにしたくても忘れたくても、その過去は消えない。


 足が縺れそうになっても走り続ける。心臓が痛い。呼吸が苦しい。高い湿度によって、まるで溺れているような感覚だ。誰か助けてくれ……! どんなに願っても太陽が厚い雲に覆われたように、誰も応えてはくれなかった。

 追い打ちをかけるように雨が降り始め、その音に混じって足音が近づいてくるのが微かに聞こえる。ヒールの音がカツンと響くたびに、僕の胸は痛いほどの心音を打ち鳴らす。


 あの日、僕が手にかけたはずの梅雨さんが戻ってきたのだ。彼女の目に宿るのは復讐の炎か、それとも慈愛の雫か。この薄暗い雨空では何も読み取れない。



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