第8話 未知への対策も忘れずに、です。

 腕輪からの微弱な信号を頼りにミグラテール号と合流を果たした私たちを待っていたのは、実に熱烈なお出迎えでした。


「もーお前らはッ! 心配したんだからな!」


 船の上にて再会するなり、誰より早く動いたのはファルケさん。

 そんなふうに涙目になっていらっしゃるとちょっと幼く見えますねとか思う間もなく、アクイラさんと私をまとめて腕の中に抱え込みにこられます。


「グェッ」

「無事でよかった! オレはこういうとき操舵で動けないからさ、いつも他のやつ任せにするしかなくて……しかも今回はエンテも行くって言うしさ……心臓破裂しそうだったんだぞ!」

「はいはい、心配かけたな」


 苦笑しながらファルケさんの背をポンポン叩くアクイラさんは実にスマートですが、当の私は苦しさに冗談抜きに潰れたアヒルみたいな声が出てしまいました。

 あっちょっ船長さま吹き出しやがりましたね?

 仕方ないじゃないですか、私とファルケさんでは身長差と体格差と力の差がエグいのですよ!

 しかしファルケさんは純粋に無事を喜んでくださっているのであって、悪気がないのは当然。それに勝算があったとはいえ、側から見て我々がだいぶ無茶をやらかしたのは事実です。

 心配おかけした罰として、ここは大人しく耐えましょう……グェ。


「ファルケ。エンテが潰れる」


 覚悟したものの、ファルケさんの腕力の強さにやっぱり押し花みたいになってしまうかもしれないと遠い目になりかけた私を解放してくださったのはヴェルガーさん。


「えっ、あっ……ごめんエンテ! 大丈夫か?」

「だ、大丈夫れすぅ……」

「まったく大丈夫じゃないよね。ファルケ、君はいい加減に自分の馬鹿力を自覚したほうがいいよ」

「うう……」


 落ち込んでしまわれたファルケさんをお隣のシュエットさんがまあまあと慰めている間に、ヴェルガーさんはさりげなく私のぐしゃぐしゃになった髪を整えてくださいました。

 すでに海水で全身びっしょりな濡れ鼠ですが、そのお心遣いが嬉しい……。


「愚兄が悪かったね。痛いところはない?」

「い、いえ! まったく! むしろたくさん心配をおかけしてしまって、申し訳ない限りです。私がもっと屈強で力持ちで……それこそ肩幅がヒュドラ・サラサくらいあればファルケさんを泣かせるようなことは……!」

「それ、もはや人間の身体じゃないよね。逆に怯えて泣くよファルケが」


 割と本気で言ったのですが、至極真っ当な直球のツッコミを喰らってしまいました。

 むむ、確かにファルケさんを怖がらせてしまうのはいけませんね……。しかしまだ私が頼りなく見えるのは事実。体を鍛えねばなりますまい。

 腕を曲げて二の腕の筋肉を確認しつつ、新たに心に誓います。


「二人とも、本ッ当に……怪我なく帰ってきてくれてよかったよ」


 そう言って大きく息を吐き出すシュエットさん。

 お医者さんであるシュエットさんは私たちがヒュドラ・サラサに向かっていくことになったとき、きっといろんな怪我の仕方を想像して備えていてくださったことでしょう。

 噛み付かれたらただではすみませんし毒もありますし、生きて帰ったとしても四肢をいずれか持っていかれている可能性だってありました。

 ……そう思うと、やはりまだまだ足りないなと痛感します。


 ヒュドラ・サラサの真の頭を砕けば比較的無害なケートス・エピメリスに成長する、ということは実験ですでに実証済みではありました。

 しかし、現場は安全策を整えて行う実験のようにはいかないのです。攻撃が間に合わなかったり外したりしてしまう可能性だってあります。

 敢えてヒュドラ・サラサに向かっていき危険に身を晒さなければならなかった此度の対策は、決して完全なものとは言えません。


「……いずれはヒュドラ・サラサも、ネル・セイレーンのような対策を確立しなければなりませんね」


 つい声に出ていた私のひとりごとは、アクイラさんたちの耳にも届いたようでした。

 御三方の視線が一気にこちらに向いて少しばかり気恥ずかしいので、照れ隠しにそのまま喋り続けさせていただきます。


「こ、今回の対策ではまだ安全性に難がありすぎます。やはりネル・セイレーン対策のように、最初から出会わない方法を目指すべきかと思いまして」

「まあ……あいつらだって、オレらと出会わなきゃ痛い思いせず済むしなあ」


 頬を引っ掻いてぼやくファルケさん。こちらを捕食しようと追いかけてきた海妖を気にかけられるなんて、あなた本当にお優しい方なのですね……。

 でも、おっしゃることはごもっとも。

 私たちの目的は決して海妖たちを撲滅することではありません。海妖かれらだってこの世界に生きる命なのですから。


「そもそも遭遇しない方法、か。ネル・セイレーン対策は天敵の声を鳴らし続けることだったけれど……」

「同じようなことができる可能性はあるんじゃないか?」


 ヴェルガーさんの呟きにアクイラさんの声が続きました。

 え、と目を瞬かせる御三方。……そうですね。

 実のところ、捕らえたヒュドラ・サラサを観察していた私たち海妖対策士も同じようなことを考えていました。

 実際にヒュドラ・サラサと対峙して撃ち抜いたアクイラさんも思うところがあったのでしょう。


「そもそも防御擬態の擬似頭部なんぞ、?」

「そう! それなんです!」


 アクイラさんの指摘は、まさに私たち海妖対策士が考えていたことでした。

 思わず大声を出してしまったのでアクイラさんがキョトン顔になってしまわれまして、あら可愛いなんて思っちゃいましたが……ええ、はい、まあともかく。


幼形成熟ネオテニー自体は生息域拡大に伴って環境変化適応のため手に入れた能力だと想定されていますが、幼体時の防御擬態にはまだ我々の知らない天敵の存在が予想できます。そもそも生息域を広げてきたのだって、天敵から逃げてきたゆえ——なんてことも考えられますし」

「……そっか、元々暮らしてた場所を追われて……。いや、なんかそれ俺ら人間はもちろんだけど……ネル・セイレーンにも災難なことだね」


 苦笑いのシュエットさんにファルケさんが大きく頷いて同意されていました。

 確かに。住処を追われたからとこっちに逃げ込んできた相手が自分たちの天敵になりましたなんて、元々そこに住んでいたネル・セイレーンからしたら貰い事故もいいところですね……。

 いえ彼女らは彼女らで強い海妖たちなのですが。


「つまりヒュドラ・サラサには天敵がいる可能性も高いということだね。しかもまだ人類が公式に発見できていない、強大な未知の海妖である可能性があると」 


 後半は半ばひとりごとめいていらっしゃいましたが、ヴェルガーさんのお言葉どおりです。

 しかし、です。


「それだけではありません。本当の頭を破壊されない限り成体にならないなんて面倒な条件があるにもかかわらず、成体のケートス・エピメリスはその正体が判明する前から存在を知られていました」


 しかも個体数こそそう多くはないですが、決して珍しい海妖ではありませんでした。

 頭を失う目に遭った個体がそれだけ普通にいるということで、それはつまり。


「彼らの本当の頭を的確に狙って砕く、そんなとんでもない芸当ができる海妖も人知れず存在している可能性だってあるということです」


 ——そんな。

 私の仮説を聞くアクイラさんたちの表情は、とてもわくわくと楽しそうで。

 ヒュドラ・サラサを超える危険性のある海妖たちの可能性を話しているにも関わらずこの反応。やはりこの人たちは芯から、未知に惹かれる冒険者なんだなと実感しました。

 私だって人のことは言えないのですけれども。ええ、どんな海妖がやってこようが見極めて対策するのみです。海妖対策士の腕が鳴りますよ!


「……しかし、ひとつ気になるんだが」

「へっ? 何がです?」


 ひとり心の中で決意を燃やしていたら、急にアクイラさんの視線が真っ直ぐ私に注がれました。

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