02

「――――」


「――――」


 珍しくいい気分で寝ていたというのに、起こそうとするバカは誰だ。

 くだらない理由だったら、げん骨のひとつでも落としてやろうと目を開けた先にいたのは、見たこともない少女だった。


「あ、起きた?」


 自分でもわかるほど、困惑していた。

 目の前で座り込み、こちらを覗き込んでいる少女は、もちろん軍に入隊できる年齢ではない。

 誰かがデリバリーした奇特な女にしては、あまりに違法すぎる年齢だ。


「え……なに? 誰? 君」


 訳が分からないとはいえ、口にすると少し落ち着くらしく、少しずつ頭が先程までの光景を思い出していた。


「?」


 変異種に襲われ、辛うじて倒したが、部隊は壊滅。

 自分は生き残ったが、生き残った仲間が応援や医療班を呼んでくる頃には、おそらく死んでいるであろう怪我を負った。


 ならば、ここは死後の世界だろうか。

 首を傾げている少女は、死神だとでもいうか。


「あー……えっと、君、名前は?」

「名前?」


 死神だとでも言ったら、随分とおもしろい話だ。


「ないよ?」


 意外にも、そのかわいらしい死神は、名前も教えてくれないらしい。


「ここに来る子は、みんな名前……あるのかな? 聞いたことないや。大切なもの?」

「そりゃ、まぁ、大切だな。親からもらう最初のプレゼントってのもあるが、名前がないと呼ぶ時に困るだろ。みんな、こっち向いちまう」


 俺の言葉に、何か合点が言ったらしい死神は、小さく声を漏らした。


「私、ひとりだからか」

「さっき、みんなって……」

「うん。みんな来るよ。でも、私はひとり」


 意味が分からない。

 いや、最初から死神と、意味のある会話をできる方がおかしいのかもしれない。


「貴方には名前があるの?」

「牧野。牧野薫だ」


 マキノ。マキノ。と数回名前を呼ぶと、小さくその死神は笑った。


「マキノ、ね。貴方は、マキノって呼んだら、来てくれるのね」

「あぁ、そうだな」


 死神の言いたいことはわからないが、立ち上がると、通路の向こうに向かって歩き出してしまう。

 そして、不思議そうに振り返った。


「マキノ」


 これは、ついて来いということだろうか。

 不思議と先程までの痛みはなく、俺も立ち上がり、その死神についていく。


 三途の川にでも案内してくれるのかと、死神についていくが、周りは随分と見慣れたコンクリート製の建物だ。

 まるで研究所のような、小綺麗な施設。


「なぁ、どこに向かってるんだ?」

「いつもの場所」

「いつもを知らないんだよな……俺」

「そっか……貴方は、ここが初めて? 私は貴方に呼ばれて……呼ばれた、わけじゃない?」


 顎に手をやる死神は、こちらを見上げながら、悩み出してしまった。

 一応、この死神を呼んだ覚えは一切ない。そもそも、名前すらわからない死神をどう呼べというのか。


「死にたくないって、そう言ったでしょ?」


 その言葉に、息が詰まった。

 最後の最後、誰にも聞かれるはずのない言葉。

 だが、彼女は疑うこともなく、はっきりと言い当てた。


「ここに来る人、ラクになりたいって言うんだ」


 助けて。楽になりたい。逃げたい。死にたい。

 少女に縋るように、助けを求めた。


「ねぇ、生きたい? 本当に?」


 足を止めて振り返った少女の目は、どこか焦燥感があって、俺を否定するように見つめていた。


「…………あぁ。生きたい。まだ、死にたくない」


 だからこそ、本当の言葉を伝えた。

 生きられるのなら、まだ生きていたいと願う。

 このクソったれにイカれた世界であろうと、誰が死にたいなどと思うものか。


「ふぅーん……そっか」


 嘲るような悲しむような表情で、目を細める少女に、聞き返した。


「お前は?」


 意外だとばかりに目を見開く少女は、視線を巡らせると、お道化るように笑った。


「どっちでもない」

「どっちでもないって……」

「だって――逕」縺セ繧後※縺�↑縺�b縺ョ」


 ノイズの様な雑音が、死神の言葉を遮る。


「ぇ、悪い。今なんて……」

「? 蟆代@蜷医▲縺ヲ縺ェ縺�シ�」


 不思議そうな表情で、パタパタと走り寄ってくると、俺の服を掴み、妙に強い力で引っ張られる。

 その細腕のどこにそんな力があるのかと、不思議なくらいだが、逆らわず少女のやりたいように腰を曲げれば、遠慮なく頭を掴まれた。

 俺の頭を掴む様が、あの変異種と少し重なり、心臓が跳ねたのは気取られないように、つい逸らした視線を彼女の方へ戻す。


「…………」


 こちらをじっと見つめる瞳が、微かに揺れる。


「おーい……」


 妙な違和感を感じて、声をかけるが、反応がない。

 名前を呼ぼうにも、名前を知らない。


「……見惚れちゃった?」


 仕方なく茶化すものの、反応はない。

 一体なんだというのか。

 だが、微かに揺れていた瞳が止まり、瞬きと共にこちらをしっかりと見つめた。


「……もしもーし?」


 今なら伝わるかと、声をかけてみれば、小さく微笑まれた。


「それはなに?」

「え、あ、うーん? ”もしもし”の事か? えーっと……ただの呼びかけだよ。電話とかで言うだろ」

「電話……そうなんだ。へぇ……」


 10歳は超えている見た目ではあるが、死神は人間の生活をあまり見ていないのだろうか。

 天国と地獄を決めるのに、人間の生活というものはいらないということか。

 よくわからない死神事情に思いを馳せていれば、目の前の死神は、先程の元気はどこに行ったのか、少しだけ視線をどこかにやっていた。


「どうした?」

「えっ、あ、ううん。えっと……なにしてたんだっけ……」


 少しだけ眉をしかめる死神に、違和感があったが、少し焦るように考える姿に、いつもの場所に向かっていることを伝えれば、嬉しそうに顔を上げた。


「そうだったね! いつもの場所、行こっか!」


 ムリに出しているような声で、通路の向こうに体を向ける少女に習い、視線を上げれば、通路が少し暗くなっていた。

 電気なんてものがあるのかは疑問だが、この近代的な死後の世界は、蛍光灯らしきものは見えるわけだし、おそらく電気があるのだろう。


 黒い蛍光灯を眺めながら、足取りの重くなっている少女の後ろをついていく。


「……なぁ、調子が悪いなら少し休んだらどうだ?」


 明らかに様子がおかしい。


「だいじょうぶ」


 顔を一向に合わせない少女に、一歩近づいた時だ。

 少女は突然、頭に手をやり、蹲った。


「ぅ゛、ぁ゛っ……」


 苦しそうに呻く少女に駆け寄り、手を伸ばすが、その手は彼女の体をすり抜けた。


「!?」


 少女の体があるはずの場所なのに、何も触れている感覚がない。


「ぅ゛……んぅ゛……」


 だが、苦し気に脂汗をかいている彼女の声に、伸ばした手を強く握り、地面に膝を付け、呼びかける。


「おい! 大丈夫か!?」


 やれることなど、これくらいしかない。

 触れられず、支えられず、助けを呼ぶこともできず、呼びかけることしかできない自分に、少女の目が少しだけ向いた。


 直後、少女は消えた。


「消え、た……?」


 周囲に目をやっても、少女の姿は無い。


「…………」


 また暗くなっている。

 それどころか、ところどころ建物が歪み始めている。


 本能的な危険を感じるが、逃げ場などわからない。

 もう死んでいるということもすっかり忘れて、ホルスターに入っているハンドガンを取り出し、周囲を警戒する。


 暗く、歪んだ世界。

 そんな世界で、生きるなどということを考えることがおかしいのかもしれない。

 それでも、死にたくないと、相変わらず願ってしまうのだ。


 壁の向こうから聞こえる物の拉げる音に、銃口を向ける。

 確認できていない変異種と相対する時のような緊張感の中、大きく歪み、拉げた通路から現れたのは、小さな赤い獣だった。

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