第40話 別人となって

 

 うううっ


 うめき声と同時に倒れるカナ。


 エルシアが視線を飛ばすと同時に、ケインが駆けつける。


 そして、息を確認するとエルシアに頷いて見せた。



 エルシアは凛とした佇まいで、国王を仰ぎ見る。



「陛下、この度の始末を任せて頂いたこと感謝致します。この子は無事に死んだようですわ」


「……ならば、よい」



 国王は、言葉少ないながらも了承の意を示した。




 ケインはカナを棺に入れると、もう一人の官僚とともに遺体を運び出そうと動き出す。




「罪人は火に焚べましょう。ですが、その前に殿下にもこの苦悶に満ちた顔を見せてあげたいの」


「畏まりました」



 エルシアが皮肉げに、嗤いながらそう言うと貴族達からはざわめきが聞こえてくる。



 普段は優しげな彼女の、別の一面が垣間見えたからだろう。



 指示に従ってケイン達は、王太子の自室へ向かった。




 ざわざわざわざわ



「これにて、閉会!」


 陛下の言葉を受けて、ざわめきながらもゾロゾロと帰路につく貴族達。





「……エルシアの印象が一気に変わったぞ。本当にこれでよかったのか」



 国王は彼女を案じるが、エルシアは至って平気だ。



「あら、陛下。わたくし、王太子妃になるんですもの。怒らせたら怖いと思われているくらいで、丁度良いのですわ」



「ふっ。そうだな」



 いつの間にか。


 か弱いだけのご令嬢から、しっかりとした未来の王太子妃として成長したエルシアを国王は頼もしく思った。




「ならば、早く行きなさい」



 エルシアはその言葉に、見事なカーテシーで答えると、その場を後にしたのだった。




 ★



「おい、ケイン。本当に大丈夫なんだろうな」


 クロードは棺の中で眠るカナを覗き込む。



「そのはずですよ。息もしていますし。男爵を脅して手に入れた介がありました」



 ケインは懐から、睡眠薬の残りを取り出した。



 もちろん只の睡眠薬ではない。


 超強力のソレは一瞬で眠れる効果があった。


 但し、効果は短時間のみだが。



 ケインは、医者である男爵に国王がマリーの罪で一族郎党まで死罪にすることを検討していると嘘の情報を伝えていたのだ。




ーー取りなすかわりに、睡眠薬を要求したのである。



 無論、口外しない約束で。



「……無茶をさせて、悪かった。ありがとう」



 クロードはカナの寝息に、ホッと胸を撫で下ろす。



 だが、ケインは首を横に振った。



「殿下の無茶は、今に始まったことではないですからね。それにお礼はエルシア嬢に。発案者は彼女ですから」



 コンコン



 ケインが言い終わると同時に、エルシアから内ドアをノックする音が聞こえる。



「……殿下、ケインさん。カナは本当に大丈夫でしたか?」



 ドアを開けると同時に、飛び込んできたエルシアはクロードと同じ事を言う。



 二人は苦笑いで答えた。



「ああ。エルシアのおかげで無事だ。後は目覚めるのを待つだけだな」



 クロードの言葉が合図であったかのように。



 パチリ


 たった一欠片しかパンを口にしていないカナは、意外と早く眠りから覚めたのであった。




 ★




「……え? 生きてる???」



 自分の両手を握ったり開いたりしながら。


 困惑するカナは、周りを取り囲む大人達を見て更に驚いた。



「で、でんか? エルシアさま? あと誰??」



「では、急ぎ残りの始末をつけましょう」



 誰? と聞かれたケインは、質問には答えず急ぎ足で棺からカナを出す。



 そして、部屋の前で待っていた官僚とともに棺を担ぐとクロードの自室を後にした。



 ちなみに、この官僚はケインに弱みを握られ協力させられた哀れな人である。




 ケインが急ぐのには理由があった。



 彼はこれから、エルシアの指示通り棺を燃やす。


 そして、それを持ってカナは死亡したと周りに言い触らさなければならないのだ。



 エルシアはケインを見送ると、カナに向き合った。



「カナ、貴女は助かったの。いえ、殿下の願いでわたくし達が守ることにしたのよ」



 キョトンとするカナは、まだ事情を呑み込めていない。



「エルシアがカナに渡したパンは、黒死麦と毒入りのパンじゃなかったんだ」



 そんなカナを見て、クロードも言い聞かせるように、ゆっくりと説明した。



 カナが食べたパンは、エルシアが炭を練り込んで真っ黒にした、ただのパンで。


 気を失うように眠ったのは、睡眠薬の効果だと。



「……生きていても、いいの?」



 恐怖が安堵に変わったからだろう。



ーーあ。ありがとう、ございます



 カナはポロポロと涙を溢す。



(……怖かったわよね。牢屋に入れられて、きっと役人たちからも、色々言われたでしょうしね)




 エルシアは、彼女の涙を指先で拭いてやった。



「怖い思いをさせて、ごめんなさいね。もう大丈夫。だけどーー」



 そこからは言いにくそうに続けた。



「もう、カナという少女は亡くなったことになったの。貴女はこれからナタリーとして生きるのよ」



 エルシアはカナの両肩を握って、言い聞かせた。


 カナという少女は社会的には亡くなった。


 もう、戻れない。



「……ナタリー?」


「そうよ。そして、わたくしの弟が小麦の研究をする過程で知り合った、貿易商の老夫妻について行きなさい」



 先進国からやって来た彼らは、カナの境遇に同情し養女として育ててもよい、と言ってくれたのだ。




ーー異国で知らない人と暮らす




 衝撃的な事実にカナは、固まるが。


 次の瞬間には覚悟したように頷いた。



(……強い子だわ)



 きっと、この子も短時間で大きく成長したのだろう。



「では、殿下。カナを連れて、自室に戻りますわね」



 エルシアはカナの小さな手をしっかり握って、立ち上がった。



「ああ、よろしく頼む。俺の方からエルシアに貿易商を呼ぶように伝えよう」



 こうして今回の事件の労りとして、クロードからエルシア宛に貿易商が呼ばれるまでの短時間。



 エルシアは、カナに2通の手紙を手渡した。



「これは、伯爵領の孤児院から。こちらは、つい最近までいた子爵領の孤児院からよ」



 字が読めないカナの為に、読み聞かせる。



 それはどちらも、彼女の安否を心配するものだった。



「貴女は、とても素敵な女の子なのね。こんなに沢山の人が貴女を心配してるんだわ」



 カナの目からは大粒思う涙が溢れる。


 この手紙は彼女の宝物となった。



 コンコン



「エルシア様。クロード殿下より、お呼び頂きましたマカダミア商会と申します」


「……入りなさい」



 こうして、カナはこの瞬間からナタリーと名前を変え、老夫妻が持って来た衣装ケースに身を隠して城を出ていく。



(……無事に先進国に渡れますように)


 ナタリーと言う名前で、クロードが通行許可証まで作ったのだから大丈夫だとは思いつつ。




 それでもエルシアは、窓際から小さくなって行く彼らの無事を願って。


 いつまでも、その背中を見送るのであった。

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