第34話 冤罪のエルシア


(……ああ、早く! 早く殿下の元へ行きたいわ)



 侍女達が湯浴みをし、身支度を整えてくれる時間。



 それがエルシアには、いつもより長く感じる。



「出来上がりました、エルシア様」



 その言葉を合図に、飛び出すように自室のドアを開けたエルシアだったが、それ以上は進む事が出来なかった。



ーーなぜなら、彼女の前には騎士達を引き連れた宰相が立ちはだかっていたからだ。



「エルシア様。貴女様を、これより自室での軟禁とさせて頂きます」



「……どうして、わたくしが?」



 訳が分からないエルシアは困惑するばかりだ。



 だが、宰相は浮かない顔をしながらも、はっきりと言う。



「孤児院に事情聴取を致した結果、カナと言う少女が殿下に手渡したパンは、エルシア様から頂いたと話しましてな」



ーーいや、正解には『エルシアと名乗る女』にですが。



 宰相はエルシアの表情を見逃さないよう、こちらを見据えてくるがエルシアには全く心当たりがない。



「それは、わたくしではありませんわ」



(……そもそも、カナって少女が誰かも分からないのに!)



 勿論、彼女は反論する。


 だが宰相は、疑い半分と言う目を向けてこう言った。



「……左様でございましょうな。ですが、両陛下がいらっしゃらない今。それを裁決することは出来ないのですよ」



ーー留守を預かる宰相としては、冤罪であろうと危険なエルシアを外に出すことは出来ないと言う。



「そんな、お願いです! わたくし、殿下の所へ行きたいのです! 見張りを付けて頂いて構いませんからっ」




 例え、何をすることが出来なくても。


 愛しい人が苦しんでいるなら、側にいたい。


 けれど、そんなエルシアの悲痛の叫びは、益々宰相に疑念を抱かせただけのようだった。



「なりません。貴女様に出来ることは、部屋で殿下の為に祈りを捧げることくらいですかな」



 訝しげな目で睨みながら、宰相は去って行く。


 騎士がエルシアを自室に押し込めようと、近付いて来た。



「……ああ、せめて殿下の容態だけでも」


 そんなエルシアの呟きに応えるように。


 ケインがこちらに向かって走って来るではないか。




「ハァハァ。君達、すまないが少しだけ時間が欲しい」


 殿下の側近の登場に、騎士達も仕方なく頷き端に避ける。


 ケインはエルシアの前で膝を折り、臣下の礼をとった。


 騎士達に、自分はエルシアの無実を信じると見せつけるためである。



「ケインさん! 何を!?」


 驚くエルシアに構わず、彼は早口でまくし立てた。



「殿下は、只今処置室にて医師が治療を行っております。その黒い斑点と症状から黒死麦を食べたのだとの見立て。なお、様々な投薬の効果は薄く、今は運を天に任せる状況とのこと」



「……なんてこと」



 エルシアの膝は恐怖でガクガク震えているし、体に力が入らない。



「ただ、エルシア嬢が大部分のパンを吐かせたおかげで、これでも症状は他より軽いとのことです」



 その物言いにエルシアは疑問を感じた。


 黒死麦とは、確か遥か昔に焼き尽くした死の麦のことだ。



ーー症状の軽い重いを誰かと比べるのは不可能ではないのか



 彼女の表情から、疑問を感じ取ったケインは続ける。



「実は、数日前よりマリー令嬢の父である男爵の領地で、似た症状で倒れる者が急増しておりまして」



 男爵は高名な医師でもあることから、その治療に当たる中で黒死麦の存在が頭に浮かんだと言う。


 殿下の病名がすぐ特定出来たのは、男爵が似た症状をすでに診ていたからだ。



「男爵がマリー令嬢の失踪及び、黒死麦の件を殿下に謁見の間にて報告しようとした所、此度の事件が起きたとのことです」



 男爵はマリーの失踪に気が付いた後も、娘可愛さから中々、王家に報告出来なかったそうだ。


 だが、黒死麦のことは見過ごせないと重い腰を上げたと言う。



「……その、倒れた人達は助かったのですか?」



 エルシアは胸を押さえながら声を絞り出す。



(助かったと言って!!)



 けれど、ケインは首を横に振った。



「今の所は、まだ何とも。皆が生死を彷徨っているとのことでございます」



 ガンガン頭が鳴り響く。


 何と答えたらいいのかすら、分からない。


 もし、黒死麦を持ち込んだ犯人が此の場にいたら、エルシアは我を忘れて殴りかかったかもしれない。



「そろそろ、お時間です」


「……分かった。では、これで。エルシア嬢の無実は必ず陛下が証明なさるでしょうから、ご安心下さい」



 話を切り上げろと騎士達に注意され、ケインは話をし過ぎたことを詫びて行ってしまう。


 一人、取り残されたエルシアは呆然とする。


 今は冤罪をかけられたことなど、どうでも良かった。



ーー昨日は、隣の部屋に殿下がいらっしゃったのに


 今はこんなにも、彼が遠い。


 ただ、クロードの近くに行くことすら出来ない自分が無力で。



 エルシアは出された夕食にも手を付けず、窓の外を見つめるのであった。

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