ハーフウェイ・ハーフライト

Ash

第1章 変わり果てた世界

出会い

第1話

 震える。


 その言葉は何を連想させるだろう。凍てつく寒さか、身体を強張らせる恐怖か、はたまた別の何かなのか。彼女にとっては、たった今、自分の身に起きている生理現象が結びつく。

 お腹が空く、という次元はとうに通り越している。お腹が空いて気持ち悪い、という感覚も遥か遠い昔のことに感じる。只々、身体の震えが止まらない。もちろん、そんな思考を巡らせていても食糧にありつけるわけではない。動く必要があるのだが、動かすことができない。身体が、まったくもって言うことを聞かないのだ。そんな考えも虚ろになり、だんだんと意識が薄れていく。


「……大丈夫?」


 そんな意識の中で頭に響く声を、彼女は迷いもなく空耳と認識していた。長い時間、どれくらいかわからないほど、人間の声を聞いていないのだ。彼女がそう受け取るのも、無理はない。


「誰……」

 

 しかしながら、本物の人間が自分を見つけ出したのだとすれば、その希望を掴まない手はない。持てる力を振り絞って出すことのできた微かな声を、彼女に話し掛けた男は正確に拾ってくれたようだ。


「誰って……それより本当に、大丈夫?君、死にそうに見えるけど」

「……で?」

「……で?って……え?」


 思わず、男は聞き返す。そうなるのも無理もない。


「見てくれからして、何も食ってないだろ……水も飲んでないか、一週間くらい。そうだな……あと二日。何も飲み食いしなけりゃ、君、死ぬよ」

「あたしは……ここでは…死ねない……」


 彼女はそう言って、一瞬、鋭い眼差しを見せた。ただ、目がよく見えていないのか、目線はもはや声を掛けてきた相手すら向いていない。そのまま彼女は目を閉じて暗闇の世界へ落ちていった。


「……もしもし。 新宿駅近くで、少女を発見しました。年齢は……18くらいでしょうか、未成年に見えます。相当やつれていますが……いま処置すれば間に合うと思います。連れて帰っていいですか?……ええ。分かりました」


 男は電話を切り、壁にもたれ掛かり座っている少女に目を移す。やつれているだけではない、真っ黒に汚れていて、まるで何週間もそこに放置されていた粗大ゴミのようだった。疫病の蔓延による混乱が収束してから、三年が経過している。それにも関わらず、まだこのような光景を見ることができてしまうのだ。

 男の表情は、悲壮感に溢れていた。月日は流れても、この世は前に進んでいない。元に戻るどころか、後退しているのではないか。そんな考えが巡るほど、酷い有様なのだ。

 男は少女を優しく抱きかかえるが、あまりの軽さに驚きを隠せない。生きている人間の重みを感じ取ることができないのだ。そして、抱き上げて距離が近づくと腐敗臭が鼻をつんざく。男は少女を傷つけまいと丁寧に、それでいて足早にその場を立ち去った。

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