第10話 ロマンチックな教師

 いとこの3兄弟と久々に一緒になった。親戚お決まりの仏教的行事である。

私もほんの少し片鱗があるが、この3人は何しろ彫りが深い3兄弟。

 3兄弟の上の兄と姉は派手で快活、何をするにも、ものすごく目立っていた。対して、末っ子のやっちゃん(仮名)はおとなしい印象であった。

 "やっちゃん"となれなれしく呼ぶが、かなりのおっさんである。親しい親戚であれば、ティーンエイジャーからであっても、"やっちゃん" と呼ばれている。ちなみに、私の父親は "みっちゃん"である


 このやっちゃんの最初の就職先は鉄を作る某大企業の実業団バレー部だった。これはバレープロ化前の話だ。私は背が低いが、うちの親戚には2メーターに2cm足りない人とかいて、総じて体が大きかった。やっちゃんは選手としては大きくないが一般レベルでは体が大きい。

しかし、何年かして高校の体育教師になった。資格とか "つて" とか "コネ"とかよくわからないが浜◯工業高校定時制の体育教師となった


 その頃の定時制は、半分はヤンキー、もう半分はいじめやその他、訳あって入ったという感じの構成だったらしい


 その高校には定時制のバレー部は無かった。

そんな時、「先生、バレー部を作ってください」と言う要望が生徒から出た。やっちゃんは1つだけ注文を出した。

「部を作るんだったら全国ベストエイト以上を目指さなければだめだ。そうでなければ作らない」生徒たちは了承し、バレー部ができた。

 ある日、授業が長引いたか何かで、本日の練習は休みということにしようとした。そうしたところバレー部員の一人が、「なんで練習をやらないんだ、ベストエイトに入るんだろ」と凶器の鉄の棒を持って職員室に "おいでになった" ことがあったという

そんな情熱があったのかと、びっくりすると同時に、楽しくてしょうがないんだなと感じていた。そして80名の定時制の生徒のうち25名がバレー部員となった

ここまでは非常に美談。


 昔の定時制あるあると言うのか、まず最初にどっちが強いのかと、突っかかってくる生徒が少なからずいたらしい

 そんな時、結局最後は馬乗りになって、そういう奴をボコボコにしていたと言っていた。自分の身が危ないからしようがない、最後は誰かが止めてくれるから大丈夫だとのこと。やっちゃんの兄貴がやっちゃんのことを武闘派と言っていた意味がわかった


 ふた世代前ぐらいのドラマの金八先生はもう暴力を振るわなくなっていた。そのまたふた世代前ぐらいのラグビー部の先生は、「俺はお前達を殴る」と言って泣きながら殴った。その世代の先生が、現代に蘇ったのがやっちゃんだな


 そんなヤンキー達も、27歳の新入生には一目置いた。その道の人で、なぜ27歳かと言うと、自由の利かない別荘に入っていたからだ。薄着の時にはタトゥーよりも本格的な刺青がちらついた。ただでさえ別荘帰りなので、高卒の称号ぐらいないと、まともな就職ができないから入ったとのこと。本来、力を誇示し合って荒れるクラス内がおとなしくなった


 練習はしっかりやっていた

ニッカポッカで練習する奴がいたり、体育館の周りが黒塗りのクラウンばかりになったりと、楽しい話題に事欠かない。練習中ボールが顔に当たって喧嘩になりそうになるなんて、リアルRookiesじゃないか

そんなこんなで平塚で全国定時制バレーボール大会が開かれた。

 赤い頭や黄金の頭が本当に必死に、一生懸命プレイしてベスト16になった。当時、神奈川県に住んでいた長兄は弟のチームの応援に行ったのだが、その必死なプレーを見て、部員たちに「お前ら、本当にかっこいいぞ」と声をかけた。まるでテレビドラマだよ

 その後、やっちゃんのチームはベストエイト2回、3位に1回なったとのこと

 あいつら心が弱くて、サーブで崩されると、なかなか調子を戻せないと言っていた


 そして全日制高校の掛◯工業高校、島◯工業高校と職場は移っていった。定時制時代の教え子たちがわざわざ50キロ以上離れた新職場の島◯工業高校に来てくれたこともあったらしい。威圧感のある車と、それなりのバイクで派手に来てバツが悪かったと言っていた。でも嬉しかったんだろうな


 定時制では馬乗りになってボコボコにしても全く問題にもならなかったと言う。そういう奴はみんな、親と住んでいないと、少し悲しい話だ

 全日制でも武闘派ではあったが、ビンタしかしていないと言っていた。悪そうな奴がいると必ずやっちゃんのクラスになったらしく、「僕は殴りますけどいいですか」と一応は上に聞いてはいたと言うが、その返答は容量を得ないらしい・・・


 別のおじさん系で、いとこのカナコがいる。カナコが高校生の頃、やっちゃんが教師をしている高校の学園祭でやっちゃんを見かけ「やっちゃん」と声をかけたら周りが深海ほどの冷たさになりピリついたとの逸話を、いろんな人から聞いたことがある


 そしてこの春、このまま教師をやっていると捕まるといって、高校教師を止めTシャツ屋さんになった

ユニフォームも扱うのかと聞いたらTシャツだけだと言う。Tシャツなんて作るのは、高校生が文化祭と体育祭で作る位しか無い。本当に大丈夫かと聞いたら、ネットでの取引なので日本中が相手だと言っていた

 この家系は自分で商売を始めることが血の中に入っている。奥さんも働いているし大丈夫だろう


 そのままやってれば教頭とか校長になれたんじゃないかと言ったら、校長と教頭は行政職であって、県庁とかに机があるはずの人がたまたま出向して高校とかにいるだけと言った。

 あれは試験を受けて獲得する全然違う給与体系の別物。普通の先生が偉くなったんじゃないと言う


Tシャツ作ろうかな

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