対等

 夕食を終えた後、クリスティーヌはユーグからアシルス語を習っていた。

「つまり、この言い回しを使えばよろしいのですね」

「その通り。クリスティーヌ嬢は覚えが早い」

「ありがとうございます」

 クリスティーヌはやる気に満ちた笑みだった。

「じゃあもう1度やってみようか」

「よろしくお願いします」

 2人はアシルス語で話し始めた。

 クリスティーヌのアシルス語は日常会話くらいまでのレベルに達していた。ゲオルギーにアシルス語で手紙を書いてみたところ、完璧だとお墨付きも貰っている。

「そうだ、クリスティーヌ嬢、明日の夜会のことは聞いているよね?」

 落ち着いたところで、ユーグがそう切り出した。

「ええ、キトリー様からお聞きしました。女王陛下と王配殿下の歓迎と交流も兼ねた舞踏会を開催すると」

「そっか。それなら、今から少し時間あるかな?私の部屋に来て欲しいんだ」

「……はい」

 クリスティーヌは少し戸惑いつつも頷いた。

 ユーグの部屋に行くと、ドレスとアクセサリーが用意されていた。マリンブルーの令嬢らしいシルエットのドレスと、ヘーゼルカラーのスフェーンのネックレスとブローチ。

「この前フレデリクさんの仕立て屋に行ったのは覚えているよね?」

「ええ、覚えておりますわ」

 クリスティーヌは社交シーズン中、ユーグと2人で平民風の服装をして王都を歩いたことを思い出した。平民風の服を購入したのがフレデリクの仕立て屋だ。

「そこでこれらを仕立ててもらったんだ。クリスティーヌ嬢へのプレゼントとしてね」

「え? わたくしにでございますか?」

 クリスティーヌは戸惑っていた。

「こんな上質なドレス、畏れ多くていただけません」

「君が貰ってくれないと私が困るんだよ。クリスティーヌ嬢、貰ってくれるかな?」

 とろけるような甘い笑みのユーグ。その表情で見つめられたクリスティーヌは、頬がりんごのように赤くなる。心拍数もいつもより上昇してしまった。

(ずるいわ。そんな顔をされたら断れないじゃない。それに、勘違いしてしまうわ)

 クリスティーヌはユーグからドレスとアクセサリーを受け取ることにした。

「よかった。絶対に君に似合うと思ってね。受け取ってくれて嬉しいよ」

 ユーグは満面の笑みだ。

「恐縮でございます」

「明日、是非それらを身につけて欲しいんだ」

「……承知いたしました。わざわざありがとうございます」

 クリスティーヌの心臓はまだバクバクしていた。






−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−






 次の日の夜。

 キトリーが主催する夜会が開かれた。ルナとシャルルをもてなす場だ。

「クリスティーヌ様、そのドレスとアクセサリーはお兄様からのプレゼントでございますよね?」

 マリアンヌがワクワクとした様子で聞いてくる。ユーグは丁度ルナとシャルルに挨拶をしているところでこの場にはいない。

「ええ、左様でございますわ。こんな上質なドレスとアクセサリーを贈ってくださるなんて驚きました」

 クリスティーヌは少し戸惑いながら微笑んだ。

「お兄様はクリスティーヌ様だからプレゼントなさったのですよ」

 マリアンヌはそう呟くが、周囲が賑やかだったのでかき消されてしまった。

 そこへ、ベアトリスとリーゼロッテもやって来る。

「ご機嫌よう、マリアンヌ様、クリスティーヌ様」

 鮮やかな赤のドレスを纏っているベアトリス。

「お2人共、ドレスがよくお似合いでございます」

 リーゼロッテは淡いクリーム色のドレスだ。ストロベリーブロンドの髪とよく合っている。

「お褒めのお言葉、光栄でございます」

 クリスティーヌは淑女の笑みだ。

「ベアトリス様とリーゼロッテ様も素敵なドレスをお召しでございますね」

 ふふっと笑うマリアンヌ。ふんわりとしたピンク色のドレスが可愛らしい。

「そういえば、女王陛下の兄君はネンガルドの王配殿下でございましたよね?」

「左様でございますわ、クリスティーヌ様。わたくし、先程女王陛下にご挨拶に参りましたの。確かに、我が国の王配殿下とお顔立ちが似ておられましたわ」

 ベアトリスがふふっと笑う。

「それよりクリスティーヌ様、論文を書くことになったそうでございますね」

 ベアトリスはクリスティーヌにぐいぐい迫る。

「ええ、アーンストート先生からお聞きになりましたのでしょうか?」

 クリスティーヌは少し後ずさった。

「ええ。初めはクリスティーヌ様もわたくし達と同じレベルでございましたのに、悔しいですわ。ですが、応援しております。クリスティーヌ様には、必ずやり遂げていただきたいですわ」

「ありがとうございます、ベアトリス様」

 クリスティーヌの表情は綻び、ベアトリスの手を握った。

「クリスティーヌ様はとても優秀だとお聞きしました。わたくしも応援しております」

「本当にクリスティーヌ様は薬学がお好きでございますね。わたくしも、クリスティーヌ様を応援いたします」

 リーゼロッテとマリアンヌはクリスティーヌに尊敬の眼差しを向けた。

「ありがとうございます」

 クリスティーヌは少し照れたように笑っていた。

「クリスティーヌ様、わたくしもより精進して、きっと貴女に追いついて見せますわ」

 ベアトリスは強気の笑みだ。どうやら負けず嫌いなようだ。

 その後、4人はそれぞれ男性とダンスをしたりと夜会を楽しむのであった。






−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−






 クリスティーヌはバルコニーで夜風に当たっていた。風はほんの少し冷たい。

「休憩中かな? クリスティーヌ嬢」

「ユーグ様……」

 いつのまにか隣にはユーグがいた。クリスティーヌは少しドキドキしてしまう。

「少し、疲れてしまいまして。夜風に当たっていたところでございます」

「そっか」

 しばらく沈黙が続く。

 その時、少し強めの風が吹いた。その風に、クリスティーヌは体を震わせる。

「クリスティーヌ嬢、ここは少し寒い。休憩場所にぴったりな部屋があるから、私と一緒に来て欲しい」

 ユーグからそう言われ、クリスティーヌはついて行くことにした。

 そこは、会場から少し離れた部屋だ。

「ここなら静かだし、窓の外の景色が綺麗なんだ」

 ユーグはふふっと笑う。

 クリスティーヌは窓の外を見てみる。

 満天の星だ。バルコニーからは見えなかった。

 クリスティーヌは、「わあ……」と感嘆の声を上げる。

「こんなに星が綺麗に見えるなんて……」

 クリスティーヌの目は星のようにキラキラと輝いていた。

「家族にも秘密にしているんだ」

 ユーグはクスッと笑う。

「それなのに、なぜわたくしに教えてくださるのですか?」

「どうしてだろうね?」

 ユーグは悪戯っぽく笑った。

 クリスティーヌの心臓は高鳴る。

「クリスティーヌ嬢、私と1曲ダンスはいかがかな?」

 ユーグはクリスティーヌに手を差し伸べる。

「それは……」

「クリスティーヌ嬢、ここには君と私の2人しかいない。だから、ダンスをしても問題ないはずだ」

 ユーグのヘーゼルの目は、クリスティーヌを真っ直ぐ見ている。

「……承知いたしました。……喜んで、お受けいたします」

 クリスティーヌは少し俯きながら答えた。

「ありがとう」

 ユーグは満足そうに微笑む。

 2人はゆっくりと踊り始めた。クリスティーヌは今までとは違うように感じた。男性にリードされているような感覚ではなく、自分の意思で舞うことが出来ているような感覚。守られるのではなく、肩を並べて共に舞っている。

 その様子を見ている者がいた。キトリーだ。

(あの2人はもしかして……)

「キトリー、何をしているの?」

 突然後ろから声が聞こえたので、キトリーは体をビクッとさせた。

「ルナ、驚かさないでくれ」

 キトリーは苦笑した。

「申し訳ないわ。主催の貴女があの会場からいないからどこにいるか気になったのよ。まさか息子のユーグとクリスティーヌのやり取りを覗き見しているとは」

 悪戯っぽく笑うルナ。

「少し気になっただけさ。……クリスティーヌ嬢には、家格のことさえなければヌムール家に嫁いで来て欲しいくらいだよ」

「あの2人のダンスは、夫婦の理想の形ね。対等だわ。クリスティーヌはユーグに守られるのではなく、共に戦うことが出来るわ。それに、彼女の実力なら家格差を埋めるだけの後ろ盾はきっと得られるはずよ」

 ルナは確信したような目でダンスをしている2人を見ている。

「そうなってくれたら私も嬉しいね」

 キトリーはフッと笑った。

 そのまま2人は会場に戻って行った。

 一方、キトリーとルナに見られていることに全く気付いていないクリスティーヌとユーグ。2人は丁度ダンスを終えたところだ。

「ありがとう、クリスティーヌ嬢。私と踊ってくれて。そして、贈ったドレスとアクセサリーを身に着けてくれて。とてもよく似合っている」

 ユーグはクリスティーヌを真っ直ぐ見つめている。

「ありがとう……ございます」

 クリスティーヌはユーグから目を逸らしてしまう。

「それに、君に私の目の色のアクセサリーをずっとプレゼントしたかったんだ」

「それは……」

 どう言う意味かと聞きたかった。しかし言葉が出てこなかったクリスティーヌ。心臓はバクバクしている。

(怖い。このままだと、ニサップ王国の醜聞の顛末みたいに……フェリパ様のように破滅の道を辿ってしまうかもしれないわ)

 クリスティーヌは必死に煩い心臓を落ち着けた。

「ユーグ様、わたくしそろそろ会場に戻ります。ありがとうございました」

 クリスティーヌはユーグの方を振り返らないようにして部屋を出るのであった。

 ユーグは切なそうにクリスティーヌの後ろ姿を見つめていた。

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