薔薇の会・前編

 クリスティーヌは関係を持っておくべき貴族令息や令嬢と一通り話をすることが出来た。そしてその後飲み物を貰い、壁際で少し休憩する。

(きっとユーグ様はわたくし揶揄からかっただけなのよ。公爵家の後継ぎがわたくしを相手にするわけがないわ。わたくしは小麦の生産に少し強いだけのしがない男爵家の娘よ)

 クリスティーヌはバルコニーでのユーグとの出来事を思い出し、自分にそう言い聞かせた。そして軽くため息をつき、グラスに注がれている炭酸水を飲む。口の中でシュワシュワと弾けてすっきりした。まるでクリスティーヌの戸惑いをかき消すかのように。

(さあ、他の方々にも話し掛けに行こうかしら)

 クリスティーヌはグラスを戻して動こうとする。その時、とある人物が目に入る。

 ブロンド髪に青い目。第2王子のレミだ。

(レミ・ルイ・ルナ・シャルル第2王子殿下、やはり王族の方は品格があるわ)

 クリスティーヌは王族に無闇に視線を向けるのは失礼だと思いつつも、堂々としていて風格のあるレミに見惚れてしまった。

 その時、クリスティーヌはレミと目が合う。レミは優雅で神々しい笑みをクリスティーヌに向けたように見えた。

(え……?)

 突然のことで、クリスティーヌは一瞬思考停止してしまう。

 レミがクリスティーヌの方へやって来る。

(待って、今第2王子殿下と目が合ってしまったわよね? それに、こちらにお越しになるわ)

 クリスティーヌは内心とても慌てていた。しかし、いつも通りの見事なカーテシーでレミに対応することが出来た。

「初めまして。ご機嫌よう、お嬢さん」

「お初にお目にかかります。お声がけいただき大変恐縮でございます。身に余る光栄でございます、レミ・ルイ・ルナ・シャルル第2王子殿下。クリスティーヌ・ジゼル・ド・タルドと申します。タルド男爵家の次女でございます」

 顔を上げ、クリスティーヌは品のある淑女の笑みを浮かべる。背筋は重力に逆らうようにスッと伸びている。

「クリスティーヌ嬢か。では1つ質問しよう。君は普段何をしている?」

「普段……でございますか?」

 レミからの突然の質問に、クリスティーヌきょとんとしてしまった。

「ああ、普段だ。ありのままを答えてくれたまえ」

 レミは品定めをするような目で、クリスティーヌを見ている。

(質問の意図が全く分からないわ。だけど、見栄を張ったり虚偽の発言をすると不敬罪になりかねないわ……)

 クリスティーヌは戸惑いを隠し、品のある淑女の笑みを浮かべる。

わたくしは、領地経営、小麦の栽培、薬学の本を読み、勉強しております。また、時々剣術で体を鍛えております」

 クリスティーヌは嘘偽りなく、やっていることを全て答えた。

「そうか。それは全て己の為かな?」

「領地経営と小麦の栽培の勉強はタルド家や領民の為でございます。薬学の勉強と剣術はわたくしの趣味のようなものでございます」

 クリスティーヌは落ち着いて答えた。

「なるほど」

 レミは満足気に頷いた。

「ありがとう、クリスティーヌ嬢。では、

 クリスティーヌは面食らっていた。

(第2王子殿下……一体どういうおつもりなのかしら?)

 クリスティーヌはレミの目的が全く分からなかった。

 そしてそのまま成人デビュタントの儀は終わるのであった。






−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−






 レミの目的が判明したのは数日後のことだ。

 成人デビュタントの儀の翌日、クリスティーヌ宛てに王宮への招待状が届いた。送り主はレミだ。

 王家との繋がりが全くなかったタルド家にそのような招待状が届き、両親や兄達はとても驚いていた。クリスティーヌも驚いてはいたが、成人デビュタントの儀での質問と関係があるのだろうと考えた。だが、心当たりのないところで失態を犯してしまったのではないかという不安もあった。

 冷静ながらも少し不安を抱えたクリスティーヌは、ファビエンヌとドミニクと共に辻馬車で王宮に向かう。

 王宮に到着すると、ファビエンヌとドミニクは従者用の部屋で待つことになり、クリスティーヌだけが王宮の護衛騎士に豪華絢爛な扉の前まで案内された。

 護衛騎士が扉をノックすると、中から「どちら様かな?」とレミの声が聞こえた。

 護衛騎士がクリスティーヌの到着を伝えると扉が開く。クリスティーヌは部屋に入り、カーテシーをする。

「ご機嫌よう。よく来たね、クリスティーヌ嬢」

「この度は、お招きいただきありがとうございます。身に余る光栄でございます、レミ・ルイ・ルナ・シャルル第2王子殿下」

 クリスティーヌは頭を上げ、淑女の笑みを浮かべた。

「さあ、クリスティーヌ嬢も好きな席に座りたまえ」

「恐縮でございます」

 クリスティーヌは淑女の笑みを崩さなかった。そしてある場所へ向かい、カーテシーをする。

「あら、律儀なのね。おたいらになさってちょうだい」

 クリスティーヌの頭上から、優美な声が降ってくる。

「恐縮でございます。イザベル・ルイーズ・ルナ・シャルロット第2王女殿下。わたくしはクリスティーヌ・ジゼル・ド・タルドと申します」

 クリスティーヌは一方的にイザベルのことを知っていた。しかし、挨拶をするのはこの日が初めてだ。

「クリスティーヌ様、いえ、親しみを込めてクリスティーヌとお呼びするわね。わたくしのことも、この場ではどうぞイザベルと呼んでちょうだい。他の方々にもそうお願いしているわ」

 王族らしい気品に溢れた笑みのイザベル。

「そんな、畏れ多いことでございますわ」

 クリスティーヌは気後れしてしまう。

 その様子を見たレミがハハハッと高笑いしながらクリスティーヌの近くにやって来る。

「この集まりは無礼講さ。気にせずイザベルと呼んであげたらいい。私のことも、気軽にレミと呼んでくれたまえ」

 レミは明朗快活だ。「それから」と話を続け、レミはイザベルの隣にいる太陽の光のようなブロンド髪に紫の目をした少年の肩をポンと軽く叩く。

「アンドレのことも気軽に呼んであげるといい」

 クリスティーヌはアンドレと呼ばれた少年に対してカーテシーをする。

「クリスティーヌ様、お顔を上げてください」

 まだ声変わりしておらず幼さが残るが、柔らかで品のある声がクリスティーヌの頭上から降ってくる。

「恐縮でございます、アンドレ・ルイ・ルナ・シャルル第3王子殿下」

 クリスティーヌがゆっくりと頭を上げると、アンドレは穏和な笑みを浮かべていた。レミやイザベル同様、王族らしい気品がある。アンドレはクリスティーヌより2つ年下だ。今年13歳になる。しかし、背丈はアンドレの方がクリスティーヌより頭半分程高い。

 レミはコホンと咳払いをする。

「『薔薇の会』のメンバーはまだ揃っていない。開始まで時間があるからクリスティーヌ嬢はくつろぎたまえ」

「『薔薇の会』?」

 クリスティーヌは初めて聞く言葉に首を傾げる。

「私が主催するサロンの名前さ」

 レミは高らかな声で言う。

「クリスティーヌ、窓から外をご覧になって」

 イザベルに促され、クリスティーヌは外を見る。

 紫の薔薇を中心に、色とりどりの薔薇が咲き誇っている。

「ご立派で素敵な薔薇園でございますわね」

 クリスティーヌはうっとりしていた。

「だから『薔薇の会』でございますのよ。窓から薔薇が見えるというだけでレミお兄様が名付けましたの。安直でしょう」

 イザベルはクスクスと笑っている。しかし、上品である。

「クリスティーヌ様、僕達だけではなく、他の方とも交流してはいかがですか?開始までまだ時間がございます」

 クリスティーヌはアンドレに言われた通り、この場にいる王族以外の者とも交流を始める。

 面識のある者がいたのでそちらに向かうクリスティーヌ。

「やあ、成人デビュタントの儀振りだね、クリスティーヌ嬢」

「ご機嫌よう、セルジュ様」

 クリスティーヌは淑女らしくカーテシーをした。

「また君に会えて嬉しいよ、クリスティーヌ嬢」

 落ち着きがあるが、弾んだ声のセルジュ。

「そう仰っていただけて恐縮でございます」

 淑女の笑みを浮かべるクリスティーヌ。

「クリスティーヌ嬢、好きな飲み物やお菓子を教えてもらえるかな?君を家に招待する時に用意しておきたいんだ。遠慮はいらないよ」

「ありがとうございます。嬉しく存じます。では、紅茶、種類はアールグレイ。それから、マドレーヌをお願いいたしますわ」

 クリスティーヌはふふっと上品に微笑む。

「うん、必ず用意しておこう」

 セルジュは微笑んだ。それから彼の隣にいる赤毛に茶色の目の少年に声を掛ける。

「ディオン、蚊帳の外にしてしまったみたいで悪いね。紹介するよ。こちらはクリスティーヌ嬢。タルド男爵家のご令嬢だ」

 セルジュはクリスティーヌの方を向く。

「クリスティーヌ嬢、彼はディオンだよ。テュレンヌ子爵家の令息だ」

 セルジュから紹介されれると、クリスティーヌはディオンに向かいカーテシーをする。

「ああ……初めまして」

 ディオンはぎこちない様子だ。

「お初にお目にかかります。先程セルジュ様からご紹介に預かりました、クリスティーヌ・ジゼル・ド・タルドでございます」

 クリスティーヌは優雅に顔を上げ、淑女の笑みを浮かべる。

「俺はディオン・ナゼール・ド・テュレンヌだ」

 表情が硬いディオン。そのまま無言になってしまう。

「ディオン様、どうかなさいました?」

 クリスティーヌは首を傾げた。

「ああ……その……」

 ディオンはしばらく視線を宙に泳がせた後、ため息をついて観念する。

「クリスティーヌ嬢、悪いが俺は女性と話すのが苦手だ。何を話したらいいか全く分からない」

「左様でございましたか」

 クリスティーヌはディオンを見下したりせず、淑女の笑みのままだ。

「ディオン、女性に対して少しは気の利いた話題を提供出来た方がいいと思うよ」

「セルジュ殿、それは重々承知していますが……どうも上手くいきません」

 苦笑するセルジュとため息をつくディオンだ。

「でしたら、わたくしがなるべく話題提供をいたしますわ。ディオン様、あまり気負わないでいただけたらと存じます」

 クリスティーヌはふふっと笑う。

「……かたじけない」

 ディオンはうなだれた。

 その時、コンコンと扉のノック音が聞こえた。

「ユーグ・シルヴァン・ド・ヌムール様、マリアンヌ・キトリー・ド・ヌムール様のご到着です!」

 扉の外からそう聞こえる。

(ユーグ様とマリアンヌ様もご招待されていたのね)

 クリスティーヌの心臓が、トクンと高鳴った。

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