叔母の存在

 クリスティーヌが部屋で刺繍をしていると、ドアがノックされファビエンヌの声が聞こえた。

「お嬢様、旦那様と奥様がお戻りになられました」

「あら、もうそんな時間なのね」

 クリスティーヌは刺繍を切りのいい所で終え、両親を出迎えに行く。

「お父様、お母様、お帰りなさいませ」

「ただいま、私の可愛いクリスティーヌ」

 父のプロスペールはクリスティーヌにハグをした。

「クリスティーヌ、王都アーピスの本屋で貴女が欲しがっていた領地経営の本と小麦の栽培の本と薬学の本を見つけたわ。後で渡すわね」

「お母様、ありがとうございます。嬉しいですわ」

「クリスティーヌは本当に勉強熱心ね。自慢の娘だわ」

 母のミレイユもクリスティーヌにハグをする。

 ブロンドの癖毛に緑色の目のプロスペール。真っ直ぐなブロンド髪に青い目のミレイユ。クリスティーヌは髪の色、髪質、目の色、そして顔立ちまで父親似だ。

「ところで、王都の騎士団の方々にもお会いしたのでしょう? ベランジェお兄様はお元気そうでしたか?」

 タルド家次男のベランジェは、王都の騎士団に所属している。クリスティーヌより3つ年上で今年16歳だ。

「ああ勿論。ベランジェは剣術に精を出していたよ。最近は新たな武器の扱い方についても学んでいるようだ」

「ベランジェお兄様は頑張っておられるのですね」

 プロスペールの言葉に、クリスティーヌは安心したように微笑んだ。

「イポリートとアリーヌさんはサロンに招かれていてね。今日は王都の屋敷に泊まるそうだよ」

 イポリートは長男でタルド家次期当主だ。アリーヌはイポリートの妻で、クリスティーヌにとっては義理の姉に当たる。

「では、イポリートお兄様とアリーヌお義姉ねえ様は明日お戻りになるのですね」

「その通りだ。さあ、クリスティーヌ、そろそろお腹も空いてきているだろう。夕食にしよう」

「はい、お父様」

 クリスティーヌは品よく微笑んで頷いた。





−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−






 夕食後、クリスティーヌは自室でミレイユから貰った本を読んでいた。

 しばらくすると、ドアがノックされる音が聞こえてくる。

 プロスペールだ。

 クリスティーヌは「どうぞ」とプロスペールを部屋に招き入れた。

「ミレイユも言っていたけど、クリスティーヌは本当に勉強熱心だな」

 読書をしていたクリスティーヌを見たプロスペールは微笑んだ。

「そう仰っていただけて光栄です、お父様」

 クリスティーヌは読んでいた本をテーブルに置き、品よく微笑んだ。

 その時、プロスペールはテーブルに置いてあった新聞の存在に気が付き、手に取る。

「ああ、ニサップ王国の婚約破棄の件か。そういえば、王都でもうちの領民の間でもこの話で持ち切りだったよ。最近はこういったゴシップ記事がよく読まれるようになったものだ」

 プロスペールは新聞を読んで苦笑した。

「皆様それくらい余裕が出来たということでございますね。余裕がなければゴシップ記事など目に入りませんもの。それも、全てはルナ・マリレーヌ・ルイーズ・カトリーヌ女王陛下のお陰でございますわね。女王陛下の政策のお陰でナルフェック王国の識字率は今や9割だとか。お父様が生まれて間もない頃だと識字率が3割程度だったとお聞きしました」

「クリスティーヌはよく知っているね。その通り。この国の識字率は大幅に上がった。そして女王陛下のお陰で貧困に苦しむ民も減ってきている。だから皆余裕が出来て、ゴシップ記事にも目を通せるようになった。最初は何てものを読んでいるのだと思ったが、これもナルフェック王国の暮らしがよくなっているという証拠かもしれないな」

 プロスペールは目を細めて笑った。

「それに、こういった記事からよろしくない振る舞いも学ぶことが出来ますわ。サルバドール殿下は為政者失格ですし、フェリパ様のように身の程知らずな野望を抱くと碌なことがないと。お父様、ご安心ください。わたくしは王太子妃になろうなんて馬鹿げたことは考えておりませんわ。男爵家とは釣り合いませんもの。それに、王太子殿下はもうご結婚なさっています。わたくしはあくまでこのタルド家や領地を強くする為の駒。この家や領地の為に動きますわ」

 クリスティーヌは品のある凛とした笑みだった。その表情を見てプロスペールは少し悲しげに微笑む。

「近頃お前は本当に私の妹に似てきたと思ってる」

「お父様の妹君……。確か、17歳で亡くなったそうですよね」

「ああ、表向きにはな。妹は、忽然と姿を消したのだ」

 初めて聞く話に、クリスティーヌは目を見開く。プロスペールはそのまま話を続ける。

「妹はとてもお転婆でね。1人で勝手に屋敷を抜け出すことがよくあった。そして、妹は屋敷に戻って来た時、どこか幸せそうな表情だったよ。だけど、妹の婚約者が決まってからは日に日に思い詰めた表情になっていってね。そしてついに忽然と姿を消した。私の両親も使用人達も必死になって探したけど、見つからなくてね。妹は病死したということにして、妹の婚約者だった今のシャレット男爵家当主にはそう説明したよ」

 そこでプロスペールはファビエンヌが持って来た紅茶を一口飲んだ。クリスティーヌは黙って聞いている。

「恐らく妹は、婚約者と結婚したくなかったのだろう。実は、私は1度だけ見たことがあるんだ。妹が、平民の少年と一緒にいるところをね。褐色の髪に、アンバーの目の少年だった。彼と一緒にいた時の妹は、それはもう幸せそうでね。それは彼の方も同じだった。一目で分かったよ。妹と彼は相思相愛だとね。多分妹は屋敷を抜け出していつも彼に会っていたんだと思う。それで、妹が姿を消した時、私は密かに領民に聞いてみたんだ。最近姿を見かけなくなった者はいないかとね。そしたら1人だけ、妹と同時期に姿を消した者がいたんだ。褐色の髪にアンバーの目という特徴も一致していた。きっと妹は彼と駆け落ちしたのだろう。私は、妹が彼と今もどこかで幸せに暮らしていると信じているんだ」

 プロスペールは切なげに微笑んだ。

「左様でございましたか」

「妹の名前はジゼルといってね。クリスティーヌ、お前のミドルネームと同じだ。お前はジゼルのことを貴族として失格だと思うかもしれない。だが私は父親として、お前にはジゼルと同じように自分の幸せを見つけてその道に進んでほしいという願いを込めて、お前をクリスティーヌ・ジゼル・ド・タルドと名付けたんだ。タルド家の為でなく、お前の幸せを見つけられることを願っている。これは私だけでなく、ミレイユも願っていることだ」

 プロスペールは真っ直ぐ、慈しむかのような目でクリスティーヌを見つめていた。

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