『箱庭日記』

「はい、もしもし?」

 今日もBOOK MARKの電話がけたたましく鳴る。

「はい、あぁー! 『Sumai』さんですね。はい。……あぁーなるほど! そうなんですね。分かりました、はい、もちろんやらせていただきます」

 和花は電話機をギュッと耳に押し当てたまま、身振り手振りでリアクションをしている。

「どのような本をお望みですか? 絵本と、小説、図鑑、漫画、紙芝居……はいはい、分かりました。了解です。いつ頃お届けしましょう? ……えっとですね、次そちらの方に行けるのは、ちょうど一週間後ですね。土曜日。……はい、もちろんです! はい! ……では、選んでおきますね。ひとまず選定出来たら、確認入れますね。失礼ですが、電話番号をお伺いしてよろしいでしょうか……?」

 メモ帳も準備していないまま、和花は訊ねた。

 慌てて、本があちこちに散乱しているバンの中からメモ帳とシャープペンシルを探し出す。

「……はい、分かりました。ありがとうございます。はい、はい!」

 電話を切って、和花はパソコンで何か作業をしている雄星のヘッドフォンをはぎ取って言った。

「雄星さん! 大きな依頼ですよ! 児童福祉施設の『Sumai』さんが本をご所望です!」

「……そうか。いつどれくらいどんなものを?」

 耳を抑えて顔をしかめながら、雄星は言った。

「えっとですね、来週そっちに行く時に、十五冊から二十冊くらい、絵本、紙芝居、学習漫画、児童文庫、ライトノベル、文芸などが欲しいんだそうです」

「分かった。ちょっとな、こっちは確定申告でギリギリなんだ、一人で進めててくれ」

 耳の穴をほじったり、片耳を抑えたりしながら、雄星はヘッドフォンを耳につけなおし、書類とディスプレイと睨み合い始めた。

 ――ついに。雄星さんが私のことを信頼してくれた。

 ニヤけが止まらない和花に、雄星はメモ帳に何かを書いて渡してきた。

『本はそこにあるものとかから選んでくれたらいい。入れる箱は、ちょうどこの近くにある「箱庭」っていう店に行ってみろ』

 読みながら、和花は脱ぎ捨てたコートを肩に羽織っていた。




 箱庭は、この町での拠点であるレストランの駐車場から歩いて十分程と、程近い場所にあった。

 外観は、岐阜県の白川郷を思い起こさせる合掌造りで、小さく『BOX's SHOP HAKONIWA』と垂れ幕が出ている。

 どうやらそれは離れらしく、奥に進んでみると木造二階建ての母屋があった。

 カランコロン

 中は、箱やテープを扱う店なのに古民家カフェのようにお洒落で、アンティークの器やソファー、テーブルが、箱庭という「箱」の中を彩っている。

「いらっしゃい!」

 と、思いがけず飛び出した威勢のいい声に和花はたじろいだ。ラーメン屋の店主を思い起こさせる、お洒落な古民家カフェとは正反対の声。

 出てきたのは、坊主頭に薄い口髭が似合う男の人だった。

「なぁにをお探しですか?」

 ――ワイルド。

「えっと、本を二十冊くらい詰められる、贈り物用の箱です」

「本を入れるんですかい? そうですか、絵柄はどのようなものをご所望です?」

「うーん……童話風、かな?」

 和花は少し迷いながら言った。

「そうですか。ちょっと待ってくださいね。その間に店内どうぞ見てみてください」

 店主さんは店を出て、離れの方へ移動していった。

 ウロウロと店の中をうろついていると、目に付いたのは一冊の本だった。


『箱庭日記 著/井嶋龍』


 表紙は、一つの白い箱。出版社の記載が無いということは、自費出版なのだろうか。

 何となく手に取って、パラパラとページをめくってみる。

 自叙伝かと思えば、書いてあるのはどこか哲学者のような、日々の生活で考える数々を綴った哲学的エッセイだった。

 曰く、

『初めての挨拶への会釈で相手の人柄が分かる』

『好きか嫌いかは、話し始めて一週間経ってから判断するものである』

『初対面の相手をどうこう分類した上で話すのではなく、まずは一人の「相手」として話すべし』

 と。

「あぁ、この本ですか」

 いきなり後ろから声がして、和花は飛び上がった。

「これね、僕が結構書くことが好きでね、また結構考える性格だから、何となく何かを書きたいと思って書いたのがこれ。自費出版しましてね。さっぱり売れないんですわ」

 恥ずかしそうに、店主さんはは坊主頭をつるりと撫でた。

「まあでもね、自分の考えを整理しておくって大事かなぁと思いまして。どうでしたか? 書店に出すレベルですか?」

「えっ」

 ――この人は私がBOOK MARKと言う移動書店の人間だということを知っている?

「いやぁ、行けると思いますよ。良いこと書いてますもん」

「……ふふっ」

 意味ありげに店主さんは笑った。そこから、こちらに一つの大きな段ボール箱を差しだしてきた。


「自信を持って、選ばせていただきました」


 箱は、白地にブレーメンの音楽隊のイラストがプリントされた、メルヘンチックなものだった。

「……ピッタリですね!」

 感嘆の息を漏らし、和花は声を弾ませた。

「気に入っていただけたなら嬉しいです。ある程度大きなサイズですので、値段は千二百円になります」

 そのくらいなら大丈夫。財布から一万円札を取り出し、店主さんにその場で差し出す。

「あの本、二冊ください」

「えっ」

 今度は店主さんが目を点にして立ち尽くした。それから、ワイルドな顔を柔らかに綻ばせた。

「お買い上げ、どうもありがとうございます」




「ただいまでーす!」

 大声で挨拶しても、バンの中からは一言も帰ってこない。代わりに、キーボードをカタカタ叩いている音だけが狭い箱の中で反響している。

 どうやら、まだ雄星は確定申告の作業中らしい。

「ただいまです!」

 また、ヘッドフォンを奪い取って耳元に吹き込んだ。

「うおっ……」

 目を白黒させながら、雄星は軽く手を挙げてくれた。

「ったく、邪魔すんなよ……ったく」

 ぶつぶつと呟きながら、またヘッドフォンを着けてパソコンに数字の羅列を打ち込んでいく。どことなく、キーボードを叩く手が強くなってきているように見える。

 ――ありゃりゃりゃ。

 少し気まずくなって、買ってきた段ボールをトランクに積み込もうと、和花はバンの外に出た。

 本棚にぎゅうぎゅうに詰められた本はあまり減っていないようだった。

「……ちょっと、どいて」

 後ろから、ちょっぴり荒っぽい声がして、和花は慌ててトランクから立ち退いた。

「……ごめん、ちょっと、見せたいものがあって」

 そう言って、雄星はトランクの奥の方に身体を差し入れ、なにかを探している。

「……あった」

 取り出してきたのは、一つの桐の箱だった。


「今日は三月九日、世の中では卒業式。BOOK MARKでは新しいスタートを切った日。今日で、三周年だ」


「え?」

 ――三周年?

「そんなの、一切聞いたことありませんけど」

「言ったこと無かったから」

 まだ、信頼が足りないのだと痛感する。

 ――もっと、頑張らなきゃ。

「この箱の中に、店を作るときに出てきた書類だとか、大切な本とかグッズが詰まってる」

「へぇ……」

 あまりに話がスピーディーに進むもので、和花はぽかんとした表情をして雄星について車内へ入っていく。


 カパッ

 出てきたのは、様々な役所への届け出や、初めて撮った写真、買ったお守り、人生論の本、哲学書などだった。

「すごい、お宝じゃないですか」

 今よりも鮮やかな塗装のバンに、和花は目を細めた。

「ん?」

 意外と深い箱を掘り起こしていく一番下に、一冊の本があった。裏表紙に見えるのは、花や動物、文房具、本、人間、様々なものがぎゅっと詰め込まれた白い箱。

 ――これは。

 本を取り出すと、真っ白い空っぽの箱と『箱庭日記 井嶋龍/著』という明朝体のシャープな文が並んだ表紙。

「雄星さんも持ってたんですか?! 私、さっき買ってきたんですよ。二冊!」

「そうなのか? 面白いよな、この本。どっかの出版社から出せば出版社の利益になるってのにな」

 あまり驚かずに雄星は言った。

「これはな、箱庭さんに、本を詰める箱を買いに行った時に買ってきたんだ。ちょうど本があまり無くてな、何らかの本が欲しかったんだ。あまり期待はしてなかったんだけど、いざ開いてみるとそれはそれは興味深い無いようでな」

 パラパラと、目を細めながら雄星はページをめくっていく。

「当たり前の日常を過ごしている中で気づいた、当たり前のことを当たり前にただただ論じてる。何が面白いのかって思われそうだけど、なんかそれに惹かれたんだよな」

 雄星の目は、初めて望遠鏡で金星を見た子供のようにキラキラと輝いていた。その顔は、眩く輝く星のようにも見えた。


「特に気に入った一節っていうのが、『空っぽの箱に何を詰め込むのかで、人間を窺うことが出来る』っていうやつなんだ」


 雄星の口元、そして文脈から衝撃波を受け取ったように、和花は少しのけぞった。ふっと力が抜けたように、閉じていた口がふんわり開いていく。

「空っぽの箱に詰め込むものでももちろん分かるけどさ、そこに入ってる気持ちってのが大事だと思うんだよ。ガサツに放り込むのか、丁寧に敷き詰めるのか。余白をどれだけ持つのかで、何となくその人を洞察することが出来る」

 だから、と雄星は天井を指さした。

「このバンは、僕の好きなものがありったけ詰め込まれてるんだ」

 にっこりと少年のように無垢な笑顔を見せる雄星の横顔は、明るさがピークに達した太陽の光を受けて、最高に煌めいていた。




「こちらが、贈呈する本になります」

「あ、ありがとうございます!」

 今日も一日の営業を終え、次の町へ移動する。その前に、和花と雄星は『Sumai』を訪ね、目を輝かせる幅広い年代の子供たちの前で、本を溢れ出すほど詰め込んだ箱を手渡していた。

「ありがとうございます。実はね、みんな。ホントは、私たちがお金を払う予定だったんだけどね、お二人の思いやりで、タダでくれることになったの。感謝しましょうね」

 えーっ! と大きな感嘆の声に、和花は変わらず微笑んでいた。

「それじゃあみんな、BOOK MARKのお二人に挨拶しましょうね」

「あっ、ちょっと待った」

 施設の優しそうなおばさんを、雄星が目で静止した。

「青木和花から、ご挨拶させていただいても良いですか?」

「えっ、えっ?」

 和花は、おばさんと雄星と子供たちの顔を慌ただしく見ていたが、自分に視線が手中していることを見ると、口元をキュッと結んで、一歩前に出た。


「みなさん、今回私たちが無料で寄贈させていただいたのは、みなさんの未来をとにかく応援したかったからなんです。

 この箱の柄はブレーメンの音楽隊をモチーフにしたものなんですが、ブレーメンの音楽隊に登場する動物っていうのは、みんな、いじめられたりとかしてた動物ばかりなんです。そんな動物たちが集まって音楽隊を組んだということで、みなさんも色々大変なことばかりなんだろうけど、みんなで力を合わせて、ブレーメンの音楽隊の動物たちみたいに未来を切り開いていってほしいな、と思って。

 本には本当に力があるんですよね。楽しい時には日常をもっと楽しくしてくれるし、辛い時には自分を辛い現実からちょっとだけ逃がしてくれて、立ち向かうパワーをつけて返してくれる。そして、時には、人生をも変えてくれるんです。

 なので、あまり本に興味が無い子も、一度、絵本でも漫画でもいい、何か、物語の世界に入ってみてほしいと思います。

 最後に、小っちゃい子にはまだ分からないかもしれないけど、今回このブレーメンの音楽隊の箱の中に入ってる本から、ある言葉を紹介します」


 それを聞いてみて、小さな子たちはぽけっとした表情だったが、中学生くらいの子はすっと腑に落ちたような表情をして、ますますこちらへ聞き入ってくれていた。

 ――井嶋さん、すごいセンスいいじゃない。


「みなさんも、自分という、どんなものでも限りなく入っていく箱に、色んな物事を詰め込んで、色んな事に打ち込んでくださいね」


 ありがとうございました、とパワーに満ち溢れた挨拶をしてくれた子供たちの顔は、心なしか、来た時の少し疲れたような表情から少しだけ変化しているように見えた。

 ――私の胸の中に、パワーと勇気と感動と、色んなものを詰め込んでくれてありがとね。

 和花は、深々とお辞儀をして、子供と職員さんに大きく手を振られながら、バンに乗って次の町へ向かっていった。

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