心配する大人達

カウティスに毎日呼び出されることがなくなったので、水の精霊は今まで通り、ネイクーン王国を俯瞰で見ていた。

様々な場所の水中から国中を見ていて、常に国を清水で潤す。


精霊の時間は、人間の時間軸とは異なっている。

水の精霊が王城に感覚を向けた時には、カウティスが泉に来なくなってから、季節二つ分経っていた。




王城の奥、王座の間。


ネイクーン王国の王座の間には、王の椅子と王妃の椅子の間に、小さな台座が置かれている。

そこには、細かい彫刻が施されたガラスの水盆が置かれてあり、常に澄んだ水で満たされていた。



国王は今、王座から離れて水盆の前に立っている。

その後ろには王妃と側妃、続いて宰相と魔術師長、騎士団長と続き、国のそうそうたる面子が並んでいた。


水盆には、水の精霊がサラサラと白いドレスの襞を揺らして佇んでいる。

その姿は変わらず涼しげで美しいが、水盆に合わせてか、掌に乗るほどの大きさだった。

だが、その姿を見ているのは王族の人間だけで、他の者には水盆の水が少し盛り上がっているように見えるだけだ。



「水の精霊よ。今年の火の季節も、民は乾くことなく、国は潤い、平穏無事に土の季節を迎えることが出来た。礼を言う」

王の言葉に、後ろに続く人々が立礼する。

「私は己の役割を果たしているに過ぎない。あらためて礼は必要ない」

水の精霊がサラサラという水音と共に、静かに言った。


毎年、土の季節を迎えて、初めての吉日に行われる儀礼の日。

水の季節の始まりと、火の季節を越して土の季節を迎えたこの時期に、ネイクーン王国で必ず行われる国家式典だ。

水の精霊を王城に迎えるまで、火の季節を痛みなく過ごすことができなかったこの王国では、無事に火の季節を越せることが何より喜ばしい。

この式典には、まだ成人していない王子や王女は参列できないが、土の季節が深まって収穫の時期には、王国中で神と水の精霊に感謝を捧げる祭事が行われる。




恒例のやり取りが行われ、式が終了すると、王族と一部の高官を残して皆退室した。


護衛騎士が部屋の入り口に移動し、配置に付いたのを確認すると、王が口を開く。

「皆、ご苦労だった」

整えられた明るい銅色の髪をくしゃりと手で崩し、大仰なマントを外すと、大きく息を吐いて王座に放る。

「陛下」

隣にいるエレイシア王妃がやんわり窘めるが、王は気にしない。

首をコキコキと鳴らし、大きく口を開けて笑う。

「形式は守っている。問題ないだろう」

ふんわりと柔らかな蜂蜜色の髪を、顔の横でゆるりと纏めた王妃が、困った方ねと眉を寄せて笑った。

周りにいる者も一様に苦笑いだ。

この国王は昔から、堅苦しいことがあまり好きではないのだ。



「時に水の精霊よ、最近はカウティスとは会っていないのか?」

マントを外して身軽になった王が、水盆に向かって聞いた。


カウティスが庭園の泉に日参しては、水の精霊と半刻ほど過ごしていたのは、皆が知る話だった。


「第二王子には、しばらく会っていない」

水の精霊は答えた。

「ふむ。光の季節が終わる頃から、カウティスは体術と剣術の稽古に明け暮れていてな。何やらムキになっているようにも見えるが……、何が理由なのか聞いても、あれは何も話さん」

王は窺うように水盆を覗き込む。

「タイミングとしては、そなたと何かあったのだと思っていたのだが」


カウティスと同じ、王の青空色の瞳に見つめられて、水の精霊は軽く首を傾げた。

「菓子をのどに詰めた第二王子に、泉の水を差し出して機嫌を損ねたかと」

王は器用に片眉を上げる。

「それが剣術にのめり込む理由とは思えませんが……」

王妃は髪よりも濃い蜂蜜色の瞳を曇らせ、白い指を唇に当てて呟く。


「陛下、水の精霊様は何と?」

バルシャーク騎士団長が尋ねた。

式典用の礼服を着た、長身で体格のいい騎士だ。

精悍な顔もこげ茶色の短い髪の毛も、よく日に焼けている。

王族でない彼には、水の精霊の姿も見えなければ声も聞こえない。

「のど詰めして困った王子に水を与えて、機嫌を損ねたらしいぞ」

王が簡単に説明する。


「子供扱いされて悔しかったのでは?」

騎士団長の隣、クイード魔術師長が口を挟む。

銀色寄りの金髪を肩で揃え、神経質そうな顔をした男性で、こちらも式典用のローブを着ている。

彼は魔術士なので、水の精霊の姿は見えないが、明瞭でないながらも声は聞こえていた。


「どういう理由にしろ、剣術に励むのは喜ばしいことでは? しかも、カウティス王子には剣術の才能がお有りの様子。短期間で驚くほど伸びております」

騎士団長が満足気に言う。

「ですが、あれ程に根を詰めては、その内に幼い身体を痛めそうで……、心配です」

ふるふると頭を振って、王妃が言う。


小柄で柔らかな雰囲気を纏った王妃が顔を曇らせると、周囲の者は何とかせねばならないような気がしてくるらしい。

王の脇に控えていた宰相マクロンが、騎士団長を見る。

「少し配分を考えるよう、指南役の者に指示を出しては?」


ふむ、と皆が考えているところで、凛とした声が間に入った。


「問題ありません。やりたいだけやらせておきましょう」

側妃のマレリィだった。

青味がかった黒髪をきっちりと結い上げ、装飾の少ない細身のドレスを纏った美女だ。

ふんわりとした暖かい雰囲気を纏ったエレイシア王妃とは対照的に、冷ややかな印象を持たれがちな彼女は、第二王子カウティスの母親である。


「しかし、マレリィ。王子はまだ幼い。やりすぎは良くなかろう」

王の言葉に、マレリィは漆黒の瞳を伏せて首を振る。

「そもそも乳母が甘やかしすぎたのです。あの歳頃にもなれば、もっと身体を動かすべきですわ。本人がやる気になったならば、どんどんやらせれば良いでしょう」


それでも心配そうな瞳を向けるエレイシア王妃に、マレリィはキッパリと言う。

「いずれは臣下に下る身。身に付けられることは、今から貪欲に学ぶべきです」




彼等の会話を、水の精霊は佇んだまま、ただ静かに聞いていた。







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