第10話 隠されたもの

 リフィーはこのところ執務の合間を縫って、大量に残されたディフィゾイの業務日誌を読み続けていた。事態が事態だけに、引き継ぎがまるでできていないことが懸念事項だったが、几帳面に記されたこれを読めばなんとか把握できそうだとほっとしている。


 ——————やはり真摯に領地や領民と向き合い続けていたみたいだな……昔思っていた彼の印象通りだ……


 むしろリフィーとしては、日誌から垣間見得た父テルフィゾイの旧態依然としたやりようよりも、叔父が積極的に取り入れていった新しい方法に賛同するところだった。


『あの人はこの地に住まう人々の幸せを考えただけよ!』というニレナの叫びは、かなりのところ事実だったのかもしれない。


 彼女もその子どもも、残されていた叔父の服を見ても、領主一家といえども過分に着飾っていたような様子はなかった。むしろ貴族としては、かなり慎ましやかな部類に入るだろう。


「領主様、あまり根を詰めすぎると後がもちませんよ。さぁ少し甘いものでも召し上がって、休憩なさってください」


 ノックと共に入ってきたシュレールが、いつものように静々とお茶と菓子を運んできた。


「ああ、ありがとう」


 小腹が空いていたため、お茶より先に菓子に手を伸ばす。粉砂糖のかかった柔らかな甘みのクッキーは、舌触りよく口の中でほろりと溶けた。


 ——————アルチェが好きそうだな……


 グラムスに聞いたところによると、今日の彼女は朝も早くから外に出ては、何やら動いていたらしい。その上普段はのんびりと食事を味わうのに、猛然と朝食を掻き込んで部屋に戻っていった。そして昼食も外で済ませると言われ、もうすぐ夕刻を迎える今も外出したまま戻ってきていない。


 一体どうしたのだろう、と思っているとふいに扉が叩かれ、


「リフィー、ちょっといいかな」


 アルチェの声がした。


「どうぞ、入ってくれ」


 軽く頭を下げたシュレールが、入れ替わるように部屋の外へ出ていく。


「……」


 誰に対しても愛想のいいアルチェが一瞬、睨むような鋭い視線を彼女に向けたような気がした。いや、光の加減でたまたまそう見えただけかもしれない。


「今日は朝から随分とばたばたしていたのだな。一体どうしたんだい?」


「ちょっと調べたいことがあって……レグピオン山に行ったりしていたから」


「山へ?……アルチェ、まさか洞窟の中に入ったのではないだろうな」


「うん、入った。でも、山守りのヴァスティンさんがついてきてくれたし、防毒用の装備も借りて、ちゃんと約束通り危なくないようにしたよ」


 彼女は少しばかり人の悪い笑みを浮かべて、そう言い放った。


 そういえば、洞窟に立ち入らないようにと言った時に返ってきたのは『危ないことはしない』という返事だったと、リフィーは今さらのように思い出す。恐らくあの時からそのつもりだったのだろう。彼女の底なしの好奇心を甘くみていた。


「それでね、リフィー。ちょっと聞きたいことがあるんだ。これまでこの領地で、新しい農作物を試験的に導入した時の記録とかって残ってる?」


「……あるが、大部分は失敗の記録だな。なにしろここは、作物向きの土地ではないから」


「それ、見せてもらうことってできる?」


 そんなものを見て一体どうするんだ、という言葉を飲み込んで、リフィーは棚から何冊か帳面を出して渡した。


 共に過ごせば過ごすほど、いわゆる一般的な少女からは逸脱した何かを、リフィーはアルチェに感じている。


 叔母ニレナの前で貴族であるかのように名乗った時は、気を引くための嘘も方便だと彼女は笑ったが、そうではない人間が咄嗟とっさにそのように振る舞えるかと言われたら、それは難しいのではないかと思う。


 元は地位ある家柄であることを事情があって伏せているのか、あるいは少なくともそういう人間の間近で生活していてその振る舞い方を知っていたのか。どちらにせよ、もしかしたらこの子にしか見えない何かがあるかもしれないという、淡い期待のようなものが彼女に帳面を渡させたのだった。


 受け取った記録簿をしばらくめくっていたアルチェが、手を止める。


「……ああ、やっぱり。昔に試した時には、育たなかったんだね」


 彼女の細い指が、テテ麦と記された列を示し、それから隣のページのアルラ草という文字をなぞった。


「今朝、薬草畑も見てきたけど、これすごく茂ってたよ」


「……ちょっと待て、なぜ結果が違うんだ……?」


 リフィーは眉根を寄せて記録を見る。試しに飛ばし飛ばし中を見てみると、先代によって導入成功したものが、古い時代には発育不全や枯れて断念、などと記されている。


 ——————試験導入で使用した土地が違うからか……?いや、だが先代の時の土壌調査書によれば、どこも似たり寄ったりで各所にそこまで大きな違いは見られなかったはず……


 混乱しながらリフィーが帳面をめくっていると、アルチェが机の上に積まれた冊子に目をやって呟く。


「これって執務記録?」


「ああ、そうだ。これは叔父のもので、そちらは父のものだな」


「読んでいて、何かおかしなところはなかった?」


「いや、特にはないと思うが……ああ、唯一不審な点があると言えば、出納記録上では去年ものすごく大きな金額が動いているんだが……叔父は逐一記録を几帳面に残しているのに、それだけは計四点購入としか書いてなくて項目名がないんだ。一体何を購入したのかがわからなくてな」


 アルチェは少し考えてから、


「貴重なものなら、金庫の中に入っているんじゃない?」


 と、首をかしげた。


「私もそう思って見てみたんだが、取り立ててそれらしいものは入っていなくてな……一応、見てみるかい?」


「……ねぇリフィー、他の人にそういうことをやすやすと許しちゃ駄目だよ?私は危害を加える気はまったくないからいいけど、そういう大事なものを狙ってくる人も世の中にはいるんだからね?」


 なんとも言い難い表情を浮かべた彼女に、心配そうに諭される。


「他のやつなんかに見せるわけないだろう。なにせ用心に関しては、騎士団で隊長に散々叩き込まれたからな。信用できる君だからこそ見せるんだ」


 そう笑い飛ばしたリフィーは、特殊な鍵を使って金庫の錠を開けた。しばらくその前でごそごそと中を見ていたアルチェだったが、ややあって頷きながら立ち上がる。


「……確かにそれっぽいものはないね」


 リフィーが金庫の鍵をかけ直していると、背後で彼女がぶつぶつ呟きながら部屋の中を歩き回っている気配がした。


「だとすると……そうだなぁ……こういうとことか……後は……棚の向こうの壁とかにあったら、棚をずらさないといけないけど……」


 隠し場所が他にもないか探しているらしい。


「ちょっとめくるね」


 執務机側の角から暗赤色の絨毯を持ち上げて床を覗き込んでいたアルチェが、リフィーを手招く。


「……あったよ」


 見れば床板が一部外れるようになっていて、その下が隠し収納になっていた。


 中から出てきたのは、本が数冊。そのうちの一冊を手に取り開いてみれば、見覚えのある字が連なっている。


「どうやら先代の日記みたいだな」


 日誌の字と同じだったからすぐわかった。


「あ、これはダミーかな。厚みの割に軽い」


 アルチェがそう呟いて青い一冊を開く。一見するとただの本だが、中の一部分がくり抜かれていて、物が入れられるようになっていた。


 中には何か布で包まれたものが入っている。アルチェがそっと出して慎重に布を広げると、かなり大ぶりの種が四つ並んでいるのが見てとれた。


「……四つ」


「確かに数は合うが……いくらなんでも、さすがに種があのように高額というのはおかしいか」


 アルチェはふいにリフィーに種を握らせると、急ぎ足で一旦外に出ていく。ややあって隣の部屋の扉を開ける音がした。どうやら壁越しに聞き耳を立てている人間がいないか、確かめにいったらしい。


 そして戻ってきた彼女は扉の内鍵をかけると、リフィーの隣までやってきて首を振って囁く。


「……ううん、おかしくないよ。これは特別な種だから。私も実物を見たのは初めてだよ。……きっと叔父さんは、ずっと先のエブローテのことまで想っていたんだね。時間はかかるかもしれないけど、もしこれが実ればここは変わるよ。もちろんかなり長期的なものになるから、今までみたいな積極的な領地経営と両軸で、という形になるとは思うけど」


 アルチェはしばらく黙った後、リフィーを見つめて言った。


「でも、それはあくまでも叔父さんの意思。リフィーは?リフィーはこの領地をどうしたい?ここでこの先、どんな風に生きていきたいと思っているの?」


 鮮やかな夕焼け色が、真っ直ぐに問いかけてくる。


「……それは」


 リフィーは思わず言葉に詰まった。忙しさにかまけて、むしろそれを理由にして、ずっと見ないようにしていたことだったからだ。


「……それは、君が朝も早くから動いていたことに関係するのかい?……危険を知らせていたのに、わざわざ洞窟に入ったのも……さっき記録簿で見た、同じ作物に生じている矛盾も」


 互いに迷いをたたえた二人の視線が交錯し、やがてどちらともなく目を逸らした。


「……ほんの少しだけ時間をくれる?私もちょっと、考えを整理する時間がほしい」


 そう呟いたアルチェは種と本とを元の場所に戻し、静かに部屋を出て行く。取り残されたリフィーの中では、彼女からかけられた問いがずっと回り続けていた。

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