第34話【振り返れば陽キャがいた】

 ポニーテールを下ろした日向ひなたの髪が潮風でなびき、闇夜に明るい髪色がさらさらと流れ舞う。

 陽気で悩みなんて一つも無さそうな、実に日向らしい柑橘系の化粧水の香りが、風呂上がりの俺の鼻腔をくすぐる。

 

「いいけど。珍しいな、日向が自分の話を聞いてくれなんて言い出すのは」

「みんなの陽気にすっかり当てられちゃったかな」

素面しらふでもテンション高い奴が何を言う」

 

 ニヘラと人懐っこい笑顔で微笑む日向の面持ちに、気のせいか、軽い決意めいた何かを感じ少し身構える。

 手すりに背中を預け、うなじを手で掻きながら結ばれた桜色の唇は開かれた。


「私って、両親が高齢になってから産んだ子供でさ。兄貴とは18も年が離れてるの」

「凄い差があるな」

「でしょ? いい歳して何を頑張ってんだって気にならない? 若くして介護しなきゃならない子供の身にもなれと」


「そんな老けてるのか」

「今はまだ大丈夫。でもあと5年10年したらどうだろうね」


 ウチは幸い両親はまだ40代前半と若く、見かけだけに関して言うなら二人とも実年齢より下に見られることだって多い。

 ヤングケアラーなんて言葉をよく耳にするようになった昨今。

 日向の両親の年齢が具体的にいくつかは知らないが、親しいクラスメイトの口から聞くと、決してテレビやSNSの世界だけの話ではないんだなと思い知らされる。


「なんでジジババになってまで私を妊娠・産んだかというと、多分不安よりも期待の方が勝ったから」

「期待?」

「うん。兄貴の奴、無駄に常人より運動神経がずば抜けて高くて。子供の頃からアクション映画のマネして高いところから飛び降りても怪我一つしなかったり、いろんな運動部の助っ人を日替わりでこなしたりと、学校ではヒーローみたいな扱いだったんだって」


「アニメとかでは聞いたことあるけど、実際にそんな人いるんだな」


 俺の周りにも環境的に運動神経が良いと言われた人間が集まってはいたが、必ず何かしらの苦手ジャンルは一つ持っていた。万能に何でもこなせることがどれだけ凄いことか。


「そんな学校のヒーローでしかなかった兄貴がある日、本当のヒーローになってしまったわけですよ。正確には中の人、なんだけどね」


 中の人――その響きに思わず心臓がビクンと跳ね上がる。


「ヒーローショーのアルバイトをしてる時に偶然スタントマンの会社の偉い人の目に留まって。シリーズものの特撮番組のスーツアクターを決めるオーディションに参加するなり、プロを跳ね除けていきなり合格しちゃったの。JOSIAH(ヨシヤ)なんて、素人が変に英語読みの芸名まで付けて。痛いよね」


 聞いたことのある夢みたいなシンデレラストーリーにJOSIAHの名前――微かに抱いた疑いが確証へと変わるのはほんの一瞬だった。

 

「日向......そうか......」


 俺の憧れだった存在にして、アクション教室を辞める原因にもなった人――JOSIYAさんの本名は確か日向芳矢ひなたよしや

 日向なんて苗字は特に珍しくもなく、俺自身も早く忘れたいと願っていたからだろうか。全く気にも留めていなかった。


「......ごめんね。楽しい旅行中にあんな奴の名前なんか口にしちゃって。でも長月くんには兄貴のことについて一度ゆっくり話がしたいなと前から思ってて」


 突然の事実に困惑する俺に、日向は身体を起こし、申し訳なさそうな苦い笑みを浮かべ小さくこうべを垂れる。


「長月くんがアクション教室辞めたの、兄貴が原因でしょ」 

「本人からそう聞いたのか?」

「......その反応、いろいろとやっぱりかって感じ」


 大きく嘆息し額を抑える日向は、いつも笑顔を絶やさない彼女がするには意外に見えるほどの落ち込んだ雰囲気を醸し出す。

 

「私もあのアクション教室通ってたの」

「.........嘘だろ」


 日向があのJOSIYAさんの妹なだけで驚いたばかりの俺に、またしても新たなる事実がさらっと明らかにされた。

 語彙力を失った俺はただ一言感想を述べるのがやっとの状態。


「マジもマジの大マジです。同じクラスだったこともあったのに。酷くない?」

「......悪い。俺、今はまだマシになったんだけど、子供の頃は女子の顔を覚えるの本当に苦手で」

「言いわけするなんて男らしくないぞ。でもまぁ、私もあまり目立たないように立ち回ってたわけだし。中学入ってからすぐに辞めちゃったから。しゃーないってことにしておくね」


 自分でも何を言ってるのかわからない理由を並べる俺を、日向は唇を尖らせながらも許してくれた。

 でも中学に入ってから辞めたのなら、には既に日向はいないはず――。


「兄貴が臨時の講師を引き受ける話になった時『俺が講師になったからには最高・最強のアクションマンを育ててやる!』って、ずっと家で息まいてて。それはもういつも以上にウザいのなんの」


「あの人、家でもそんな感じなんだな」


 自信が過剰過ぎるほど全身から溢れる雰囲気を持つあの人のことだ。想像すると同時に日向への同情の想いも芽生えた。


「だから昔の仲間が苦労してないかな~と思って、ある時、久しぶりにスタジオを覗きに行ったんだ。そしたら長月くんが一人で練習してる姿を目撃してね」


「日向、お前見てたのか」

「悪いとは思ったんだけど、一生懸命な長月くん見てたら声かける雰囲気じゃないな~と。だからこっそり眺めてた」


 アクションスタジオのある建物一階部分には、道路に面した壁の一箇所が地域の方に少しでも理解や興味を持ってもらえるよう、透明なガラス張りになっている。

 日向はおそらくそこから覗いていたのだろう。

憧れの存在から見捨てられたくない一心でがむしゃらに時間を消費していた俺。日向は一体どんな気持ちで見守っていたのか気になるところではある。


「あのバカの酷い罵倒や嫌がらせにも耐えてまで長月くんは好きなこと続けようとして......私にはできないかな」


「日向にとってアクション教室は、好きで始めたことじゃないんだな」

「やっぱ分かっちゃう? 両親が「兄にその才能があるなら妹もきっとその才能があるはずだ!」 って単純な発想でぶち込まれたわけですよ。知能がミジンコ以下な連中なんですよ」


 兄の英雄譚を語り始めたところから何処となく気付いてはいたが、日向は家族に対してあまり良い印象を抱いていない。いや、むしろ嫌いというべきか。

 

「アクション教室を辞めてから、それまでなかなか手が出せなかったいろんなことに挑戦したよ。でも兄貴や両親に笑われる度に、気持ちが萎えてもういいや~って投げ出して。ミジンコから生まれた妹は、突然変異の才能の片鱗もない、極一般のそこら辺にいるモブJKなんですよ」


「......普通はそんなもんだろ」

「長月くん?」


 俺の知っている日向愛衣ひなたあいという人間は、困っている人間がいたら笑顔で手を差し伸べるお人好し。

 例え相手が学校中から嫌われてしまった相手だろうが、なんとかしようと行動する。

 それでいて抜け目がなく、おまけに情報通。

 璃音関連りおんかんれんで幾度となく助けられた相手が自分を卑下する姿に、黙っているなんて薄情なマネは俺の感情が許さない。


「日向の兄貴は運動神経が規格外な代わりに思考が残念な、要するにバカだ。自分の価値観とは合わないものに対して上から目線で憐れんでしまう両親......これもバカだな」


「その流れでいくと家族の私までバカってことにならない?」

「日向はバカはバカでも、人の痛みがわかる、愛すべきバカだ」

「なにそれ。意味わかんないんですけど」


 影のあった日向の表情に、少し明るさが灯った。


「人を褒めるのにあんまり慣れてないんだから仕方ないだろ。それに自称・極一般のモブJKがいなかったら、今頃こうしてクラスメイトで璃音の別荘に泊まりに来るどころか、璃音との関係だって上手く進んでいたかも怪しい」


「私を過大評価し過ぎ。全部長月くんの力だって」

「逆に日向は自分を過少評価し過ぎ。交流するようになった期間はまだ短いけど、その分濃い時間を共に送ってきた俺が言うんだ。素直に受け取れ」


 まだ完全に迷いが吹っ切れてくれないようなので、日向の瞳を真っすぐに見つめ、最後のダメ押しを放つ。


「悪いバカを相手にすると日向まで悪いバカになるぞ? 日向のペースで好きなこと・やりたいこと見つければいいじゃないか」


「私のペースで?」


「家族がバカにするなら、日向も家族もバカにしてやれ。あんたらがバカにしたもので、私は幸せになってやる、くらいの気概を持て」


 世の中の全ての親や家族が、ウチみたいに理解があるなんてことは絶対にありえない。

 だったらその状況下でも自分を見失わないようにするには、結局は反骨精神が一番効果が出やすいのではないか。咄嗟に出てきたアドバイスがこれとは。学が無い自分らしいと言えば聞こえはいいが、言い終わってちょっと羞恥の感情が湧いてくる。


「......なんで私、励まされてるの?」

「日向がそういう雰囲気を出してるからだろ」

「いやいや! 私、これっぽちも長月くんに励ましてもらおうなんて気持ちで話してないんですけど」

「ハァッ!? 嘘だろお前......」


 とぼけた表情で首を傾げる日向を前に、コントみたいな膝の折れ方で柵の縁に手を置く。

 俺の優しさを返しやがれ。


「ゴメンゴメン。長月くんが私のことよく見ててくれてるってことはすご~く伝わったからさ。ありがとね♪ ほら、そろそろ部屋の中入ろう。夏といっても、あんまり外に長い時間いたら湯冷めしちゃうよ~、っとぉ!?」

「ったく、何してんだよ」


 人をもてあそんだバチが当たったのか、部屋の中に戻ろうとした日向が転びそうになったので慌てて横から身体を支えた。


「いや~面目ない。ぶっちゃけ長月くん、辞めた今でも密かに身体鍛えてるでしょ? 昼間の身体つき見てから気になってたんよ~」


「これ見よがしにボディタッチするな。あと乳首ドリルもやめろ」

「にひひ~♪」


 浴衣の胸元がはだけそうになって顔を背ける俺をいいことに、日向は今だ! 言わんばかりに逆セクハラを楽しむ。

 部屋の扉の近くで何やら物音が聴こえた気がしたものの、俺の注意は己の乳首を防衛することに精一杯だ。

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