第3話【ごぼうは下半身に良いらしい】

 結論から言うと、虹ヶ咲にじがさきは三日目以降も昼食を用意してこなかった。

 それを見越して俺はわざわざ彼女の分の弁当まで持参するようになったのだから、我ながらお人好しさに呆れてしまう。

 まぁ、一人分増えたところで大した手間はかからいので別にいいんだが。


「お兄ちゃん、彼女でもできた?」


 唯一問題があるとするなら、妹の紅葉もみじに二人分の弁当を用意しているところを見られてしまったこと。


「いや。どうしてそう思う?」

「だってお兄ちゃん、高校で友達一人もいないでしょ。だとしたら彼女さんの分のお弁当なのかなーって」

「朝からさりげなく兄をディスるのはやめてくれ。あと俺は別に友達ができないわけじゃない。えて作ろうとしないだけだ」


 リビングで先に朝食を取っていた紅葉の言葉を否定し、いま焼きあがったばかりの自分のトーストを皿に載せる。

 

「高校でできる友達は一生涯の友達になりやすいって言うのに。このままだとお兄ちゃん、友達が一人もいないまま寂しく死んじゃうよ?」


「余計なお世話だ」


「妹としては、せめて彼女くらいは作ってほしいんだけどなぁ。そしたらその人が、私のお姉ちゃんにもなるわけだし」


「この家の家事を一人で切り盛りする兄だけじゃ不服か?」

「そうは言ってないでしょ。いつもお兄ちゃんには感謝しております」


 紅葉は若干寝ぐせの残った頭で小さくお辞儀をした。

 本心からの感謝であることは紅葉の妹を14年もやっていれば分かることなので、逆にちょっと照れが生じてしまう。


「いいから無駄口叩いてないでさっさと食え。今日も朝練あるんだろ」

「はーい。彼女ができたら真っ先に私に教えてね」

「しつこい」


 紅葉はにししと笑いながら止まっていた箸を動かし、その小さな身体に栄養を補給していく。

 

「あ、そういえばお隣の芦名あしなのおばさん、急に引っ越しちゃったね」


「昨日紅葉が帰ってくる前に挨拶に来たよ。なんでも親の介護施設が無事に見つかったとかで。その実家の家を今度はおばさんが代わりに守ることになったらしい」


 『芦名のおばさん』とは、紅葉が生まれた直後にこの部屋の隣に引っ越してきた中年の女性。

 穏やか笑顔とのんびりとした口調が特徴的な素敵な女性で、俺たちが小さかった頃は仕事で家を空けがちな両親に変わってよく面倒を見てくれた。要するに育ての親と言っても過言ではない人だ。


「そうなんだ。できれば最後にちゃんと挨拶したかったな」

「向こうも紅葉に会えなかったの残念がってたよ。落ち着いたらまた会いに来るって言ってたから、そう気を落とすな」


「うん」


 こうして朝から兄妹同士で軽口やらご近所事情等を語り合い、どうにか虹ヶ咲の件は上手く誤魔化せたようでホッとした。

 

 ***


 虹ヶ咲に昼食の弁当を提供するようになってから一週間以上が経過した、ある日。


「......あの! もし宜しければ、一緒に昼食を取りません? ......と、野良猫が申していますの」


 昼休み。いつもの屋上。

 弁当の入った布袋を手渡して立ち去ろうとする俺を、虹ヶ咲は視線を横に逸らし、頬をかきながらボソッと呟いた。


「いいけど......お前まさか、俺の分の弁当まで狙おうって魂胆じゃないだろうな」

「失礼な! わたくし、そこまで食い意地は張っていませんことよ!」


 憤慨する虹ヶ咲に呼応して、ドリル状の横髪も通常より鋭さを増す。

 同じクラスとはいえ、一日の中で虹ヶ咲と話すのはこの時くらいなものだが、気付けば妹以外で毎日会話を交わす人間となっていた。


「このニンジンに木クズのような茶色い野菜? が混ざったもの......これはいった

い何という料理ですの?」


「きんぴらごぼうのことか。っていうかお前、ごぼう知らないのか?」

「わたくしが住んでいた国ではありませんでしたわ」


 虹ヶ咲は首を傾げ、不思議そうに箸で持ち上げたきんぴらごぼうを見つめる。

 そういえば戦時中、日本がアメリカ人の捕虜に食事としてごぼう料理を提供したら、戦後の裁判で『木の根っこを食べさせた』罪に問われたらしい。

 日本人とフィンランド人のハーフで、尚且なおかつ海外の生活が長かったのだから知らなくて当然。俺としたことが、そこまで気が回らなかったな。

 

「口に合わないなら無理に食べなくていいぞ」

「いえ。むしろ気に入りましたわ。噛めば噛むほど甘じょっぱい味がにじみで、シャキシャキとした食感も心地よく......とてもおいしゅうございますわ」


 レジャーシートの上できんぴらごぼうをお行儀良く頬張るお嬢様。

 そこには悪役令嬢と陰口を言われているとは思えない、幸せそうな笑みを浮かべながら弁当を食す女子高生がいた。


「そうか......なら良かった」


 作り手冥利に尽きるとはこういうことを言うのだろう。

 初めて面と向かって直接賛辞を受け取ったものだからか、胸の奥にぽかぽかとした温もりが現れくすぐったい。


「一つ、訊いてもよろしいかしら?」


 米粒一粒残さず弁当を食べ終え、食後のジャスミン茶をすすっていた虹ヶ咲は、控えめな口調で俺に訊ねてきた。

 弁当は用意してこない癖に水筒は用意してくるんだな。


「そう改まらなくても、さっきから何度も訊いてるだろ」

「今回は料理のことじゃありませんの」


 鼻を鳴らしながら首を横に振り、こう言葉を続けた。


「――貴方は、どうして毎日わたくしにお弁当を作ってきてくれるのですか?」


「どうしても何も、お前が昼食を用意してこないからだろうが」

「だとしても、クラスでほぼ会話をしたことがないような女子に、普通ここまでのことはしないと思うのだけど」


 虹ヶ咲の一言に肩をすくめつつも、言いたいことの意味はなんとなく分かる。

 こいつの言うとおり、俺たちが屋上で出会う前に話した経験はおそらく一度たりとも無い。

 俺自身も明らかに面倒くさそうな相手だと確認済みだったこともあり、できる限り避けて立ち回っていた。

 そんな奴からある日、成り行きで毎日弁当を作って貰うようになったら、誰だって気味悪く思っても仕方がないはず。


「......強いて言えば、放っておけなかった......かな?」


「と、おっしゃいますと?」

「そのまんまの意味だよ」


 紙パックのコーヒー牛乳で喉を潤わせ、言葉を選びながらレジャーシートの一角に座る虹ヶ咲に声をかける。


「ここで初めて会った時の虹ヶ咲、言ってることと態度がバラバラでさ。まるで人間は嫌いだけどエサは欲しい、プライドだけは高い野良猫みたいというか」


「............」


「だから俺が好きでやってることだから、変に気にしなくていいぞ。もしいらなくなったらいつでも言ってくれ」


 そうだ。

 あくまで俺は自己満足のためにしているにすぎない。

 虹ヶ咲は野良猫ではなく人間、それも家が大金持ちのお嬢様。

 何の理由があって昼食を用意してこないのかは知らないが、その気になればいつでもやめられる。

 庶民の男子高校生が作った弁当なんかより、こいつの家のシェフが作ったものの方が何十倍も美味いに決まっているし相応ふさわしい。

 そう思ったら、この程度の料理しか作れない自分で本当にいいのかと、ネガティブな感情がじわじわと湧いてきた。


「......そんなこと、絶対に致しませんわ」

「何か言ったか?」

「いえ。明日のお弁当のメイン、是非だし巻き卵でよろしくお願いしますわ」


 力強い笑みを浮かべて俺に告げた虹ヶ咲を見ていると、とてもお世辞を言っているようには感じられない。

 こうなったら、この我儘わがままな悪役令嬢様がもういらないと宣言するまでは作ってきてやるか、と妙な対抗心とやる気が芽生えた。そんな久しぶりに心安らいだ昼休みだった。


 ***


「ごめーん! お兄ちゃん出てもらえるー? 多分お母さんたちからの荷物だと思うからー

!」


 日曜の朝から自分の部屋でパソコンをいじっていれば、扉の外から紅葉の声が聴こえてきた。  

 両親がGWのお詫びに何か送ると言っていたから、多分それが届いたのであろう。


「はいよー」 


 返事を返して怠そうにゲーミングチェアから腰を上げ、言われるがまま荷物を受け取りに玄関まで向かう。 

 この時、俺は紅葉の言葉だけで宅配業者がやってきたものだと完全に信じ切っていた。

 疑いの気持ちなど微塵もなくドアチェーンを外し、ドアをゆっくり開けた先にいたのは――。


「早朝から失礼致します。わたくし、今日からお隣に引っ越してきました『虹ヶ咲璃音』と申します。どうぞ、末永く宜しくお願いしますね。長月さん♪」


 悲報――野良猫がエサをたかりに隣まで引っ越してきやがった――。


          ◆

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