続・カフェ巡り1(前日譚)

 S・Tの携帯電話の番号とメールアドレス(正確にはgmailのアドレスだったが)を入手することは、存外に容易だった。S・Tと同期であることが発覚した例の後輩にどこまでどんな風に話したものかと逡巡していたが、私が例の事件の犯人(N)と知り合いであり、Nから事件前にS・Tという警察職員からダイレクトメッセージが来ると相談を受けていて、S・Tがどんな事情でNに連絡をとろうとしていたか、そのあたりの話を直接聞いてみたい、と伝えただけで、ことは済んでしまった。事実をバラバラにして継ぎ接ぎにするだけで、尤もらしい物語がでっち上げられるものである。後輩は、Nの起こした事件のことを「あー、ありましたね。旦那さんと不倫相手滅多刺しにしたやつ」と端的(かつ不正確)にまとめた後、「何なら、S・Tに自分から聞いてみましょうか」と余計な気を回したりしながらも、最終的にはスマホのアドレス帳のデータを転送してくれた。

「S・Tには僕から一報入れておきますよ。『アドレス教えたせいで変な先輩から連絡行くと思うけどよろしく』って」

 実際に後輩からどんな連絡が行っていたか定かでないが、メールを送りやすくなったことは確かだ。感謝してもしきれない。

 身元がはっきりわかった方がよかろうと思い、職場のメールアドレスからメールを送ることにし、まるで業務の一環みたいな顔をして、職場で文面を練り続けた。突然のメール失礼します、から始まるビジネスメールの出来損ないみたいな代物を完成させるまで、何の誇張でもなく半日以上かかった。

 最初は、メールで疑問点をぶつけて向こうの出方をうかがうつもりだったが、あまりにも冗長になることや、そもそも、S・Tから聞かされたという『カフェ巡り』の話自体がNの創作か何かだという可能性もあることを踏まえ、直接会って話す機会をもらえないか、と提案することにした。面会のアポイントをとるためのビジネスメール例文集がネットに転がっていたので、非常に役に立った。

 これが2023年5月中旬の出来事である。メールを送信してから返事が来るまでの一週間くらい、私は落ち着かない気持ちを持て余し、その心のざらつきを利用して筆を走らせた。私としては異例の短時間で、『制作裏話(Aルート)』『制作裏話(Bルート)』『制作裏話(Cルート)』『制作裏話(Dルート)』という4つの章を立て続けに書き上げることに成功したが、3作品をカクヨムに投稿したものの、残りの一つはどうしても公開することができず、泣く泣くお蔵入りさせた(作品のギミックの都合上、私と娘の氏名に使われている漢字が全て判明してしまい、本名が二通りくらいに絞られるというのがその理由である)。


 S・Tからのメールは、翌週の土曜日の夜中に届いていたが、職場のアドレスだったせいで、確認するのは月曜日の朝ということになった。社会人の一週間の始まり方としてまともなものとは到底言えない。マウスを握る指が緊張でどうしようもないほど震えてしまったのを憶えている。

 クリックして開いたメールの内容をそのままコピーアンドペーストし、固有名詞だけ伏字にして転載したところ、S・T本人からクレームが来てボツになった。当たり前の話だ。私信を好き好んで全世界に公開したい人間など、プライベートを切り売りして悦に入っている私くらいのものであって、普通の精神状態の人間なら御免こうむりたいはずだ(言われるまで気がつかないなんて、それ自体どうかしている)。

 メールは、連絡に対する礼と返事が遅くなったことへの謝罪から始まっていた。同期である私の後輩から私のことは聞いており、元・××××の□□□□(私の別名義)が、現在は公務員で自分の省庁にいるなど信じられず、最初に聞いた時は冗談だと思っていたというエピソードが語られていた。それだけでなく、Nと霞ヶ関のカフェで面会した時にも私のことは話題に出ていたと言い、事件後、Nと私の関係が近いようなら、私にも連絡を取るべきかもしれないと考えたことがあったと吐露されていた。

 そして、最も肝心なことであったが、カフェ紹介サイトに関する一考察について、Nに会って教示したことは事実である、と認めていた。そのことについて、確かに直接会って話すべきかもしれないが、現在の部署の業務的に平日の昼間に面会の時間を確保することが難しそうなので、業務時間後か休日になってしまう、と書いてあり、その他、様々な懸念事項がいくつか続いていた。体よく面会を断られたものと落胆しそうになったが、「それでも話したいとおっしゃるのなら、是非、会いましょう」と、文末で急展開が待っていた。

 その後、日程と時間と場所の調整に、都合、三往復のメールのやりとりがあった。S・Tとの面会が叶いそうとなった時点で、『続・カフェ巡り(予告編)』の続編を書いて嬉々として投稿することを目論んでいたが、「面会する前に、S・Tに『カフェ巡り』を投稿していることを伝えて、事前に読んでもらう流れになるかもしれない。その場合、あまりにも赤裸々な現状がオープンにされていたら、当日、警戒して詳しい話を聞けなくなるのではないか」という懸念が生じ、寸前で自重した。今思えば、この選択自体は正しかった。ただ、そもそも『カフェ巡り』を全世界に向けて公開していること自体がそれほど正しくない選択なのだから、その後何をしたところでリカバーできているとは言えない。S・Tに『カフェ巡り』のことを知らせず、この続編まで含めて全て秘密裏にことを進めた方が、より自由に書けたのに、と考えなくもない(それと裏腹に、S・Tによる検閲が入る、即ち、容易に暴走しがちな私の作品に明確なブレーキ役がいる、ということに、言い知れぬ安心感があることもまた事実である)。

 Xデーは、私が出張で都内に出かける2023年6月30日に決まった。双方にとって都合が良さそうな有楽町線沿線のとある駅名をネットで調べて、厳選肉料理と日本酒が美味しいと評判の完全個室の居酒屋の予約を取った。18時30分から、2名、イマサコで(言わずもがな、本当は本名を使った)。

 店の情報をS・Tに伝えるためのメールに、私は、Nの件を小説投稿サイトに公開していることを書き添えた。筆名などは教えず、「カフェ巡り 怪談」という異次元の検索式でサイトに到達できる旨を知らせた。知人には一切伝えていないアカウントと作品について、作中で『会って、伝えなければならないことがある』と息巻いていた相手本人に伝えようとしていることに、ひどく倒錯的なものを感じた。

 S・Tからは、店の予約に対する礼と、「当日までに読んでおきたいと思います」という事務的なメールが返ってきた。それ以降、連絡が完全に途絶えたが、前日に念のためリマインドのメールを送ったら「お会いするのを楽しみにしております」という、適切なのかどうかわからない社交辞令の返答があったので、約束を反故にされたわけではなさそうだった。

 正直なところ、S・Tと直接会って何を話すべきなのか、よくわからなくなっていた。少なくとも、Nについて、あるいはNの起こした事件について、さらに言えば『カフェ巡り』という私自身の作品について、誰かと話せるだけで私は救われる気がしていて、そういう意味でS・Tは救世主とも言えた。

 前日はなかなか寝付けなかった。遠足の前日に例えるほどワクワクはしておらず、重要なプレゼンの前日にも似た胸に迫るような緊張感があった。余談だが、6月30日の私の出張の用件は重要なプレゼンだったので、実は比喩でも何でもないただの事実だった。こういう、怪談と微塵も関係のないところで、私の現実は回ってしまっている。

 あまり眠れなかったが、悪夢も見なかったし、予定の時刻に目覚ましで普通に起きられた。点数をつけるなら六十点くらいの、当日の朝を迎えた。

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