死神の投げ銭

 もしかすると、この世界は狂気に満ちているのではないか。

 私が、YouTube配信のスーパーチャットというシステムを初めて知った時の率直な感想である。スーパーチャットは、配信を行っている人物への投げ銭であるとともに、チャット欄で自身のコメントを目立たせることが出来るというもので、派手なコメントを書き込む権利を購入していると考えることも出来る。スーパーチャットの額は、百円から五万円まで、自分で決めることが出来るが、金額に応じて書き込める文字数とコメントの色が異なるという仕様である。必然、高額のスーパーチャットは非常に目立つため、それを投げた人間は配信している者から即座に認識され、感謝の言葉と共にコメントを読み上げられる流れになることから、人気配信者の配信では色鮮やかなコメントが競い合うように飛び交っている。誕生日などの記念配信では、飛び交ったスーパーチャットの合計額が数百万円に及ぶことも珍しくないと言う。なお、スーパーチャット課金額のおよそ三割は手数料としてYouTubeが徴収するシステムになっている。

 そもそも「配信者」という存在そのものが、承認欲求に突き動かされて活動している業の深い人々なのだが(なお、これは配信者に限らず、何らかの創作活動をしている人間は全員当て嵌まり、私自身もその一員であるため、殊更に配信者を貶める意図はない)、よもや、本来は配信を楽しむ消費者に過ぎないはずの「視聴者」の承認欲求をすら利用して金を儲けるというビジネスモデルがあるとは思わなかった。有形物以外でも商売が成立することはわかっていたつもりだったが、人間心理の深淵にも金銭的価値が生じる時代が来ているのだ。

 その闇は、容易に人を飲み込んでしまう。私は、投げ銭が原因で一人の配信者が死ぬのを見たことがある。


 その配信者Oは、バーチャルYouTuberと呼ばれる存在であり、美少女の二次元キャラクターのアバターを使って、ゲームの実況配信をしていた。どこかの企業や事務所に所属しているわけではない、個人勢といわれる存在であり、私が最初に認識したのは確か2021年の年末くらいだったと思うが、Oの登録者は千人に達していなかった。スーパーチャットや広告を設定してYouTube上で収益を得るために幾つかの条件が必要なのだが、「登録者千人」というのが、そのうちの一つとなっている。この「収益化」が出来なければ、当然、配信で生きていくことは出来ないため、一つの大きな節目と言える数字である。要するに、Oは、YouTubeに溢れかえっている泡沫配信者の一人だったと言って差し支えない。

 私がそんな泡沫配信者をどうやって見つけ出したのかと言えば、関連動画に偶然紛れ込んでいたということになる。Oが配信中にプレイするゲームの一つにオンライン麻雀ゲームがあり、私は当時ネット麻雀にハマっていて、上手な打ち手の麻雀配信動画をよく見ていたことから、お勧めとして上がって来たものと思われた。それを実際に見に行ったのは、私の気まぐれに過ぎない。Oは麻雀の打ち手としては「下の中」くらいの腕前で、牌効率も怪しいし、点数計算もできないし、役の名前も覚束ないし、立直に対して下りることもしなかったが、負けても楽しそうに打っていたので、不思議とイライラせずに見ていられた。配信に来ていたのは多くて二〇人くらいで、コメントをしているのはその内五人くらいだった。

 泡沫配信者が泡沫である大体の理由は、単純に話が面白くないということに尽きるし、その状態は界隈では「虚無」という身も蓋もない言葉で形容されるのだが、Oは典型的な虚無だった。麻雀では、次に何を切るべきかわからない、とオロオロしていることが殆どで、思い出したように雑談を始めたと思ったら、一切オチがないまま、終わったのかどうかさえわからない内にいつの間にか手牌のことでまたオロオロし始めるような始末だった。外見的に、あるメジャーな動物の耳が生えており、人間ではなくて、その動物の精霊だか妖精だか擬人化だか、そういう設定のキャラクターだったのだが、設定が生かされることは一度としてなかった。それでも、ボイスチェンジャーなしで女声であるというだけで、「囲い」が出来るのがバーチャルYouTuberの常だった。アバターですらそうなのだから、自分の顔を出して配信をしている女性達は、とんでもない数の人間に囲まれているに違いない。泡沫配信者にも熱心な囲いが、いや、囲うほどでなくても信者が現れるのだと、私はOを見て初めて知った。Oの配信のコメント欄のほとんどは、Kという人物の書き込みで埋まるのが常だった。他の誰かが書き込むと、「初見さんいらっしゃい」とOが言うより早く、コメント欄に書き込んだりもしていた。

 いよいよチャンネル登録者数が千人を超えるかどうかという時に、Oは耐久配信をしていた。要するに、登録者千人達成するまでエンドレスで配信を続けるという企画だが、Oは二十時間以上配信を行う羽目になったようだった。私は、途中で一瞬だけ見た。彼女は眠気覚ましにリングフィットアドベンチャーをやっていたが、少し見ただけで、全然運動の出来ない人間の動きだということは伝わった。

 私自身、Oを熱心に追っていたわけでないので、実は彼女の「チャンネル登録者」でなかったのだが、彼女は無事に登録者千人を達成して収益化審査を突破したらしく、一週間くらい後の配信ではスーパーチャットが飛んでいた。

 麻雀で一着を取った時に、ナイストップ、という言葉と共にKが二百円のスーパーチャットを投げていた。この額は、文字が入力できる最低金額であり、投げ銭としては良識的な方である。

 私がぎょっとしたのは、配信が終わる直前に、Wというそれまで全くコメントしていなかった人物がいきなり一万円を投げたことだった。最高額のカテゴリーになり、コメント背景が赤色になることから、「赤スパ」と呼称されている。コメントは、確か、配信ありがとう、だったか、配信お疲れ様、だったか、とにかく全く「推しに対する熱」を感じない、当たり障りない内容だった。

「わー、Wさん、今日も赤スパ、ありがとうございますー」

 Oの言葉に、私はさらに驚かされた。あまりに大したことのない内容だったためか、Oはコメントを読み上げることすらしていなかった。そんな高額の投げ銭が当たり前に飛ぶ意味が全くわからなかった。

 Kも、ナイスパ(ナイススーパーチャットの略)、とだけコメントしていた。表面上、Wを讃える内容だったが、ほとんどKのコメントで埋まるチャット欄に突如として現れた肝心の真っ赤なコメントは、目に見えて異質だった。

 例えばWが、他の美少女バーチャルYouTuberの配信にもよく現れる石油王だとでも言うなら、そこまで印象に残らなかったと思う。だが、全くそういう感じもしなかった。何しろ、Oの配信においてすらスーパーチャット以外何のコメントも残していなかったのである。私は、麻雀配信以外のOの配信を殆ど知らないので、他のゲームでWがどのように振る舞っていたのか、正確なところはよく知らない。他の配信でWの名前を見たこともない。

 2022年の夏の時点では、麻雀配信に現れるWはOに赤スパを投げていた。秋に見た時、Wは何故か普通のコメントでOの配信を労っていた。Oの配信のスーパーチャットは、信者であるKが道中で投げる数百円のものだけになっていた。何となく、不穏なものを感じた。登録者数は伸びておらず、再生数が急に増えることもない。停滞期に入っていた。


 年が明け、Oの配信がいつの間にかお勧めに上がらなくなったな、とは思っていたが、麻雀をしているバーチャルYouTuberに関する5ちゃんねるのスレで、私はOのチャンネルが消滅していたことを知った。引退や卒業を告知することもなく、Twitterからも消えて、完全にいなくなってしまった。

 アバターの情報を徹底的に消していることから、逆に、中の人は生きているのだと明確に把握できたが、配信者としてのOは完全に死んだ。

 好きで始めたはずの事柄に、一度報酬が発生すると、報酬を得ることが目的にすり替わってしまい、無報酬でそれを実施するモチベーションが著しく低下するという現象が知られている。アンダーマイニング効果という名前まであるそうだ。故意だとは思いたくないが、Wはその状況をスーパーチャットで見事に再現した。Oから巧みにモチベーションを奪い、この世から消し去った。

 程度問題ではあるが、同じことは信者であるKにも可能なのだと思い至り、私は不思議な気持ちになった。Kの与えている報酬は金銭ではない。承認欲求の充足そのものである。W出現以前なら顕著であろうが、Kがある時突然配信に現れなくなったら、Oはそれに耐えられなかったことだろう。

 スーパーチャットは、あまりにも歪過ぎるその構造ゆえに、配信者が縋るには脆過ぎる。そして、それを巧みに操るコメント欄の住人についても、残念ながら信頼に値しない。信者であってさえなお、彼らは悪意なく配信者を殺しうる。

 あなたも潜在的な死神の一人だ。


 勿論、コメントへの依存度が小さくなる人気配信者相手ならそんな心配は一切いらないので、思う存分幾らでもコメントして良いし、スーパーチャットを投げて良い。リスナーとの心温まる交流が、配信者の精神を救うことだってあるだろう。

 ただ、到底私には出来ない。






 




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