零落の子

われもこう

雪を愛す


 

 ねえ生きるのを許されたと思ったのはどんなとき?


 歌うような声音だった。とりたてて苦しい思いなどしたことがないとでもいうような、少年になるまえの幼児みたいな澄んだ声でロロが尋ねた。僕がそうだね、と前置きしたのは形だけ。君を驚かせないためのワンクッション。


「僕をいじめていた人のお母さんが死んだと聞いたとき」


 そこは天国みたいな風景だった。河川敷の柔らかい芝生の上に、ロロと僕は二人並んで座り込んでいる。満開の梅の木の下で。風が吹くと、白い梅の花が、雨のように降ってくる。その花弁の雨の中、僕たちは、国道をゆく小さな車の流れを見守っている。


 ーーあの車たちはきっと、死んだひとを運んでる。

 僕はそう思った。


「怒りだとか、哀しみだとか、優しさだとか、軽蔑する心だとか。そういった、あいつの心の働きを一つずつ知っていって、僕はいつの間にか、あいつを許すのだろうと思ったんだ。同時に僕は許されてゆくのだろうとも思ったんだ」


「じゃあ、生きるのを許されないと思ったときは?」


 尋ねるロロの声は、先ほどより僅かに静かだ。それでいて、先ほどよりも僅かに暗かった。暗鬱な、藍色めいた音。


 ああ、やっぱり僕と君と友達なんだね。


 だってこんなのにも、お互いのことが分かってしまうのだもの。


 ーー遠くで犬が、吠えている。


「湯船がおもったよりも熱くて浸かると体中がぞわっとしたとき。あるいは想像以上に体が冷えていて、お湯を熱く感じたとき」


 ねえロロ、きいてる?


 律儀に答える僕の声は、我ながら放置したぬるま湯のようにキモチワルイものだった。タバコの灰みたいに、燻んでいて、半透明だ。


「責め立てられているって思ったんだ」

「だれに?」

「すべてに。」

「病んでるね」


 あははと笑った僕たちはやっぱり天国にいた。水色の空から透明な風が降りてくる。君の髪の毛が揺れて睫毛が光った。日が暮れる前に早く帰らなくちゃ。今夜はよく冷えるのだって。もしかしたら、雪が降るかもね。こんな春にさ。


 新学期が始まって、もし好きな子ができたら、どちらがもっとも早くその子を傷つけられるか勝負しようね、と約束した。目を眇めて国道をゆく自動車を眺め。白いラブラドールと散歩するご婦人が去るのを見届け。白鷺が川を渡るのを合図に、僕たちは天国を後にする。


 夜になると雪が降った。


 二階の冷たい窓ガラスを開けて、夜の町並みを眺める。雪が積もるか、それとも夢のように消えてしまうのか、見届けてみようと僕は思った。


 はたして、雪は降り積もっている。静かに、すこしずつ、粉砂糖をまぶしたみたいに、僕たちの住む町を白く彩ってゆく。


 綺麗だけれど残酷だなあと思った。雪が降れば町は静かになる。悲鳴は聞こえない。降り積もる雪に吸い込まれて。降り止まぬ雪に押し殺されて。僕たちは沈黙を強要されるだろう。いつまで? 雪が溶けたあともずっと。


「ララ。お風呂よ」

「はあい」


 氷のような窓をしめる。階段を降りながら、自分の体が冷えていくのを実感する。今日の湯船はきっと熱い。


 イヤだな。僕はひとりで笑った。また、責め立てられる。だれに? この世界に存在するもの、人も、ものも、神さまも、きっと僕の知らないロロも、これから好きになって傷つけてしまうであろう、あの女の子にも。


 音を持たないあらゆる声が、いつだって僕を糾弾する。


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