悪魔と一週間

薄氷

Day 1.

第1話

 家を出てすぐの十字路へ向かって走る。少し寝坊をしてしまったのだ。30分後のホームルームに間に合わないという訳ではないが、遅くなると待ち合わせをしている2人がさっさと自分を置いて学校へ向かってしまう。

 うだるような暑さだ。冷房の効いた快適な部屋で冷えていた身体が、あっという間に温まって汗ばむ。

 だがその甲斐あってまだ2人は十字路で自分を待っていた。

「遅っせーよ! もう少しで置いてくとこだったぞ」

 そう言って茶色の短髪を揺らしながら怒る彼は紫園梢。トパーズを思わせる黄みがかった宝石のような瞳に軽く睨まれる。

「そんなに怒らなくたっていいでしょ。まだ学校には余裕で間に合うんだから」

 梢を窘めるのは紫園春、紫園梢の姉だ。容姿は髪色も瞳の色も瓜二つ。梢にそっくりなストレートの長髪が今日も風にあおられていた。

「いつも悪い! そういえば2人はいつも早いよね」

「当たり前です。そうでなければお母様に怒られてしまいますから」

 春はわざと少し上品に笑って見せた。

 紫園家は国内有数の財閥の一つだ。春も梢も財閥の御曹司または御令嬢というべき立場で、家が近所で尚且つ同じ高校に在学するという幸運に恵まれなければ、宇良川ケイトは一生彼らに会うことなどなかっただろう。

 今でもケイトは自分が彼らと同じ制服に身を包み、一緒に登校していることが信じられないことがあった。

「早く行こう? ケイト君」

「うん」

 春の言葉で今日もゆっくりと学校へと歩を進める。


 ケイトは左隣を歩く春をちらりと盗み見る。大きな瞳に通った鼻筋、シミ一つない肌、傷みのない髪が歩くたび揺れて、心なしかほのかに甘い匂いまで漂っている気さえした。一言でいえば、春は誰もが思い描くような美少女だった。

 ケイトの口から自然とため息が漏れる。

「そういえば昨日のオカルトリオちゃんねるの配信もう見た? 広くて生活感のない建物でひとりかくれんぼ……本人はすごく冷静なのに見てるこっちがドキドキしちゃう!」

 大興奮という様子で春はケイトに動画の内容を詳らかに語る。

 オカルトリオちゃんねるというのは最近動画配信サイトで人気の3人組動画配信者だ。その名の通りオカルトに関する動画を主に投稿している。そして春は彼らの大ファン、というよりオカルトオタクであった。

 これがなければなぁ……。

 ケイトの口からまた自然とため息が漏れた。

 春の話はまだまだ続く。悪魔がどうとか、それを呼び出すための魔法陣がどうとか。ここまで来るとオカルトオタクというより厨二なのではないかと思ったこともあったが、本人はいたって真面目にそれらを論証しているだけであり、彼女が右手に包帯を巻いて登校する日は終ぞ来なかった。

「それでね……って聞いてる?」

「うんうん、聞いてる」

 適当に相槌を打った。もちろんケイトは話半分に聞き流している。

「聞いているならいいの。それでね……」

 前面からドライヤーのような熱風に襲われる。風が吹いても全く涼しくならいのだからこの季節は本当に困る。

 ああ、もう少しで夏休みか。

 自分でふと思ったことに感慨を抱いてしまう。

 だが思い返してみると、高校に入学してからここまであっという間だったような気がする。

「様々な場所で異形――いわゆる悪魔が確認されているけど、彼らは特定の人物に憑りついているかのように付きまとっている。というのはケイト君も知っているよね」

「うんうん」

 一人盛り上がっている春をよそにケイトはそっと来た道を振り返る。

 僕はこの与えられた高校生を有意義に過ごせているんだろうか。何もしないでこの数か月をだらだらと過ごしていたんじゃないだろうか。

「やっぱりこのように悪魔と取引をするには、前提条件として悪魔を呼び出す必要がある。そしてそのために必要なものが血で描かれた魔法陣! ケイト君もそう思わない?」

「うんうん」

 ケイトの両親はすでに亡く、姉と共に孤児になり施設に預けられた。施設にはケイトと同じ境遇の子が何人もいた。自分には姉がいるだけましなのかもしれない、そうも思った。施設での生活は結構楽しかった。職員の人は優しかったし、自分よりも小さな子がいつも騒いで回るような場所だった。

 僕はいつからか淋しさを感じなくなった。僕も人の世話を焼いてやったりで忙しかったというのもあるだろうけど、それ以上に僕はあの場所が好きだからなんだと思う。

 でもそんな素敵な場所でも一つ問題があった。それは資金難だ。自分を含む多くの子供たちを国からの補助金や過少な寄付金で食費を賄うことができても、一般家庭と同じ教育を施すのは無理があった。そのため、施設内で義務教育以上の高校に進学することができるのは、学習意欲を持っていて成績優秀な一握りの生徒だけだった。

 だから僕は必ずこの与えられた3年間を有意義に過ごさなければならない。これで大人になって必ず良いを給料もらって生活に余裕ができたら、施設にお金を寄付するんだ。そうすればきっと次の世代では高校、大学まで通える学生が多くなるだろう。

 ケイトの脳裏に自然と自分よりも幼く施設に預けられた子供たちの顔が次々と浮かぶ。ノイル、ヘレン、エマ。エマは最近入った子で施設の中で一番幼い。ケイトと同じく、事故で両親を亡くした子だ。施設内で塞ぎ込んでいた彼女だったが、昨日初めて笑顔を見せてくれた。比較的年長に当たるケイトはその変化を実の妹のように喜んでいたのだ。

 頑張らなくては! 

 決意を新たにケイトは学校への道のりを真直ぐに見つめた。

「という訳で鮮血が手に入り次第、試してみてほしいんだけどお願いできる?」

「うんう……え?」

「そう言ってくれると思ってたわ! これ図案だから、よろしく!!」

 半ば強引にA4のコピー用紙に印刷されたいかにも厨二感溢れる魔法陣の図案を押し付けられる。所持しているだけでも恥ずかしくなってくる恐ろしい呪物である。

「待って、どういうこと!?」

 しかもさっき『鮮血が手に入り次第』って言ってなかった? 春は日常生活で鮮血が手に入るとでも思ってるの? 怖い。

「要するにね、悪魔は召喚主の願いを叶える力があると考えられる。それを検証するためにちょっと悪魔の召喚主になってみてくれないかな?」

「そんな軽いノリで!? 要求されてる物がおどろおどろしすぎない?」

「とにかく、鮮血が手に入ったら試してみてほしいの! 手順は全部その紙に書いておいたから」

 春は夢中になっているのかケイトに近づき過ぎていることに気づかない。春の、やや紅潮した頬も耳に掛けられた後れ毛もいつも至近距離に見えた。困った視線は彷徨い反対側の歩道でオカルトトークの難を逃れ、悠々と歩く梢に吸い寄せられた。

 助けてくれ、と意味を込めて梢を見詰めると、お気楽な手振りが帰ってきた。どうやら応援は見込めないらしい。

「善処、するよ……」

頷くしかなかった。それを聞くと春も嬉しそうに頷いた。

「よかった! よろしくね」

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