第十二話  破軍の星

 四条家当主・中納言、じようこれみちは、四条家待望の男子であった。

 前当主には、姫しか生まれなかったためだ。

 四条家は一時はれいらくしていたがみやばらの血統で、惟道が中納言と地位が上がったことで財も増えた。あとは世継ぎを――惟道の母・鹿かのは願った。

 だがまたも四条家には男子は生まれず、四条家は存続の危機に瀕した。

生まれたのは姫一人、かつての自分と同じように四条家を護るさだめに生まれた娘。


 ――おばあさま、わたしお友達ができました。


 をすませたばかりの姫が、嬉しそうに鹿子の元にやってくる。

 だが彼女には、孫娘がいう『友』は視えない。

 自身が他家から婿を迎えて四条家を継いだように、いずれは婿を向かえ、四条家を守らねばならぬ娘、不安になった鹿子は霊験あらたかな僧都に相談した。

 その僧都曰く――姫には鬼が視えること、もう一つは破軍の星をもっていること。

 破軍の星は異界のモノを招く――そう告げられた鹿子は、絶望に沈んだ。

 しかし、守らねばならない。愛する孫娘も四条家も。

 その孫娘が、荷葉である。

 美しく成長した荷葉――妖に狙われぬよう秘してきたが、そろそろ良縁を結ばねばならない。そう早く。

 なのに――。

 姫は、囚われた。星のさだめるままに妖に囚われた。

 あの――半妖の陰陽師・安倍晴明のせいで!

 哀しみが、怒りが、老いたる躯を苛む。絶望という名の底で。

 

       ◆


 王都の寺から釈迦仏を盗んだ賊は、事件勃発から五日後に捕らえられ、その事件は収束した。だが――彼の心には、別の事件による受けた、鋭い杭が刺さっている。

 内裏にて不穏な気配と妖気を察知した晴明は、式を飛ばした。

 二度も渡り、七殿五舎に鴉がやってきた――、帝からの言葉を告げられたその日の事だ。 しかし式は、なんの手がかりも持たずに帰ってきた。

『わたし……、こんな意味であんなことを言ったんじゃないわ』

 顕現した天将・太陰が、さっきからずっと板敷きの床を睨んでいる。

「誰もお前を責めてはいない」

 晴明はそういって口許に土器かわらけを運ぶが、中の酒は一向に減らない。

 晴明が大内裏から自邸に戻った翌日、四条家の舎人とねりがやってきた。荷葉が消えたという。大内裏の俥寄せで待機していたが、彼女が中から出てくることはなかったらしい。


 ――あなたのせいです……!


 四条家の媼・鹿子が、四条家を訪ねた晴明にその怒りを浴びせた。

 半妖である晴明が姫に近づいたせいで、彼女の冥がりが濃くなったという。

 荷葉は破軍の星をもつ姫だった。

 破軍の星は妖を招く――同じ冥がりをもつ晴明が近づいたことで荷葉がもつ星は濃くなり、結果、妖に囚われた――そう媼は言い募った。

 破軍の星をもつ皆が全員冥がりを宿しているわけではないが、おうなの憎しみは晴明に向けられる。

 確かに、私のせいだ。

 晴明は、土器の中を睨んだ。

 半妖である自分が人と関われば、いずれ誰かが傷つく。そんなことは、陰陽師となるまえからわかってきたことなのに。

 荷葉はいま、どこにいるのか。

『晴明……、あのね……』

 一歩踏み出した太陰が、その動きを止めた。

 晴明も土器から顔を上げ、同じ方向を睨んだ。

 何かいる――。

「隠れていないで出て来たらどうだ?」


 しゃんっと、鈴の音のような音がした。


 妻戸を開けると、その男はいた。

 笠を深く被り、錫杖を手にした法師が。

 それは以前、晴明が神泉苑前で見かけた、あの法師であった。

 

     ☆☆☆


 ――憎しや……、あぁ……、なにゆえ……。


 ゆらりとソレが、少年に訴える。

 彷徨い出た魂魄に、少年の記憶が一気に蘇る。紅蓮の炎が周囲を舐め、父が呆然と虚空を見つめていた。

「なにゆえ……」

 父の発したのはその一言。

 お前の父は謀反を企てた。恐れ多くも、帝を弑いせんとした。

 周りはそう、少年にいった。

 それが、真実でないとわかったのはいつであったか。

 遠い流刑の地で、生きる屍となった父はもう何も語らない。過ぎ去り日に心を置いてきてしまった彼は、ぼんやりと宙を見つめたまま。

 心が壊れるほどに起きた悲劇。

 今も真実は明かされることもなく、一族を灰にした者たちはのうのうと生きている。

 彼は誓った。

 王都に生けるすべてのものに、地獄を見せてやろう。たとえ――鬼となろうと。 


 ――しゃんっ。


 錫杖についた遊環ゆかんの奏でる音が、逢魔が時の昊に木霊する。

 延慶はついに、『それ』を見つけた。

 碧く輝く殺生石――あれが復活すればもはや、異界の門は誰も閉められない。たとえ――、安倍晴明であろうと。



「我が名は、延慶」

 法師が名乗る。

「お前だな? 水虎を操り、帝を襲撃しようとしたのは!」

 晴明は、延慶を睥睨した。

「いかにも。だが――まだ終わりではない。我が標的は、まだたくさんおる」

 不敵に嗤う延慶に、太陰が吼えた。

『いい加減にしなさいっ!』

 太陰の怒号に、延慶は嗤った。

「ほぅ、それが十二天将……とやらか?」

『晴明、この男……』

「どうやら、お前が視えるようだな。太陰」

『どうするの? 相手は人間よ』

 人間は攻撃してはならない。殺してはならない。

 十二天将は神、式神であっても人間には出だしはできない。

「いや――」

 晴明は精神を研ぎ澄まし、延慶を見据えた。

『晴明?』

「この男――」

「さすがは安倍晴明。そう、この身はとうに鬼に喰われた。力を得るために、くれてやったわ。あの娘も喰われように」

「荷葉殿をさらったのもお前か!?」

「あの娘は破軍の娘、己のさだめにしたがっただけよ」

 晴明は印を結んだ。人でないのなら、手加減はいらない。

「オン、サマンダバザラダン、センダマカロシャダソワタ、ヤウンタラタカンマン」

 宙に描いた五芒星が、カッと光る。

 延慶も、錫杖を斜に構える。

刀破とうは!!」

 五芒星の光は、延慶へ放たれるが、彼の姿は鴉となって舞い上がった。

『卑怯よ! 逃げるなんて!! あのを返しなさいっ』

 飛び立とうとしていた太陰を、晴明は制した。

「やめろ! 太陰」

「なぜ!? 彼女は待っているわ! 晴明、あなたがくるのを」

「あの鴉は式だ。延慶は別の所にいる」

 昊を睨みながら、晴明は握った拳を振るわせた。


 ――荷葉殿は、必ずこの安倍晴明が助け出す!

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