第十話 秘めたる恋心

 神泉苑の行幸から三日後――出仕した晴明は、師・賀茂忠行に報告した。

「水虎であったとはのぅ……」

 水虎とはその名の通り、頭が虎、胴体は龍のような姿をした妖の事である。

 神泉苑にて帝を狙った水虎は池に逃げ、それを十二天将・青龍が追うものの、途中で消えてしまったらしい。それでもかなり打撃を与えたらしいが。

 報告しに顕現した青龍を思い出し、晴明は嘆息した。

 逃がしたことが悔しかったとみえる。青龍は怒り心頭であった。

 ――これは招喚しても、しばらく出て来んな……。

 晴明は晴明で、関白・頼房にたっぷりと怒りをぶつけられ、帝は黙して語らずを貫き、天将が降臨したときと同じくらいの倦怠感を味わうことになった。

「しかし晴明、水虎はだいぶ前に、封印されておる筈じゃ」

 忠行に寄れば、水虎は他の陰陽師によって地に封印されたという。

「誰が封印を解いたのか、心当たりがあります」

 晴明の言葉に、忠行は目を眇めた。

「それで、これからどうするつもりじゃ? 晴明」

「もちろん、決着はつけます。師匠」

 そう、まだ終わっていない。

 殺生石は、封印が解かれつつある。水虎が奪った欠片を奪還し、元の形に繋ぎ合わせて封印し直すか、それとも破壊するか。

 水虎を斃しても、殺生石の問題は解決しないのである。

「お前が言うその誰か、かなりの呪力を有しておる」

 忠行はそういって、唸る。

 無理もない。

 相手が人間となると、陰陽師の役目でない。

 帝を弑しようとしたとしても、罪を斬罪し、捕らえるのはきようしきの仕事だ。だが、止めることはできる。

 ――やはりこれか。

 振り返った先には、殺生石の本体がある。

 今回の件で、いっそう妖力を取り戻しつつあるそれは、碧い閃光を放ちながらここからでるのを待っているかのようであった。

 再び――王都を恐怖に沈めるべく。



 七殿五舎・昭陽舎――。

典侍ないしのすけ、なにか気になるものがあって?」

 その声に、簀子と室を隔てる御簾近くにいた女房はびくりと躯を震わせた。

 女房の名は荷葉――あの四条家の姫である。内侍は、七殿五舎での地位である。

さとさま……」

 荷葉に声をかけたのは昭陽舎の主、女御・聡子である。

「さっきから、御簾の外ばかりみていてよ? 内侍」

 鮮やかなこうばいにおいかさねに唐衣を合わせた聡子は、檜扇を口許に当てて微笑んでいた。

「申し訳ございません」

「謝ることはないわ。昔のわたくしも、いまのあなたのように御簾越しに、廊を進む殿方をみていたもの。妾の場合は主上だったけれど」

 女御・聡子はそう、鈴の鳴るような声で笑った。

 七殿五舎では、女房たちが廊を進む男性たちに心をときめかすことはよくあることだ。

 荷葉も、はしゃぐことなかったにしてもそうした一人だったのだから。

 貴族の姫は、よりよい相手と縁を結ぶ。

 容姿、家柄、身分、和歌の腕など親などが決める者もあれば、男性の方から和歌や文を贈られ、気に入れば対面となる。

 荷葉にも藤原家からの縁談がきていた。

 彼女のおうなは良縁と喜んでいたが。

 荷葉が御簾の外に探し求める男は、今日は内裏に参内しては来ないようだ。

 この恋は、罪なのだろうか?

 ただ、見つめていることさえも。

 女御・聡子は帝から頂いたという唐菓子を、紙に包んで荷葉にも分けた。

 荷葉はそれを受け取ると、自邸に戻るために室を出た。

 簀子を進み、角を曲がる。

 そして――。

 その姿が目に入った時、荷葉の鼓動は大きく跳ね上がった。

「――荷葉どの?」

 その男は怪訝そうな顔をしている。

 白い直衣に長い髪、整った鼻梁に涼しげで濁りのない双眸、彼の器量なら間違いなく七殿五舎の女房たち憧れの的。

 しかし彼は陰陽師、半妖の陰陽師と呼ばれる安倍晴明。

 荷葉は想いを胸奥にしまい、笑みを作った。

「ご無沙汰しております。清明さま」

 

☆☆☆


 そうきゆうを、一羽の鴉が飛んでいた。

 大きく羽ばたいた鴉は、彼が握る錫杖の先に止まった。

「――そうか……、それは面白い」

 法師・延慶は、ついっと口の端をつりあげて嗤う。

「次の傀儡くぐつは決まった」

 延慶はそれを睥睨した。

 無残に幾つも寸断された胴体、信じられぬと見開かれた目が威嚇してくる。

『我ニ力ヲ与エテクレル約束ハ偽リデアッタカ……!?』

「汝はもう用済みよ、水虎」

『オノレ……!!』

 延慶が纏う法衣の裾を、水虎の手が掴む。

 塵となって崩れゆく水虎の最後の攻撃は、裏切った男もとろも異界に沈めることらしい。

 だが、衣を掴んでいた腕も塵となって崩れ、塊だけとなったその身も、砂となって風に飛ばされた。

 さて――百鬼夜行の準備にかかろうとしようか?

 式である烏羽玉色うばたまいろの毛並みを撫でながら、延慶は不敵に嗤った。

 


 妖の血は妖を引きつける。妖が視えるものもこれ然り――とは、だれが言ったものだろうか。

 朱雀大路にて、藤原冬真は渋面を作った。

 妖が這い出てくる逢魔が時には早い気がするが、目の前には女がいた。

 髪は赤く、武装をしている。この国の武具ではないことから異国の女だろうか? だが側を通り過ぎる他の廷臣たちや一般の民も、そんな女など気にも止めない。ということは、人ではないという事になる。

 冬真には、鬼や妖が視える見鬼の才がある。

 そんな異能はあっても嬉しくないが、目の前の女は明らかに冬真に用があるようだ。

 しかも睨んでいる。

「鬼に、喧嘩を売った覚えはないんだが?」

『失礼ね! わたしの何処が鬼よ!』

 怖い。

 さすがの冬真も、後退った。

「俺に……なにか用か?」

『あなた――晴明の友達でしょ?』

「いや――、知り合いというか……」

『どっちでもいいわ』

 いや、よくない。

 女は大儀そうに赤い髪を掻き上げて、溜め息をつく。

 もしかすると、晴明の知り合いと知ったこの女は、彼に対する恨みを冬真で晴らそうとしているのではないか。

 おい、晴明。お前のせいで、俺は危機に瀕しているぞ。

 いつもの冬真なら腰の刀に手を伸ばすが、相手は女。鬼でなければ幽鬼か妖か、問題は晴明への恨みをぶつけられても困る。

「あのな……」

『晴明に伝えてくれるかしら?』

「は……?」

『早くしないと、蓮華は摘み取られてしまう――って』

 そう言い残し、その女は消えた。

(蓮華……?)

 冬真にはさっぱりだが、何故か躯はへいしていた。

「左近衛中将どの、如何された? かような場所で。鬼でも見られたか?」

 冬真の横を通り過ぎようとした牛車が止まり、顔見知りの男が顔を出す。

「ええ」

 冗談で言ったつもりだったのか、顔を出したその男は慌てて牛車に戻る。

 冬真としては女の言葉を伝える義理はないが、といってまた出てこられても困る。

 一旦自邸に帰り、それから晴明を尋ねようと、冬真は左京の方角へ歩き出したのだった。

  

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