肆 町の話

 学業と部活と家業の両立というのはどう足掻いても難しい。常に隠世に居られるわけがなく、異変の調査は遅々として進まない。それに喜ばしいというべきか嘆くべきか、プールでの不可思議な事件が現世側でうやむやになって以降何も起こってない。

「佐伯さん聞いて! 先生達マジで検証させてくれる気無いのよ! 無いクセに! 解決したって言うのよ?! 立ち入り禁止にしてるクセに!」

「今から夏に向けてプールの掃除とかが入るからだと思う……」

 相変わらずの行動力が凄まじい、新聞部次期部長――と本人だけが思っている――奏子が、未希の机を力一杯叩いて力説する。何故己に言うのか、と言わずに首を振る。プールへの引き込まれ事件は、不本意で滞在する羽目になった河童が産んだ穢れた嬰児達のせいだし、それは未希が人に知られぬよう解決したのだ。教師陣が未だプールを立ち入り禁止にしている理由等知る由もない。

「諦めて他の記事書いたら?」

「それは書いたし、〆切は守った! でも、それはそれとして……!」

 奏子はなおも未希に食い下がろうとして、チャイムの音に断念し席に戻る。全く日常というのは、こうも騒がしいものなのか、と未希は思わずにはいられなかった。

 さて、上弦町は山河に囲まれた静かな町である。のどかな田園風景に、季節毎にレジャーも楽しめる。実のところ、"妖怪と住む町"をウリにしているのは単純に住人がいないからでは、と言われても仕方ない。

「この町さぁ、マジで日本の田舎、って感じだよね!」

「分かる! 田んぼとか山とか川とか、日本の田舎はこう、みたいな要素しかない!」

 いかにも観光客、といった風貌の女二人が、観光地図を手に笑い合う。電車は通らず、来るにはバスか車を使うしかない。そんな辺境にわざわざ来るのは、よほどの物好きか田舎好きくらいしかいない。何が楽しいのかきゃあきゃあ言い合う女二人を横目に、薄紅のカーディガンを羽織った未希が通りすぎる。日差しは暖かいが風は冷たい季節なのに、彼女らは半袖姿だ。寒くないのだろうか、と胡乱な目を向けかけて、気付かれないように顔を背けて目を閉じる。その瞬間、冷たい突風が通りすぎた未希ごと観光客を襲った。

「うわっ! 痛!」

「びっくりした~。まだ半袖は寒かったかぁ……」

「痛かったぁ……。小石が跳んだのかな、切っちゃった……」

「うわ、痛そー……。血が出てないだけマシじゃない? もしかして、妖怪の仕業だったりして?」

「"妖怪と住む町"らしく?」

 怪我をしながらも笑いながら去る観光客達。彼女らが立ち去ってから、未希は深くため息をついた。彼女の深紅の左目には、鎌鼬が嬉しそうに己の傍を漂っている姿が見えていた。今度は大怪我させていないぞ、と言わんばかりに未希の顔に身体を寄せる。

「……良くやった、と言って欲しいのか? ……力加減はちゃんと調整出来て偉いよ」

 住人がいない訳ではない為、不審に思われないように露骨に撫でてやることはしないが、小声の囁きで褒めてやる。嬉しそうな様子の鎌鼬は、彼女の首に代名詞ともいえる鋭過ぎる爪で引っ掻き傷を残して飛んで行く。恩を仇で返しやがって、と未希は小さくぼやいて、鎌鼬が去った方向を睨んだ後に歩いていく。さして大きくない町は、徒歩で回ることも苦ではない。

「……ったく。褒めるものじゃないな。傷には……、なってないか」

 首筋を軽く撫でて歩く道すがら、なんとも言えない立て看板を見つけてその前で足を止めた。それには町にいるかもしれない、妖怪達の紹介が書いてあった。有名なモノしか乗っていないし紹介は中途半端、とは相当な知識を持つ未希の主観的評価である。真面目に書かれて興味を持たれ、妖怪探してなんぞされてもなお困る、というのも彼女の個人的な思いだったりする。この一般的な妖怪の情報を記している看板は、実は上弦町のあちこちに設置してある。その設置場所にちなんだ妖怪を掲示するモノで、一部物好きな観光客を呼び寄せる一端を担っているのだ。

「適当だな。やるならもう少しまともに……、いや、真面目にやられても困るが……」

『……落とシまシたヨォ。掛けてォきマすネェ……』

 真剣に読む程ではない、と立ち去ろうとした未希の肩に、不気味な声と共に何かが掛けられる。掛けられたモノは不愉快ではない手触りで、白い生地の中に模様が浮き上がる、美しい羽織だった。左胸の辺りに一輪赤い花が染みているのが気になるが、それ以外は文句のつけようが無い。

「へぇ……。まぁ、悪くないし、気にする必要のない物か」

 明らかに怪しい代物なのに、脱ぐことなく放置し、アーケードの商店街を歩く。上弦町随一の商店街だが、如何せん人が少なくシャッターが閉まっている店もちらほら見える。それでも、一応の生活用品が揃うので重宝されている。

 商店街を歩きながら感じた違和感は、町からではなく己からだった。肩からやたらずり落ちるカーディガンの存在だった。そんなに肩幅は余っていない筈のお気に入りをずれる度に直して、調査という名の散策を敢行する。休日であるからか、商店街は親子連れでささやかな賑わいを見せている。すれ違う誰もが歪な少女の姿に何も言わない。誰も気にしないのか、気にする必要が無いと思われてるのか、そもそも目に写らないだけなのか。

『……ハァ……。いつまで放っておくつもりだ? 試すのも大概するがよい』

 真正面から聞こえた威厳のある低い声と共に、町の喧騒が様変わりする。昼間の太陽は紅い斜陽に、アーケード街はあばら家に、人は妖に姿を変えた。小さな女童の前に立つのは、鷹の翼を雄々しく広げ、赤ら顔に高下駄を履いた山伏。見上げる程の大男を前にしても、女童に怯えの顔はない。余りに余って引き摺るようになった服を整えて、丁寧に頭を下げる。

「天狗の長殿、如何になされたのです? 人里まで降りて来られるなど」

『戯けたことを抜かしよる。要よ、ぬしが可笑しな事をしておるからよ。姑獲鳥うぶめの血付きの毛衣を着せられよって』

 出産で命を落とした母親の霊が姿を変えた妖たる姑獲鳥は、子どもの衣類に己の血を付けてマーキングを施す。女童が着せられた白い羽織が、まさにそれであった。姑獲鳥の血は猛毒で、本来なら命を落とす程のモノなのだが、どうやら彼女の霊力が拮抗した結果、肉体の年齢退行を起こしてしまったのだ。放っておけば生まれる前まで戻って消滅しかねない。

『主の力が上回っておる故に戻る時は遅いが、間違いなく取り返しがつかぬ事態になるぞ。要よ、主は何を考えている?』

「……人は、異なる存在を恐れ、排除しようとします。人の中より、私は妖達の中の方が生きやすい」

『解になっておらぬ。が、主がヒトに頼りたかったのは分かった。自惚れるでないわ』

 服に埋もれかけている幼子の額を軽く弾き、天狗の長は羽団扇を一振する。羽団扇から放たれた激しい風が、弾かれた額を押さえて涙目になっている幼子を包み込んだ。つむじ風のような、竜巻のような風がおさまると、薄紅のカーディガンで顔を隠した未希が姿を現した。白い羽織は見る影もない

「……すみません、少し遊んでいました。ありがとうございます」

『遊びも必要だが、場を弁えよ』

「肝に銘じます」

『主に手を出した姑獲鳥には言ってある。境界を越えることはない』

 薄紅のカーディガンを顔から外すことができぬまま、未希は首振り人形の如く動かすしか出来ない。恐らく天狗の長に対応された姑獲鳥は、もうこの世にはいないのだろう。長い付き合いとなる天狗は、未希をかなり気に入っている。現世側にいる状態の彼女に、隠世側から危害を加えようものなら、危害を加えた妖に何があるか分かったものではない。

「なにもかもありがとうございます。……あの、ところで、最近隠世に変化がありましたか?」

『ん? ふむ……。確かに、この地には気の乱れがあるな』

 天狗の長の話を聞いて、未希はカーディガンの下で目を閉じる。意識を集中させれば確かに、隠世に満ちる力に揺らぎが見えた。その揺らぎも、意識を集中させてはじめて感じられる程度で、かなり微かである。そんな未希の様子を見ながら、天狗の長は厳つい眼を穏やかに緩めて僅かに口角を上げた。まるで出来の悪い弟子の成長を見守る師のように。

『……始めて会った時よりも、己が力を良く扱えるようになっておる。かつての小憎らしい陰陽師どもを見ている気分になる』

「……? 不愉快ですか……?」

『いや、むしろ喜ばしいとさえ思っておる。己が内に理屈を付ければ、五行が一天に偏るその身で各属を扱えるのだ。火天に揺れ、不利益を被る身の上で、よくぞ修練に励んだものよ』

 くつくつ笑う天狗の長に、顔を隠したまま渋い顔をする未希。人は本来、陰陽五行の元に属性が偏ることがないとされている。その例外を背負う謂われも理由も、未希は知らない。

『陰陽五行は基本よ。正道に在れぬ身であろが、よく使いこなせ』

 天狗の長は笑いながらカーディガンを外し、切れ長の紅い目を見開く少女の額を強く弾く。痛みに仰け反った未希が額を押さえて顔を上げた時には既に、世界は喧騒と人の気配と昼の明るさを取り戻していた。喚ばれるのも唐突なら戻されるのも唐突という、こちらの都合を一切考えないところが妖怪らしいと言えば妖怪らしい。

「まぁ、放置したのは私だし、悪かったのは悪かったからな……」

『己が非を認めるは良きことぞ。要よ、探さずに聞け。時持たぬモノどもが、境界を侵そうとしておる。われらと似て非なるモノどもだ。だが、正体まで掴めなんだ。用心するが良い』

 同じ世界の異なる次元から、天狗の長が未希に警告して立ち去った。言ってから帰せば良いものを、と思わないでも無いが、隠すモノが無かったのだから仕方ない。気を取り直すして警告の意味を思案しつつ、歩き出す。妖怪と同じく、時を持たぬモノ、とはなんの事を指すのか検討もつかない。検討がつかない以上、対策も出来ない。

「……時持たぬモノ、か……。厄介な相手でなければ良いが……」

 一縷の望みを口に出してふらふら歩いていると、いつの間にか件の廃校舎の付近に足を運んでいた。小さな町だ、歩いて回ることに何の苦もない。閉校して長い時が経っている為か、校門や囲う壁には蔦が巻き、所々コンクリートが剥がれ落ちている。廃校になった後の校舎をどう利用するか、という議論もあったが、予算がどうこう言っている間にうやむやになったらしい。それでも校門は、招かれざる来訪者を拒むようにしっかり閉ざされている。蔦が巻こうとも、錆が浮こうとも、人の背丈程の扉は静かに佇む。だが、手を掛ければ、取っ手を引けば、それは容易に来訪者を通すだろう。

『ここにはね、さみしがり屋さんが居るんだよ』

「……」

 校門に近づき手を掛けようとした未希の背後から、可愛らしい子どもの声が届く。いつか、どこかで聞いた言葉だ、と記憶を探る。背後から聞こえる子どもの声は、彼女から返答がなかろうとも言葉を重ね続ける。

『ここにはね、さみしがり屋さんが居るんだよ。さみしがり屋さんはね、大好きな人を待ってるんだよ。ずっとずっと待ってるんだよ』

 気付けば、声は複雑の子どもに増え、歪み始めていた。太陽は傾きかけているが、黄昏時とは言えぬ時間。子ども達の声は、間違いなく現世側で聞こえている。

『さみしがり屋さんはね、大好きな人が分からなくて、悲しくて、苦しくて、ずっと泣いてるの。だがら、ねぇ』

『あなたがさみしがり屋さんの大好きな人?』

「私はさみしがり屋さんの大好きな人ではない」

 複数の歪な子どもの声に重ねて、否定の言葉を吐く。旧上弦第二小学校に伝わる怪異、さみしがり屋さんの大好きな人、その問答。それが一体いつから伝わるのか、何を意味するのかは分からない。少なくとも、未希達が入学する時分には既にあった。そしてその対処方法も伝わっているくらい、古くからある。不気味な噂は数あれど、閉校してからも続くのはこれしかない。

「さみしがり屋さん、とはなんだ? と、聞いて答えてくれれば苦労しないが……」

 振り向いた場所には何もなく、ただ伸びきった雑草がそよ風に揺れている。元から誰も居ない、と言わんばかりに何の気配もない。

「まぁ、そうだよな。だが……何かの気配がある……。気配は……校舎の方か……」

「……未希、ここに居たんだ……」

 校門に再び手を掛けようとして、今度は今にも泣きそうな声を名前を呼ばれて振り返った。そこには案の定幼馴染みが立ち尽くしていた。寂しそうな、辛そうな顔の結美に一体何があったのか、聞こうと思ってやめた。その代わり、未希は校門から離れて結美に向かって手を伸ばす。

「帰るか、結美? 一緒に。望さんなら美味しいご飯、作ってくれてるよ」

「う……ん……。望さんのご飯……美味しいもんね……」

 動こうとしない結美の手を引いて、暮れつつある空から目を背ける。己のかつての母校から漂う気配の調査は、幼馴染みが立ち直ってからにしよう。


 青から紅を経て紺へと変わる。人の気配がないそこに一つの影がさす。それはこの世のモノとは思えない、お伽噺の住人のようなナニか。月の無い星空に吠えたそれは、どこか嘆き悲しんでいるようにも見えた。

『どこに行った……? 何故現れぬ……? 我はいつまで待てば良いのだ……!』

 常人には聞こえぬ咆哮は、物言わぬ星空を震わせた。

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