第28話 愛する幸せ

 翌朝、私は大変なことになっていた。


 まず喉が痛い。そして身体の節々が痛い。いつのまにか身体は清められていて、なぜか愛用の部屋着まで着ている。気持ち悪さはないけれど……そうなると、私を綺麗にしてくれたのは間違いなく彼しかいない。


「ユーリ、起きたのか」

「フレッド……あの、私……」


 フレッドの顔を見たら、昨日のお昼前から明け方まで続いた情事が頭を掠めて、恥ずかしさで言葉が出てこない。


 本当に迂闊だったと思うけど、騎士の体力を舐めていた。散々フレッドを煽り倒して、墓穴を掘ったとしか言いようがない。


「ごめん。俺が加減できなくて、ユーリに無茶させたから身体は清めておいた」

「うん……ありがとう」

「声も掠れてるな……ちょっと待って」


 そう言うと、フレッドは小さなテーブルに置かれていた水差しからグラスに液体を注いで、私のところまで持ってきてくれた。


 至れり尽くせりだ……と感激したのも束の間、グラスの飲み物をフレッドが口に含む。


「あ……」


 すると、間抜けな声を上げた私に口移しで飲み物を飲ませてきた。

 爽やかな果実水が流れ込んできて、私の喉を潤していく。当然それだけで終わらなくて、そのまま貪るように深い口づけまでされてしまった。


「……朝からユーリの色気が半端ない」

「もう、フレッドがあんなことするから……!」


 身体の奥で燃え上がりそうな烈情をなんとか散らして、私も身支度を整えようと床に足を下ろした。


「あっ……」


 立とうとした瞬間に足に力が入らなくて、フレッドに支えられる。その逞しさと安心感にホッと息をついた。


「あー、ユーリはゆっくり休んでくれ。宿屋の主人と女将には話をつけてある」

「え、話って?」


 少しだけ嫌な予感がして、食い気味に尋ねた。フレッドの言い方では、すべて終わっているような話ぶりだ。


「言っただろう、俺とユーリが婚約したと」

「確かに言ってたわね?」

「だから俺とユーリの身分も明かして、十分な謝礼は払ってきた。ユーリが抜ける分の人材の手配も済んでるし、この部屋は俺が客として代金を払っているから心配ない」


 ああ、そういうことか。確かにフレッドのプロポーズを受けたなら、ここで働き続けるのは不可能だ。なによりも女将さんとご主人が私をこき使うなんて、いたたまれないだろう。


 そもそも私が隣国の公爵令嬢で相手が皇太子だなんて思いもよらなかったはずだ。女将さんは『ぶっ飛ばしてやるよ』なんて言っていたから、あちらはあちらでとんでもないことになっているに違いない。


「……それは、ふたりとも驚いていたでしょう」

「ああ、女将は白目を剥いてたし、主人は顎が外れて大騒ぎだったな」


 やっぱり……それは本当に申し訳ないことをした。というかそれだけの話を、いつの間にしたのだろうか。いや、あれだけ体力があるんだし、恐ろしいことにまだ足りなそうだったし、私が深く眠っているうちに済ませたのだろう。


「後で化粧水も継続すると話さなきゃ……」

「必要なら俺も手配など手伝うから」

「うん、ありがとう。フレッド」


 なにはともあれ、私が抜けても迷惑だけはかけたくない。化粧水は運営者にオリジナルレシピを伝えて、直接卸すように頼もう。ご主人と女将さんの希望があれば種類を増やしてもいい。


 というか、ついでだからリフォームの提案もしてみようか。一カ月では手をつけられなかったけど、気になっているところが諸々あったのだ。前世の職業の経験を生かして作った化粧水の店舗は評判がよかったから、きっと私のリフォームの提案はこの世界でも通用するはずだ。


「……ユーリ」


 そんなことを考えていたら、フレッドがベッドの上に膝をついた。そのまま私の両サイドに手をついて乗り上げてくる。私を見つめるサファイアブルーの瞳には、この時間に灯ってはいけない炎がチラチラと顔を出していた。


「フレッド? どうしたの、ベッドに上がってきて」

「ユーリ、愛してる」


 引きつった笑顔を返してみたものの、まったく効果はなくフレッドは蜂蜜みたいな甘さで愛を囁く。そして我慢できない様子で、私の唇を貪るように深い口づけを落とした。


「んっ……はっ、待って、フレッド……っ!」

「なあ、俺がどれだけ耐えてたか知ってるか?」

「な、なんの話……?」


 フレッドの獰猛な瞳が私を射貫く。なにを耐えたかなんて、察しはついているけれど思わず聞き返してしまう。もしかしたら違うかもしれないし。


「ユーリを想いながら、ずっとそばにいて欲情しないと思った?」

「そ、それは……!」


 私の予想は大当たりだった。わかってた。健全な男女がひとつ屋根の下にいて、私の貞操が守られていたのはフレッドの忍耐があったからだ。その点も前世で付き合っていた男たちと違う。

 私の気持ちを優先して、ずっと待っていてくれた。


「だから、もう少しユーリを堪能させて」

「でもっ……フレッ——」


 こんな時間からと言いたかったのに、フレッドに情熱的な口づけをされたらなにも考えられなくなってしまう。そのまま愛されて溺れて翻弄された。




 それから二日後の朝、やっと落ち着いたフレッドは爽やかな笑顔で言い放つ。


「明後日が婚約式だから、そろそろ帝都に帰ろう」


 突然の宣告に頭が真っ白になる。婚約式。皇太子の婚約式だ。ちょっと友人や親戚を呼んでささやかなパーティーを……なんて規模じゃないのは確かだ。


「え? ちょっと待って、私なにも準備ができてないけど!? お父様にも許可をもらわないと……!」

「準備はこちらで整えてあるし、フランセル公爵にはすでに許可をいただいている」

「いつの間に……!」


 いつからそんな準備を進めていたのか。少なとも私が皇城を去ってからだとしても、一カ月くらいしか時間が経ってない。皇帝ならできなくもなさそうだけど、そんなことに権力を使っていいのか?


 愕然とする私に、それはもういい笑顔で「準備は抜かりない」とフレッドは言った。


 宿泊中はフレッドが全面的に世話をしてくれたので、いまだにご主人と女将さんには顔を合わせていない。今度こそきちんと着替えて、三日ぶりにお詫びとお礼を兼ねて挨拶をした。


 以前の気さくな態度がすっかり消え失せたのが残念だったので、不敬罪には絶対に問わないから今まで通りにしてくれと頼んだ。フレッドもそれでいいと口添えしてくれたので、ホッとした様子でふたりは温かい笑顔を向けてくれた。




 化粧水のことも伝えて、荷物もまとめてすぐに出発し翌日には皇城へと戻ってきた。

 ミカの様子が気になって、あまり遠くへ行かなかったのが幸いしたようだ。私が皇太子妃の部屋に戻るなり、ミカが突撃してきた。


「お姉ちゃ〜ん! やっと戻ってきてくれた!!」

「ミカ……ごめんね。私が臆病だったから……」

「いいの! お兄様が連れ戻すと思ってたから!」

「そ、そう……ははは」


 それでもやっぱり、こうしてミカの顔を見られるのは嬉しい。ミカには私がフレッドのもとを去ることと、近くで見守っていると手紙に残していた。


「ねえ、ねえ、婚約式の衣装は見た?」

「え、まだ見てないけど」

「えー、早く見て! こっちこっち!」


 ミカはまるでご褒美が待ちきれない子供みたいに私の手を引いて、部屋の奥に置かれている白い布をかけられた物体の前まで連れてきた。


「よーく見ててね! これぞ最高傑作!!」


 そう高らかに宣言しながら、ミカは白い布をバサッと取り払った。

 目に飛び込んできたのは、それはそれは見事なAラインのドレスだった。銀糸で編まれた光沢のある生地に黒糸で繊細な刺繍が施され、ウエストに飾られた大きな花は目の覚めるようなブルーと淡い紫の花びらだ。

 ドレス全体がキラキラと光を反射していて、よく見ると小粒のダイヤモンドが縫い付けられていた。


「これ……すっごい好みなんだけど」

「でしょー! わたしが決めたの!」

「ユーリがこのドレスを着たところが見たい。ダメか?」


 背中からそっとフレッドに抱き寄せられて、耳元で甘く囁かれる。

 チラリと部屋の様子を見ると、私の荷物は侍女たちが片付けてくれているし、手の空いた侍女が私が着替える前提で準備を始めている。


「わ、わかったわ……」


 周りのプレッシャーに負けて試着してみることにした。着てみるとサイズも丈もぴったりで、皇族お抱えの洋裁師はすごいものだと感心した。おずおずとフレッドとミカの前に歩み出ると、見目麗しいかんばせを崩して歓声を上げた。


「わあ! 想像以上に似合う!!」

「ああ、確かに。これほど美しいユーリを他の奴に見せたくないな」


 とんでもなく美形のふたりから賞賛され、恥ずかしさが込み上げ話題を変えた。


「でもすごいわね、サイズまでぴったりだわ」

「ああ、それは何度もユーリをベッドまで運んでいたからな。感覚で」

「えっ……フレッドが? あれでわかるの!?」


 確かに何度か一階のリビングから二階の私室まで運んでもらったけれど!?


「お姉ちゃん、お兄様のチート能力をみくびったらダメよ」

「チート……これがチート!?」

「なんだかよくわからないが、これくらいみんなできるだろう?」

「できませんから!!」


 それから時間はあっという間で、 翌日には婚約式を執り行うリンフォード帝国一の大聖堂にやってきた。

 目の前の扉の先では参列者たちが待っている。私とフレッドは入場の合図である管楽器の演奏が始まるのを、ふたりで静かに待っていた。


 フレッドは髪を後ろに流してその美貌を惜しみなく披露し、鍛え上げられた身体が映えるようにフィットした燕尾服を身にまとっている。


 黒地に銀糸の刺繍がされ、胸元には鮮やかな青と淡い紫の小さな花が飾られていた。私たちの衣装はお互いの色を取り入れて、これから先の人生を共に歩んでいくのだと言っているみたいだ。


「フレッド、とても素敵だわ」

「……やっぱり婚約式をやめよう」

「え、それはダメでしょう」

「だが……いつもにも増して美しいユーリを誰にも見せたくない」


 珍しくフレッドが眉間に皺を寄せて、駄々をこねている。どうやってやきもち焼きの婚約者をなだめようか。


「私が愛してるのは、フレッドだけよ」

「ここで不意打ちはマズい」

「どうして?」

「ずっとキスしたいのを我慢してたのに」


 次の瞬間にはフレッドの柔らかな唇が私のそれに触れて、甘やかな熱が広がっていく。ついばむようなキスが落とされて、いつの間にかフレッドの逞しい腕が背中に回されていた。


 扉の横で待機している侍女や侍従は、そっと私たちに背中を向けてくれた。フレッドの胸板を叩いてもキスの雨がやまない。そろそろ音楽がなってしまうと焦ったその時だ。


 管楽器の演奏が始まり、問答無用で扉が開かれる。

 思いっ切りイチャついてるのを参列者の方々に見られ、人生で最大の羞恥を味わった。


 何事もなかったかのように婚約式は終わり、民からもたくさんの祝福を受けた。これから私はフレッドの婚約者として、いずれは皇太子妃として歩き始める。


 それは、きっと楽しいことばかりではないだろう。

 それでも、フレッドの隣にいられるなら、どんなことでも乗り越えてみせる。


 ——私の最愛の人のために。



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