【電子書籍化】悪役令嬢は全力でグータラしたいのに、隣国皇太子が溺愛してくる。なぜ。

里海慧

第一章 転生した枯れ女が目指すもの

第1話 前世は枯れ女です


 深緑の葉を朝露が濡らし、柔らかな日差しを受けた清浄な空気が私を包む。すがすがしい朝を呑み込むように、めいっぱい空気を吸い込んだ。


 ゆっくりと息を吐き出しながら、そよ風に揺れる木々に視線を向ける。バルコニーを見下ろすように立つ木の上では、小鳥たちが私の未来を応援するように歌っていた。


 お父様の起きる時間に合わせて準備は整えた。バッチリと戦闘服である赤と黒のドレスに身を包み、バルコニーから部屋へと入りそのまま廊下まで勢いよく進んでいく。


 廊下に出て左に進路を変え、壁の名画を横目にまっすぐ目的地を目指した。


 ——やっと準備が整った。ようやく私の本懐を遂げられる。


 長かった。本当に長かった。




 私は前世を日本人として生きていた。独身アラフォーのOL、いわゆる枯れ女だった。


 一応、彼氏だっていたことはあったけど、デート代はすべて私持ちだったり、無職で浮気男だったり、DV男だったりとあまりいい記憶がない。まあ、男運がなかったともいえる。


 さらに幸薄そうな見た目が災いし、愛人の誘いや本命の彼女がいるけどなんて二股前提の男もいた。

 すっかり男性不信になった私は婚期を逃してしまった。会社と自宅を往復するだけで、本当に枯れたような生活を送っていた。


 そんな生活の中で唯一の癒しはたったひとりの家族、十歳下の妹の美華みかの存在だった。


 両親は私が社会人になったばかりの頃に事故で他界していたから、美華とは助け合って暮らしていた。

 両親の保険金で美華を大学に通わせて、無事に卒業して正社員として就職することができた。生活に余裕はなかったけれど、姉妹での生活は楽しかった。


 美華が就職して独立してからも、週に一度は顔を合わせていた。漫画や小説が大好きで、よくその作品について熱く語られたけど、美華の楽しそうな笑顔を見ているだけでよかった。


 美華が特にハマっていたのは『勇者の末裔』という小説で、漫画も大ヒットしていて、今度アニメ化すると嬉しそうに話していたのが懐かしい。


 その中でも一番人気のキャラが冷徹だけど一途な皇太子、アル様だと言っていた。『鍛え上げられた頑強な肉体、鋭利な刃のような眼差し、真っ直ぐに伸びた鼻梁、艶のある唇。一途な愛。お姉ちゃんの相手にピッタリ!』と何度も語られたのですっかり覚えてしまった。


 その頃の私は仕事が忙しくて、精神的にも肉体的にも限界に近かったのだと思う。

 私は店舗のリフォームを提案する営業だったけど、半年間通ってようやく受注してもらえたはずの店舗からクレームが入ったと上司の課長に呼び出された。


「おい白木しらき! お前は半年も担当してたのに、なにをやってたんだ! これじゃあ給料泥棒だろう!」

「はい……申し訳ありません」

「謝ったって時間は戻らねえんだよ! ったく、歳ばっかりくって使えねえババアだな!」


 とにかく激高している上司は、私を抉るような言葉を叩きつける。これでも仕事は真摯に向き合ってきたつもりだ。今までだって顧客満足は高い……と思っていた。


「も、申し訳ありません……私、謝罪に行って——」

「そんなもんはいらねえよ! 余計拗れたらどうすんだ!? いいか、この案件は先方様のご指名で宮田みやたが担当するからな。わかったら、さっさと別の店へ営業かけてこい!」

「はい、申し訳ありませんでした」


 謝罪とともに深く頭を下げた。本当に返す言葉がない。

 宮田さんは私の後輩で、三年前に新卒で入社してきた。ふわふわの肩までのセミロングに大きな二重の瞳に長いまつ毛。華奢な容姿は庇護欲をそそる。まだ若いからか甘えるような話し方で、男性社員のウケはよかった。


「それにしても、宮田ちゃん、よく白木のフォローしてくれたねえ〜! 本当に助かったよ!」

「そんな、たまですよぉ〜。でもせっかくご指名いただいたので頑張っちゃいます!」

「うんうん、なにかあったらすぐに俺に言ってよ。宮田ちゃんが困ってるのは放っておけないからさ〜」

「課長って本当に優しいですね! 頼りにしてます〜♡」


 宮田さんと課長の会話が、余計に私を惨めにさせた。でも今回のことは別だ。私がお客様にクレームをもらって、宮田さんがフォローしてくれたのだ。


「あの……宮田さん、フォローしてくれてありがとう。ちなみに……」

「なんだよ、白木! 俺と宮田ちゃんはまだ大事な話があるんだぞ」

「白木先輩、私がもっとお店をよくしますから、安心してくださいね〜!」

「ありがとう……よろし——」

「もういいだろ! ほら、さっさと営業に行けって!」


 課長が私の言葉を遮って被せるように言ってきたので、ちゃんと感謝も伝えられなかった。

 仕方ない、また改めてお礼を伝えよう。お客様の要望も随分とヒアリングしたから、明日には伝えて少しでも円滑に進むようにしないと……。

 そう考えながら、私は誰とも視線を合わせずに会社を出た。


 それから懸命に店舗を探して歩いたけれど、そんな都合のいいお店が簡単に見つかるはずもなく、クタクタになって会社に戻った。

 すでに課長と宮田さんは退社していて、嫌味を言われなくてホッとしてしまう。私も営業日報を提出してから帰路についた。


 この半年間、お昼にはできる限り食事しに行って、どんな客層が来店するのか調べつつ、店主との間に信頼を積み重ねてきたつもりだった。どこで間違ったのだろう。

 疲れ切った身体を電車のドアにもたれさせ、流れる景色をぼんやりと見ていた。


 ダメだ、さすがに気持ちが沈みすぎて上がってこない。こんな時は飲むに限る。つまみもたくさん買って、飲もう。

 明日も仕事だけど、飲まなかったら眠れない。


 重だるい身体を引きずるように最寄駅で降り、駅前のスーパーでお酒とつまみを買い込んだ。今日だけは節約なんて気にせずに好きなものを買ってやった。


 自宅に帰り、部屋着に着替えてテーブルの上につまみとお酒を並べる。まずはものすごく久しぶりに買った、生ビールと書かれたお酒をグイグイと飲み干した。


「ぷはー! やっぱ赤ラベルは違うねー!! もう一本!」


 この日は飲みまくりウトウトとしはじめたので、そろそろ寝ようとしたところでお風呂に入っていないことを思い出した。明日の朝入ろうかと考えたけれど、きっと起きれない。それなら今入ったほうがマシだ。


 そしてまったく判断能力がない頭で、今日はたくさん歩いたから湯船に浸かろうと考える。シャワーだけだと足の疲れが取れないから、今日みたいにたくさん歩いた時はいつも湯船に浸かっていた。


 その後、湯船で寝てしまったのが前世での最後の記憶となっている。



 そして私は『勇者の末裔』に出てくる、バッドエンド確定の悪役令嬢ユーリエス・フランセル公爵令嬢になっていた。



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