世紀末覇王に奪われたい!と、確かに私が言った

小田 ヒロ

第1話 覇王①

※第一話のみ死にネタです。ご注意ください。




 厳しい受験を終えて晴れて志望校に入学し、高校生活を楽しむぞ〜と意気込んでいた高一のゴールデンウィーク、私、佐藤菜々は全身に力が入らなくなった。


 近所の診療所のおじいちゃん先生では治せず、あれよあれよといううちに、気がつけば大層な機械が備え付けられている大学病院の個室に横たわっていた。この事態に私も家族も気持ちが追いついていない。


 でも、食欲もわかず、点滴で栄養を入れ、一時期治療のためにあてた放射線で髪の毛が抜け落ちた、ガイコツのような自分の姿。面会のたびに涙を堪える様子の両親。家庭の雰囲気の急変に、文句たらたらなはずなのに、私の様子を見て文句も言えず寂しさを下唇を噛み締めてたえる、一つ上の姉を見て、私はいわゆる不治の病で、そう遠くない時期に死ぬんだなと悟った。


 外のイチョウが落葉する様子を病室の窓からぼんやり眺めていると、


「おいナナ! 聞いてる?」

 とイラついた声がビニールカーテンの向こうからした。そちらを見ると学校から直接来てくれたために制服のブレザー姿で、茶色のクルクル天然パーマの短髪に、ボストンタイプの茶のメガネのいかにも真面目くんなサトイチ……佐藤元が睨んでいた。


 サトイチと私は同じ中学から今の高校に進学した唯一の仲間だ。この地域は佐藤姓が多く、中学校の同じ学年には五人もいたために、サト〇〇な呼び名が慣例化している。ちなみに別の高校に行ったいつきくんはサトゴーだった。


 本人たちはほぼ諦め気味でそのあだ名を受け入れ、自分の名字のサトを他人につけて呼ぶのもなんだかなあということで、名前だけで呼んだりもする。


 とにかく高校ではクラスは違うのに同じ校区だからというだけで、彼は学校からのメッセンジャーになっているのだ。

 入院した当初は、クラスメイトや部活の仲間も毎日のようにお見舞いに来てくれた。しかし、こんな私の様子を見るのは苦痛なのだろう。今ではサトイチしかこなくなった。そして今、彼は必死に私に生物の宿題を説明してくれている。本当に真面目だ。


「ごめん、ぼーっとしてた。もう一回教えて?」

 えんじ色の毛糸の帽子を被り、上半身をベッドごと起こしているパジャマの私は、慌てて返事した。


「ナナ、ほんっとに真面目にやらないと、復学したとき困るよ。もっと前向きになれ」

 私が復学すると思ってくれている、純粋な彼に申し訳なさが湧き起こる。でも、もう来なくていいよと言えないずるい私。


 私は気持ちを切り替え、くだらない、でも、半分本音の話題を持ち出した。


「それよりかさー。生物の実習ってことで、私、やりたいことがあるの」

「何?」

「……エッチしたい!」

 どうぞ笑い飛ばしてほしい。サトイチがいる時間だけは明るく笑っていたい。


「はあ?」

「エッチよエッチ!」

「……ナナ、お前バカなの? 病人のくせにくだらないこと言ってんじゃねえよ」


 サトイチはコメカミをひくつかせて怒りだした。雰囲気を変えるつもりだったのに失敗したようだ。だとしても、私ももう引っ込みがつかない。


「は? バカって何? 自分の命がヤバいからこそ、なんとしてでも子どもがほしい、次世代に遺伝子を繋がねば! っていう生存本能でしょう? 種の保存よ種の保存。これぞ生物!」

「なっ……何投げやりなこと言ってんだよ! げ、元気になってから、その、好きなだけやれば……いいじゃん」


 サトイチの顔はじわじわと赤くなった。


「元気にならないパターンもあるじゃん! その場合、せっかく生まれた時から持ってた機能を使わずに死ぬのよ? 絶対に後悔する! 処女のまま死にたくないっ!」

「病院で処女とか言うなっ!」

「サトイチはこれからハジメテ捨てる時間が山ほどあるから余裕ぶっこいていられるのよ。あーいいなー! 私も一回でいいから試したい!」

「ナナ……お前、そんなこと口に出すなんて女捨てすぎだよ」


 サトイチはウンザリしたようにため息を吐いた。完全に話題選びに失敗した。空気は微妙になる一方だ。私はこの半年の入院で笑いのセンスまで失ったようだ。早く落としどころをキメないと!


「そんだけ切羽詰まってんの! もーこの際願望全部言っちゃう。ラオー様みたいな筋肉ムキムキ世紀末覇王に、身も心も奪われたい! そしたらひとまず心置きなくあの世に行けるし! あーでもラオー様相手であれば、フジコちゃんみたいなセクシーバディーが必要よね〜」

「ラオーって……サトナナマッチョが好みだったのかよ……」


「……な、なーんてね。冗談よ冗談。下品な話しちゃってごめんなさい。こういうバカな話できる相手がいなくって。でもだからってサトイチに言っても迷惑だって話よね。わかる。ごめん」


 上手に落とせなかった。自分で蒔いた種だけど、この辺で許してほしい。十年後、二十年後、あいつ、最後の最後までバカだったなあって笑いながら思い出してくれれば……。


 俯くしかない私に、妙にキッパリした声がかかった。


「いいよ」

「へ?」

「ラオーじゃないけど、俺が……サトナナとエッチするよ」


 今度は私がポカンとする番だった。


「何何何何? ちょっと、真に受けないでよ。冗談だって!」

「全く冗談になってなかった! ガリガリの俺で悪いけど、サトナナの処女、俺がもらう。このビニールカーテン開けていい?」


 サトイチは目のふちを真っ赤にして、決意に満ちた表情で私を見据えた。私もふざけた笑みを消す。


 ああ、私は本当にずるい。この真面目で優しい人を自分の死をちらつかせて、言うことを聞かせようとしている。

 心の奥深くのブラックな私がニヤッと笑っている。若くして死ぬのだ。その前にちょっとくらい幸せな夢を見てもかまいやしないだろう?と。

 だって、私はサトイチが大好きなのだから。


 この病室に唯一訪ねてくれる、昔馴染みの男子を好きになるなという方が無理な話だ。

 学校からの様子見の願いなんて、本来無視してもいいのだ。先生は私のメアドを知っていて、連絡事項などそれで済む。それでも週に一度は来てくれて、どんどん痩せ衰え、変容していく私に気がつかないフリをして、必ず日持ちのする新製品のコンビニのお菓子を手土産にやってきて、無理矢理勉強を教えようとする。


 そんな優しいサトイチが大好きだ。

 マッチョが好きなんて、冗談でも言うんじゃなかった。サトイチがサトイチであれば、それだけでいい。


 ブラックな私の言うように、エッチしたいなあ……と思ったのは切望にも近い真実だ。しかしその思いにもちろん蓋をする。死ぬ前のガリガリの女を無理矢理抱いたら、サトイチは一生トラウマを抱えて生きることになる。


 それに、結局この私の体調では無理なのだ。


「サトイチに……ラオーみたいに奪われたい。本当だよ? でも現実問題無理。私、自分の足を5センチだって開けないの。言い出しっぺのくせに、ごめん」


「ナナ……」


「ありがとう。これで私、エッチしたいと言われたのに断った女っていう悪女的な称号を手に入れた! めっちゃ嬉しい!」


「何一人で喜んでんの? 俺はなーんも面白くない」

 サトイチはそう、イライラと搾り出すような声で言う。


「ご、ごめん。結構怒ってる?」

「怒ってる。俺の純情弄んで許せない」


 ほら、怒りながらも私の悪女設定に乗っかってくれている。やっぱり優しい。


「サトイチ許して。どうすれば許してくれる?」


 すると彼は一瞬、考えるようなそぶりを見せた。

「そうねえ……キスしてくれたら許す」

「キス……してくれるの?」


 彼は器用にメガネの奥の右目だけ、ピクリと見開いてみせた。

「嫌?」


 私は慌てて首を横に振って、顔を歪めた。

「でも……できないよ……」


 私たちの前にはビニールカーテンが薄く、でも確実に立ちはだかっている。もうじき死ぬと言ってる割に、この薄いビニールが自分を守ってくれていることはちゃんと知っていて、取り去る勇気も力もない。私は臆病者だ。


「ナナ、ビニール越しに、まず手を合わせてみようよ」


 サトイチは右手を私の目の前のビニールに貼り付けた。男子の手はいつのまにかこんなに大きくなったんだろうと思いながら、つられてゆっくりゆっくり手を持ち上げる。ようやく中指が、彼の手の位置に届いた瞬間、カーテン越しにグシャっと握り込まれた。


「痛い?」

 気遣う優しい声がする。

「ううん。平気」

 手を繋ぐなんて、いつぶりだろう?


「ナナ、もう片方も」

 私は頷いて、少しワクワクしながら右手を同じくらいの時間をかけて持ち上げた。すると彼の左手がすぐにつかまえてくれた。


 見上げると、彼の顔はすぐそこにあった。

「ナナ、ちょうだい?」


 こんな……こんな帽子姿の私のキスでよかったらいくらでもあげるし。私は悪女らしく、自分から目を閉じてビニールに唇を押しつけた。

 すぐに柔らかいものが重なった。ビニール越しでもほんのり温もりは伝わって、私の心臓は人生で一番激しく高鳴った。そっと目を開けると同じタイミングで彼の瞼も開き、手をますますぎゅっと握りしめられた。


 互いにビニールから唇を離すと、彼は囁くように聞いた。

「どう?」

「さいっっこう!あ……」


 次の言葉を紡ぐ前に、涙がポタポタと落ちた。手を握り込まれているから、拭えない。瞬きを連発するしかない。

「ありがとっ……サトイチ……」

「ナナ、たまには名前で呼んでよ」


 そんなこと言われたのは初めてだ。本当はサトイチ呼び、嫌だったのだろうか?

「……はじめくん。ありがとう」


 彼はじわじわと顔を赤くして、照れくさいのか顔をテレビの方に向けた。

「……続きは今度。俺、ちゃんとエッチ勉強しとくから」

「うわあ、勉強できるサトイチ……はじめくんが本気になったら怖いんだけど?」


 おどけてそう言うと、彼はフッと緩く笑って、また私と視線を合わせた。

「期待しててよ」


 私たちは笑いながら……いつしか彼も涙をポロポロとこぼした。面会時間が終わるまで、手を繋いでいた。


 その数日後、私はクリーンルームに移された。それから先の記憶は曖昧だ。


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