巨大ぬいぐるみ暴走事件

赤魂緋鯉

前編

「ちょっとッ! 緊急呼び出しだから起きなさいよッ!」


 ややネクタイが曲がったスーツ姿で、職員寮の自室から飛び出した流音るねは、隣の部屋に住む水卜みうらとユウリの部屋のドアを叩きながら叫ぶ。


「んだようっせえなこんなクソ夜中に……。俺は非番だっつの……」


 数分にわたって叩き続けると、水卜がボッサボサの金髪の下から渋い顔を覗かせてのっそりと現われた。


「つのー」


 もこもこの部屋着を着たユウリに、後ろから抱きかかえられている水卜は、自分で立つ気はさらさらない様子だった。


「手に負えないから呼ばれてるのよ。早く着替えて!」

「えー……」

「課長が休日手当5割増しにするって言ってたけど」

「しゃーねえな……。ユウリ」

「おいっすー。はやきがえー」


 給料の話で眉間のシワがちょっと緩んだ水卜に呼ばれたユウリは、あめ玉を転がすような声で言って水卜の身体をもやで包み、瞬時にスーツ姿に着替えさせた。


「なにその変身みたいなの」

「便利だろ?」

「着替えぐらい自分でやったらどうなの……?」

「こっちの方が早いんだからいいじゃねえか」

「ああそう……」


 毎度おなじみ現金にやる気を出す水卜は、グレーのパーカーにショートデニムに着替えたユウリを引き連れ、おらいくぞ、と流音へ手を振って促す。


「で、何が出たんだよ」

「ちゃんと連絡来てるんだから見なさいよ。ほら」

「おん? なんだこりゃ。安い特撮かよ」


 エレベーターの中で流音に見せて貰った『怪取局』のスマートフォン型通信端末には、巨大なクマのぬいぐるみが仁王立ちしている姿が映っていた。


「見るにBクラスじゃねーか。これの何がユウリが要るんだよ。とっとと封印するなりなんなりしときゃいいだろ」

「いろいろやってるけど通じないんだって」

「俺は尻拭い担当じゃねえんだぞ全く」


 水卜がぼやくと同時にエレベーターが地下1階に到着し、自分達のパトカーに乗り込んで現場の幹線道路へと向かう。


 人払いと不可視の結界の中へ入ると、ふわふわブロンドカラーのファンシーなクマのぬいぐるみが、どでんとそびえ立つ様子がすぐに見えた。


「はーん。悪夢でも見てるみてえな光景だな」

「くそでかー」

「あんたの相棒の方がよっぽどだけどね……」


 物珍しそうに助手席で前屈みになって腕を組む水卜の物言いに、その横で上半身だけ人間形態になって観察するユウリを横目で見ながら、流音はやや引き気味にそう言う。


「俺にとっちゃコイツと会うまで悪夢だったけどな」

「……。……なんかごめんなさいね」

「気にすんな」


 トラウマを思い出させたか、と気まずそうな顔をした流音へ、水卜はぷいと顔を逸らしながらもそう言った。


「なでなでー」

「んだよ」

「こうした方がいいかなーって」


 どんよりと精気のない目になっていた水卜は、ユウリから唐突に撫でられて困惑した様子を見せるが、表情が即座に和らいでいた。


 他のパトカーが止まっている場所の最後尾に停車し、水卜班は捜査課機動隊員の構える対魔防盾の後ろに隠れる。


「本当に微動だにしねえな?」

「ですが、ここから先に何かが入ると排除しに来るんですよ」

「ほーん。どれ」

「はい、石ー」


 機動隊員が防盾の少し先を指さしてそう言ったのを聞いて、水卜がユウリから出した石ころを投げ込むと、


「どわっ」


 クマの頭がその場所の方向を向き、目を赤く光らせたかと思うとビームが放たれて石が砕け散ってしまった。


「なんだ、この胡乱うろん与太よた話から出てきたみてえな物体」

「同感です」


 驚いて引っくり返りそうになってユウリに支えられた水卜は、焼け焦げた地面を見て頭が痛そうに顔をしかめる。ちなみに流音は2メートル程後ろに飛び退いていた。


「んじゃ、とっとと片づけて帰るとすっか」

「ソーだネー。どのくらイ食べタらいーカんジ?」

「とりあえず核以外だな。腹の真ん中辺りにあっから」

「りょーカい」


 早速、怪異形態になったユウリが、水卜の指示の下ぬいぐるみにかぶりつこうとのっそり動きだしたところで、ちょっとまって、と流音が水卜の前に手を出して制止する。


「なんだよ」

「もしかしたら、ああなる前のぬいぐるみの持ち主がいるかもしれないでしょ」

「ああそうか。ユウリ、一端ストップだ」

「エー」


 今にも飛びかかろうと舌なめずりをしていたユウリは、不服そうに眉尻を下げて、ノイズが混じった声でそう言うが、水卜の指示に従って体育座りで待機する。


「単に妖力吸ってデカくなってるっぽいなこりゃ。そんなに手間がかかるもんでもねえ」


 水卜が目を閉じて深呼吸し、核透視を発動してぬいぐるみを探ると、核から出る妖力が実体を巨大化させているだけで、格は平々凡々なEクラス相当であることが分かった。


付喪神つくもがみとかじゃなくて?」

「どっちかってえと傀儡くぐつとかの類いが近いな。術士はいねえっぽいが」

「術士がいなくてもそうなるなんて聞いたこと無いわね」

「まあ怪異なんてなんでもありだからな。とりあえず調査2課呼べ」


 身も蓋もない事を言う水卜に指示され、流音は調査2課の当直に応援を要請した。


「お前の言う通り、ガサッと食っちまわねえで良かったっぽいな」

「でしょ」

「まだお預けかー」


 がっかりした様子で人間形態に戻ったユウリは、感心している水卜を後ろからふんわり抱き寄せた。


「で、具体的にどう処理するの?」

「そこは小細工無しで、ユウリに良い感じに妖力を吸わせるの一択だろ。早く帰って寝てえし」

「まあ、それもそうね」


 流音が欠伸混じりに腕時計を見ると、深夜3時半辺りを示していた。


「しっかしまあ、なんだってえこんな道路端ででっかくなっちまったんだろうな」

「野生のぬいぐるみかなー?」

「いや、ぬいぐるみに野生もなにもないから……」

「そーなのー? ひなっちー」

「落とし物かゴミならあるけどな」

「ほえー。分裂するかと思ってたー」

「そりゃ大量生産ってやつでな」

「ほうほう」


 積極的に襲ってこないことを良い事に、3人はダラダラと喋りながら調査2課員待ちをするが、


「あ、課長だ。はい。こちら宇佐美うさみ――」


 流音の通信端末に課長から電話かがかってきて、自治体から早く対処するようにクレームが入った事を知らされた。


「――だって」

「って言われてもな」

「もなもな」

「分かる範囲で探れってことでしょ」

「しゃーねえな」


 めんどくさ、とぶつくさ言いつつ、水卜はぬいぐるみの攻撃範囲外から原因がなにかないかを探る。


「本当にただ単にアイツがいるんだよな……」


 妖力の流れを探す水卜だが、そんなものはどこにもなく、ぬいぐるみからも流れ出してはいない。


「地縛霊かなにかじゃないの?」

「いくらなんでもありつっても、ぬいぐるみが、はねえだろ」

「まあ、数字見ても怨念おんねんとかそういうのなさそうだものね……」


 スコープを目から離した流音が、腕組みをしながら辺りを見回すと、視線の先にちょうどぬいぐるみを向いている民家の防犯カメラを発見した。


「ねえ、あれになんか映ってるんじゃない?」

「おん? お、おあつらえ向きじゃねえか。裁判院に令状頼む」

「もう要請出したわよ」

「サンキュ」


 指さした先を見て気が付いた水卜は、令状が式神で届けられ次第、一端ユウリの中に流音と共にしまわれ、もやとなって留守の民家へと侵入した。


「お邪魔してすんませんねっと」

「本当便利ね……」


 誰も居ないが『怪取局カトリ』の局員証を出しながら水卜はそう言い、流音がカメラの映像を記録したハードディスクから映像を探す。


「通報があった時間から遡ってっと……」


 ぬいぐるみが突然現われた深夜2時前後の時点から10倍速で巻き戻していくと、右上端で11時ぐらいに警察車両がそこから撤収する様子が映って、流音は3倍速まで落とす。


「ん? こりゃ事故処理か?」

「そのようね」

「なーるほど、交通事故が起きてたんだな」


 なおも時間を巻き戻していくと、正面からぶつかられてぺしゃんこになった軽自動車と、ぶつかった大型トラックが撤去されていく様子が映し出された。


 さらに戻して、事故の瞬間まで来た所で水卜が、あ、と声をあげた。


「なに? なんかあった?」

「いや。もしかして、事故とぬいぐるみがなんか関係あるんじゃねえか?」

「ああ、乗ってた人の持ち物の可能性あるものね」


 水卜の思いつきに流音は乗っかって、事故発生直前から等速で再生を開始する。


「おうおう、トラック逆走してんじゃねえか」

「なんかフラフラしてるし……、――飲酒運転かな?」

「あれほどすんなって言ってるのになあ……」


 水卜と流音の2人は、軽自動車に突っこんでいくトラックを険しい表情で見る。


 中央分離帯を乗り越えて、トラックが軽自動車に正面衝突したところで、


「ひなっちー。なんか飛んでったよー。こっちの方にこーんな感じで」


 ユウリが電柱の位置を指さして、その方向を指で山なりになぞってみせる。


「マジか。流音」

「はいはいっと」


 ぶつかる直前まで巻き戻してスロー再生すると、茶色っぽい塊が吹っ飛んでいく様子が映った。


「これがぬいぐるみなんじゃない? ほら、ここ丁度アレが立ってる辺りだし」

「あー、だな。この事故だし生きてんのか分かんねえけど、元あった通りに返してやんねえとな」

「そうね」


 流音と珍しくやる気を見せる水卜は、顔を見合わせて同時に頷くと、映像をコピーしてから現場に戻っていった。

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