第8話

 電話の向こう、新井の慌てようが不安を煽る。病院の名前も聞かず、ワシは職場を飛び出した。こんな田舎で運ばれる大きな病院なんか一つしかない。タクシーを捕まえて行き先を告げる。


 どうして初江が?無事でいてくれ!

 願うしかない自分に不甲斐なさを感じる。

 病院に着くと、彼女はベットで眠っていた。点滴から眠る薬を投与しているらしい。医師に別室へ案内され、診断結果を聞かされる。


「脳に腫瘍があります。

 かなり大きくなっています。

 広島市内の病院に行って、今後の相談を。」


 医師の話を聞いていると、思い当たる節は沢山あった。羽のこと、深爪のこと、シルバーリングのこと。それでも明るい彼女に、ワシは見て見ぬ振りをしていたのだろう。





 数日後、2泊3日の検査入院のため、初江と共に広島市内にある大学病院へ向かう。

 詳しい病名については伝えなかった。いや、伝えられなかった。この期に及んでまだ、ワシは現実を受け入れられなかった。それでも彼女は何も聞かず、言う通りに検査入院を受け入れてくれた。


 たくさんの検査に追われ、2泊3日はあっという間に過ぎていった。初江がどうしてもと持って来たヘッドフォンは、寝る前の少しの時間だけ、彼女に波の音を届けてくれた。




 1週間後。

 検査の結果、積極的な治療は難しく、緩和ケアを提案された。最初はその意味がよく分からず、言われた通りに手続きを進めていた。

 しかし、息子と話すうちに、最期は家でと言う思いが強くなり、結局連れて帰ってしまった。


 症状は変わらず、出たり出なかったりで、彼女なりのペースで生活を維持していた。悩んだ結果、脳に腫瘍があることは伝えたが、様子を見ることになったと嘘をついた。初江は何も聞かず、ただ笑顔で「そうですか」とだけ答えた。

 時折布団から動けない以外は、いつも通り家事をこなしてくれた。その不安定な現実に縋りつき、最期まで迷惑をかけたと思う。


 1ヶ月が経つころには、初江は1日のほとんどを布団で過ごすようになった。週に3日はヘルパーさんがやって来て、身の回りの世話をこなしてくれる。出来るだけ一緒にいようと思い、ワシは農協での仕事も辞めた。仕事といっても、定年後の再雇用で手伝いくらいにしかなっておらず、最近はヘルパーさんの来る週に3日しか働いていなかった。おかげで特に引き継ぎもなく、すんなりと辞めることができた。


 仕事を辞めて付き添うようになると、初江の病状を痛いほど目の当たりにする。日中寝ていると思っていた彼女は、目を開けてぼんやりと天井を見てはいるが、声をかけても反応が薄く、気付くと目を閉じての繰り返しだった。

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