8.ヴェル様とごはん


 滝壺に落ちる数日間の記憶は曖昧なのだけれど、ストレスによる嘔吐を繰り返していたのは覚えている。体が危険なほど痩せてしまい、精神的にもおかしくなっていたのだと思う。


じゃなかったら、滝壺に落ちて自分から死ぬなんてことはしない。


ヴェル様はとても心配してくれて、心と体の回復を優先させてくれた。負担にならないように王城の一番上の階にある静かな部屋を宛がってくれた。部屋に出入りするのは基本的にカルラさんとスザクさんだけに限定し、他の使用人の方たちは、存在は知っているけどわたしの負担にならないように自重してもらっているそうだ。


 カルラさんとスザクさんの献身的なサポートの甲斐あって、王城で目を覚まして二週間ほど経った頃には、王城を探検できるくらいに元気になっていた。まだまだ痩せていることには変わりないけれど、ヴェル様がわたしを見て「ちょっと肉がついたな」と笑ってくれるほどに。


 頑張ってごはんを食べようと思った。身長が低くて痩せていると、ヴェル様にとってわたしは本当に庇護すべき子どもになってしまう。契約結婚とはいえ、わたしが元気になったらヴェル様の妻として振る舞う必要がある。きっと王子妃教育も厳しいだろうから、今はとにかくいっぱいご飯を食べて体力をつけないと。


 頑張る!


「フェリス」


 ベッドの上で本を読んでいたところで、扉がノックされヴェル様の声が聞こえた。

 わたしは居住まいを正して返事をすると、ヴェル様がひょっこり顔を覗かせる。


「体調は良さそうか?」

「はい! おかげさまで、三日前くらいから具沢山の野菜スープをお腹一杯食べられるようになりました」

「良かった。じゃあ、今から俺と食事しないか?」

「え……?」


 ヴェル様と一緒に食事……?

 すっごく嬉しい。


「もしかして、イヤか?」


 首をブンブン横に振ると、ヴェル様は少しだけほっとしたような顔になった。

 そのまま部屋に入って来るヴェル様。

 ヴェル様の後ろには、大きなテーブルを運ぶカルラさんとスザクさんの姿がある。あっという間に部屋にテーブルとイスがセッティングされ、豪華な料理が並んだ。


「フェリスお嬢様の体力がついてきたので、皮をジューシーに焼き上げた鶏肉料理になります。じゃがいもを細かくすり潰したポタージュに、海老とアボカドのサラダです。つけあわせのパンは少々硬いかもしれないので、食べられなかった場合は無理をせずに。海老は昨晩に採れたばかりの新鮮なもので、アボカドはクリーミーで栄養価が高く、きっとフェリスお嬢様も気に入ると思いますよ」

「美味しそう……!」

「そう言っていただけると料理長も喜びますね」


 ヴェル様がイスに座ったので、わたしもそれに倣って座ろうと思ったのだけれど、ヴェル様に止められた。不思議に思っていると、ヴェル様が自分の膝を叩いて合図してきた。


「こっちに来い」

「も、もしかして座れってことですか!?」

「そうだ」

「え、えぇええ! む、無理です! ヴェル様の膝の上に座るなんて、恐れ多くてそんなこと出来ません!!」

「なぜだ?」

「恥ずかしいからです」

「結婚した者同士はこれくらい普通なのではないか? 俺の親父は、よく母親を乗せて食事をしていたぞ。まぁ、俺が15になってもやっていたからさすがにやめさせたが」


 国王夫妻にそんな惚気エピソードが!?

 ヴェル様が衝撃的なことを言うので、わたしはツッコむことが出来なかったけれど、あくまで国王夫妻は愛し合った仲でやっていることだ。わたしとヴェル様のように、契約結婚した者同士がすることではないはず。


「……そうか、やっぱり嫌か。悪い、無理させたな。いい、気にしないでくれ」


 ヴェル様がとても悲しそうな顔をする。今にも捨てられそうな子犬みたいに見えて、何だか申し訳ない気持ちになった。


「えと……では失礼します…………」


 意を決して、わたしはヴェル様の膝と膝の間にすっぽり収まるように座った。わたしとヴェル様では身長と体格差がありすぎてしまうらしく、見事なジャストフィットだ。わたしがあと十センチ身長が高くてふくよかな体をしていたら、こうはならなかっただろう。


 ……なんかすごく落ち着く……。


「でもこれだとヴェル様が食べられないんじゃ……?」

「俺は食べるのが早いから後でもいい」

「一緒に食べたいです」

「ふむ……じゃあこの状態で食べるか」

「え……?」

「別に公の食事会でもないし、見ているのはカルラとスザクだけだ」


 ヴェル様が同意を求めるように言えば、カルラさんとスザクさんは、微笑ましいものを見るような表情で、大きく頷いている。


「フェリス、遠慮なく食べろ」


 そう言いつつ、ヴェル様はパンを手でちぎって、たっぷりのジャムを塗って食べている。わたしより頭一個分は高い位置にあるヴェル様の顔を見ていたら、ヴェル様に眉を顰められた。


「食べないのか?」

「た、食べます……」


 落ち着くとは表現したものの、こんな至近距離にヴェル様がいる状態で食べるのは緊張する。ひとまず温かいポタージュをスプーンですくい、飲む。とっても美味しくて、頬が緩む。頭上でクスリと笑う声が聞こえて、ヴェル様を見上げた。


「笑いました?」

「笑ってない」

「笑いましたよね」

「心配するな、小動物みたいで可愛いと思っただけだ」

「かわ、可愛い……!?」


 唖然とした。

 ヴェル様の女性嫌いを知っているから、彼に対してわたしはクールなイメージを持っていた。だから可愛いなんて単語が出るとは思っていなかった。


「気にせず食べろ」

「は、はい……」


 ヴェル様はさすが男の人だなと思うスピードで食事を平らげていく。

 わたしはというと、まだちびちびとスープを飲んでいる最中だった。


「──あの」

「なんだ?」

「これって契約結婚ですよね」

「そうだな」

「頭を撫でるのをやめてくれませんか? 食事が摂りづらいです」


 頭の形でも気に入ったのか、それともこの栗色の髪にゴミでもついているのか、ヴェル様はずっとわたしの頭を撫で続けている。


「……撫でていたか?」

「もしかして無意識ですか?」

「あぁ……悪い、全然意識してなかった」


 ヴェル様は自分の手を呆然と見ていた。


「以後気を付ける」

「嫌とかではなくて単純に食事が摂りづらいなぁと思っただけですので……」

「分かった。じゃあ間隔を空けて撫でる」


 ヴェル様は撫で続けるのではなく、数秒から数十秒おきにわたしの頭を撫でていた。


 嫌ではない。むしろ撫でられるのは嬉しい。

 ヴェル様の手はわたしを二度も助けてくれた。大きくて骨ばったヴェル様の手が、わたしは好きだ。ずっと撫でてほしい……と思ったら、体だけじゃなくて心も子どもだと思われるだろうか。


 契約妻とはいえ、わたしは立派な王子妃を目指したい。

 子どもに見られないように、身長……はあんまり期待できないかもだけど、肉付きをよくしたい。誰から見ても、綺麗だね、素敵だね、と褒められるように。


 でも、肉付きをよくして女性らしくなりすぎるとヴェル様の女性嫌いが発動するのかな。それは嫌だな……すごーく悩む。


 思わずヴェル様を見上げると、わたしが「まだ頭を撫でてるんですか?」と訴えていると勘違いしたらしく。


「妙な幸福感があってな、こうやって撫でていると落ち着くんだ」


 ヴェル様はとても満足げな笑みを浮かべていた。


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