第11話 「好き」のもつ魔力

 スーパーにつくころになると、辺りは暗くなっていた。店の明かりが漏れ出して、地面に影を作っている。私たちは手を繋いだまま、店の中に入る。


 かごに食材を入れていると、凛音は「まるで新婚夫婦みたいですね」と顔を赤らめていた。売り言葉に買い言葉といった風に、私は凛音に体を寄せる。すると凛音は商品棚からゆっくりと目線をそらして、私をみつめる。


「ど、どうしたんですか?」


「私たちって新婚夫婦みたいなものなんでしょ? だから」


「り、理由になってませんよ! なんなんですか。……もう」


 不満そうな声だけれど表情は嬉しそうだった。凛音が嬉しそうにしていると、私も嬉しくなってくる。そこに「好き」をみつけられそうな気がした私は、もっと距離を縮めてみた。通りがかる人たちがちらちらと私たちの方をみてくる。


「外ではこういうの、控えてくださいよ。家の中ならいくらでもいいですから」


 恥ずかしかったのか、凛音は唇を尖らせて、私を両腕で押しのけてきた。


「それにしても、本当、変わった人ですよね。美海さんって」


 くすりと笑う凛音に私は反論する。


「凛音だって変わってるよ。なんで私なんかを好きになったのやら」


「私は美海さんじゃないとだめだったんです。幸せにキラキラ生きてる人なんか、私は絶対に好きになれませんから」


「それはつまり、私が不幸な人間だから好きになった、っていうこと?」


「……否定はしません。でもそれだけじゃないですよ。他にも好きなところはあります」


 じーっと凛音は私の顔を見てくる。他の所って、もしかして顔だけ? いや、顔だけでも好かれてるのなら喜ぶべきなのかもしれないけれど。


「……凛音って面食いだよね。私のこと美人だって思ってるんでしょ?」


「美海さんもでしょう? 私の顔に少なからず惹かれて、あの日、ついてきてくれたんじゃないですか?」


 凛音はジト目で口を尖らせながら、私をみつめてくる。でも残念ながら、私は顔だけじゃない。とはいっても全然綺麗な話ではないけれど。


「私がついていったのは、凛音が私を求めてくれたからだよ。私は飢えてたから、誰かに必要とされたくてたまらなかった」


「……美海さんこそ、それだけなんですか? 美海さんを求めてるなら、私じゃない誰かでもよかったんですか?」


 ジャガイモや牛肉を選び取りながら、凛音は相変わらずのジト目で私をみつめてくる。


「今はもう嫌かな。凛音以外考えられない」


「なっ……。美海さん、そ、そんなこと言っちゃうんですか」


 凛音は顔を真っ赤にしたまま、ニヤニヤしている。


 私はその横顔をみつめながら、凛音の選ぶ食材に目を向けた。値段の高い食材ばかり選んでいる気がする。さっきまでは安いものばかり選んでいたのに。


「美海さんはおだてるのが上手いですね。今晩は高級カレーにしましょう!」


 凛音は張り切った様子で、食材を次から次へとかごに入れていく。私は微笑みながら、凛音の隣をついて回った。


 レジに来たところで私が財布を出すと、凛音はかごの中の高級な食材を見下ろして申し訳なさそうにしていた。「別にいいよ」と私は笑う。


「凛音、楽しそうだったし」


「……本当に美海さんって、変な人です」


 一緒に買い物袋に食料を入れながら、頬を緩めてぼそりとつぶやいた。


 変な人なんじゃなくて、凛音が私を変えただけなんだよ。そう言いたくなったけれど、なんだか恥ずかしくて口をつぐむ。


 凛音を見捨てて逃げ出したあの日から、本当に私は変わってしまったと思う。


 もう二度と凛音を傷付けたくないし、子供みたいだなんて思われたくもない。こう見えても私は大人なのだ。凛音は女の子で、だから本来であれば私が導かなければならない立場。 


 せめて物理的な面だけでも支えたいと、私はたくさんの食材が入った袋を片手で持って、スーパーを出た。……ところまではよかったのだけど。


「大丈夫ですか? 美海さん」


 思いのほか重くて、夜道でふらついていると凛音に心配されてしまった。凛音が平然と片手でかごをもっていたから大丈夫だろうと高をくくっていたんだけど、そういえば凛音ってかなり力持ちなんだった。


 初めて会った日、私は腕っぷしで凛音に圧倒されていたのだ。後ろから抱き着いてきた凛音を引き剝がすこともできなかった。


「やっぱり心配です。私が持ちますから渡してください」


 でも年上として情けない所は晒したくない。


「大丈夫だよ」


 私は明らかに大丈夫でない踏ん張った声で、汗をだらだら流しながら笑う。美海はまたしてもジト目で私をみつめている。なんだなんだその目は。私があまりに非力だからって呆れないでほしい。これでも頑張ってるんだから。


「やっぱり不安です。半分こにしましょう」


 そう告げて凛音はあっさりと袋の持ち手を一つ奪った。その瞬間、負荷が一気に軽くなって、私は拍子抜けする。


「美海さんが私のために頑張ってくれてるんだってことは分かります。でも今は夜です。視界が悪いんですから、勢いあまって車道にでも飛び出してしまったら、なおさら危ないでしょう?」


 正論をぶつけられて言葉も出ない。でも私は年上として、凛音にいいところをみせたかったのだ。これまで泣いたり叫んだり情けない姿ばかりだったから。なのにこの有様。落胆していると、凛音が優しい声をかけてくれる。


「人には得意不得意があります。だから得意なところでお返ししてくれればいいんですよ。例えば……」


「例えば?」


「……例えば」

 

 私は期待して待つが、いつまで経ってもうんともすんとも言ってくれない。私としても、自分が生活能力0のどうしようもない人間だってことは自覚してるけど、こう、なにか、一つくらい……。


「……キス。そう、美海さんはキスが上手いです! 私にたくさんキスをして、お返ししてください」


 キス……。確かに初めての割には、上手くできている自信はあったけれど、なんか微妙な気分だ。うーんと悩んでいると凛音は柔らかい声でささやいた。


「もっとも、お返しなんて必要ないくらい、たくさんのものを美海さんは与えてくれてますけどね。好きな人と過ごせる。それだけでもう、幸せでいっぱいです」


 隣をみると、凛音はキラキラと笑っている。紛れもなく、それは恋する乙女の表情で。少しだけ羨ましいなと私は思ってしまう。


 私もいつか、凛音みたいに笑えるようになるのかな。


「……好きだよ」


「えっ!?」


 私がつぶやくと、凛音は目を見開いて私をみつめていた。そういえば、私が凛音に「好き」って言ったのは、今が初めてだったかもしれない。


「わ、私も好きですよ。美海さん。えへへ」


「好き」のもつ魔力は想像以上だった。凛音がふにゃふにゃになってしまっている。


「きっと私たちなら、10年後も、20年後もずっと一緒にいられますよね!」


「……うん」


 なんとなくだけど、私も凛音なら本当に好きになれそうな気がする。未来のことを想像して微笑んでいると、突然、凛音が頬にキスをしてきた。


「ごめんなさい。我慢できませんでした」


 顔を真っ赤にしてうつむいてしまっている。通りがかる人が「あらあら」と微笑んでいるのがみえた。でもそんなのは気にせず、私もすぐに凛音の頬にキスをする。


「これでおあいこね」


 その瞬間、凛音は耳まで真っ赤になった。


 かく言う私も結構恥ずかしくて、顔が熱をもっているわけだけど。


 どうやら凛音には私の顔をみるだけの余裕はないみたいだった。

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