第二章 情報と箱の相関関係

さてさて、達也どの

達也どのは私を取材と言いなすったが

何かの週刊誌の記者でもやっているのかの?


なんと、物語を書いてらっしゃるのか

そのネタを散歩しながら探してたらこの私の噂を聞いたというわけだね?


いやはや達也どのは

情報と言う探求(クエスト)をしている

冒険者と言うわけですな


まるでこの私と言う宝箱を見つけた

と言うような顔をしていらっしゃる


ならばその情報について最初はお話しようではないですか。


実を言いますとな…

この情報と言うのはさっき話した

シュレディンガーの箱理論と共通項があるんですよ


達也どのは物書きさんでありますから

釈迦に説法ですがね

「情報リテラシー」と言うのがありましてな


そのリテラシーの手法として私は思うんですよ、こいつにもリテラシーと言う箱の中の私みたいな存在が居るんではないかと


さあ、達也どの…

少し応用問題をしてみましょうか…


「貴方にある情報を与えてみましょう、しかしそれは情報を与えると言う情報をでして、

詳細は今は想像してみてください。


それは嬉しい情報ですか?

それとも悲しい情報ですか?

それとも面白い情報ですか?

それとも憤りを感じる情報ですか?


貴方は色々と想像して見て答えで見てください、もちろん私がその情報を教える事は簡単ですが私にとってその情報を教えるのは惜しいのです。

私とてこの情報を得た苦労は貴方の想像よりも困難の中手に入れたものなんですからね


だから貴方はまず想像してみてください」


どうだね、なんか似通ってこないかね?

ここもこのシュレディンガーを感じるんじゃないかな?


物事の全てには何らかの共通点があるんだ

それは私達は探求(クエスト)し見つけ出し

それを楽しむのが


情報リテラシーと言うカテゴリだと私は思うんですよ達也どの…


そう言ってシーバスさんは一口、十六茶を器用に口を湿らせていた。


ようは情報に限らずどんな事でも…

なんらかの関係する共通点があるだけではなく、それを活用する内容によっては


世間様に良薬として存在するか

恐ろしい猛毒として存在するか


この良薬や猛毒も同じ薬としての単語としての情報ではないですか


シュレディンガーの箱も相反する事象を

思想実験としたものと構成されている論文


相反する事象というのが一つ共通項となりませんかな?


実際に箱を開けて見ないと分からないというのは、あくまでも事象の「真実」というものを探求からくる行動に過ぎないが


その直前の思考にシュレディンガーがあるのですよ


まるでプレゼントの中身をどんなものか想像し楽しみしているような甘美な感覚


それもまたシュレディンガーの感覚だと感じて来ないかの?


昨今ではその情報リテラシーの使い方を少し間違えている傾向を私は感じるんですよ


この齢になりまして猫という存在にあるにも関わらずインターネットという存在のなかに


SNSと言う存在を知りましてね

あのスマートフォンと言われる蒲鉾の板のような機械の中で文字による会話をしているようなんですよ、公園で猫をしてそのスマホを覗いた時のはなしですがね


その内容を見ますと


折角話題を提供した方のにも関わらずに

その方に対して無礼にも重箱の隅をつつくような失礼な発言をしている記事が返信されていたんです


私は悲しくなりました。

人間は私達ネコの大脳皮質の量が豊富なはず、情報を扱うことに至っては人間は筆頭な存在なんでしょうが


情報の使い方いわば情報リテラシーのレベルは全体的に実質どこまであるのだろうか


知りたくなってしまいます。


ここにも

「日本人における情報リテラシーの統計学的な理解度」と言う、シュレディンガーの箱の前で思想探求の共通項が見えてきませんか?


なるほど

シーバスさんの意見は最近私にも感じるものがある。


シーバスさんがインターネットの存在を理解したと言うのが驚きだが


これは私のシュレディンガーの箱の前での想像する思考である。


昨今ではIT技術の普及は

昭和の時の

第一世代のスタンドアローンである時代より遥かに進化しマルチメディアの概念によって爆発的なエンドユーザコンピューティングを実現し今や飽和する勢いに日本人に普及している。


とかく日本人は普及のスピードが速い


速いがために問題点が発生する。

それは情報リテラシーの活用方法のレベルの浸透力が然程強くないのではないかと言う問題点


読者も実感していると思うが

情報発信媒体の代表格としてYouTubeと言うのがある。


それは情報発信のプロアマ関係なく

誰でもいつでも公序良俗のもと独自のコンテンツを発信する事が可能になり

これも爆発的な浸透力があった。


それと同時に情報リテラシーのレベルも

比例して浸透し進化する必要性が出てくる


しかしこの浸透力と比較すると

情報リテラシーのほうは浸透力が少ないのかなと、実感をしている


いわば情報リテラシーと言うのは

初期学習指導要項にあるであろう「道徳」という科目に分類する情報処理での道徳というものと私は思考している。


確かにインターネット以前のニフティサーブと呼ばれるテキストのみのパソコン通信サービスがあったことは2023年時点でアラフィフのユーザーはご存知だろうか


そこには「ネチケット」と呼ばれるものがローカルルールとして存在していた。


そこからネットの秩序が培われていったのであろうと思う。


しかしながら現在そのローカルルールを逸脱し当時のパソコン通信でのチャットで公開したら孤立してしまう行動をするユーザーが出てきている。


例えば記憶に新しい

アルバイト就労中にふざけて公序良俗に反する行為をしてTwitterに投稿した

「バカッター」事件や


回転寿司チェーン店で

共用備品である醤油の差し口を舐めて唾液で汚し戻しYouTubeに発信する

「迷惑行為動画」事件があるだろう


これはどちらに対しても

店舗側から莫大な慰謝料が発生するような事案だ


しかし、これは発信者での不道徳な行為がエスカレート事案ではあるが


それだけを批判するのは至極簡単な事である

しかしこの情報リテラシーはそれを見てからのコメント側の行動も関係するのである。


このインターネットの世界は手軽に双方向通信で意見を言うことができる。


故にその情報を見た人間もまた発信者なのだ。


当然であるが、バカッターや迷惑行為動画の主は許されざる行為ではある


だからと言ってそれを以て裁定権を施行するのはこの人間社会としては現行法であり

それを見たユーザーではないのだ


街中で迷惑行為をしてる人間を見て貴方が

その人間に対してナイフで殺害したら


貴方にはその行動をしたことによって


警察官に現行犯逮捕及び検察控訴期間まで警察署にて勾留、裁判による判決、刑の執行というプロセスになるのと同じようにである。


ネット内も現行法と然程変わらなく

私達はエンドユーザであり一般人なのである


故に私達にそう言う迷惑行為をするコンテンツに対して私達が有する権利として


「現行犯逮捕」及びその通報や

警察官による捜査権利を有するものまたは同等の司法関係機関などの法的相談でしかないのである。


当然、私達は証拠品は手軽に記録できるので

司法や警察からすれば早期円滑に遂行できると私は勝手ながら思っている。


だから私達はなにも特別な権限を持って攻撃することはないのである。


だがそれが理解しているのかわからないが

それでも特定班と呼ばれる住所や電話番号のような機微情報を公開しその人間の今後の更生を妨げる要因を作ったり、

それを見て、コンテンツ破壊だけではなく現実世界でイタズラや嫌がらせをする名前を忘れたが執行人みたいな存在がある。


果たしてそれは正義なのか…


これは私やシーバスさんとの話の中での見解で言うと


数々ある

情報異常コンテンツ

(すこし蔑視的な表現になってしまうことをお許しいただきたい)に対して

私達が感じるべき事は


「このコンテンツは単純に私達に彼等の人生を犠牲にして社会的にやってはいけない事を教えてくれたんだ、なんてありがたいことなんであろう、私達はこの犠牲的なコンテンツを踏まえて礼儀をもう一度見直してみよう」


と私達は心の中で侮辱や批判をするのでなく

それに感謝すべきなのかもしれない。


その思考ならば怒りより気持ち良く崇高な感覚を覚えると私は感じるのだ。
























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