退廃芸術展

いくつもの絵が、壁一面に設置されていた。


客は、まばらに大人や学生がいた。


退廃芸術展。旧王国、古王国の、「不健康」な絵を展示することで、大衆にその時代がどれだけ堕落していたのか教える展覧会。


例えば、今目の前にある、絵。荒いタッチで大雑把に山の連なりが描かれた風景画。


その横に貼られた説明のプレートに。


「これらが山であろうか? あまりに粗野な醜い線で現されたそれらの突起物は、まるで王国の、力で支配した権力者たちの薄ら笑いを浮かべたいやらしい精神を具現化したようだ。この絵には崇高な未来も立派な愛国心も見えず、ただのんべんだらりと3歳児が描いたような落書きである。王国はこのような無価値どころか有害なものを国民の税関で実力もない芸術家からとんでもない値段で買っていたのだ……。それは支配者層とその芸術家の癒着を思わせる……」


そんな具合であった。


「これらの絵、どう思う?」


トラウテが、絵の方を見たままに、あたしに問う。あたしは絵のことなんてよくわからない。その、わからない、というのは簡単だけど、あたしは黙ったまま、いくつかの絵をよく見てみた。


ある絵は水面に映った夕景の前の橋で、語り合う恋人の絵であった。ある絵は戦士たちの戦う荒々しい絵であった。


説明には、どれもこれも、崇高さがないだの、愛国心のカケラも見えないなどと、同じような非難だ。


あたしは、絵の中に配置された色々なもののポジションの気持ち良さだったり、色彩の目を奪う瑞々しさだったりを思う。


「なんだか、惹きつけられる……。絵が重力を持ってるみたいです……」


上手いことは言えなくて、拙い言葉を、出した。


「いま、帝国ではね。旧王国や古王国時代の絵や本をこうということが計画されてるの。すでにそれらのものは民衆の目に触れなくなって久しいけれど、今度はそれらの存在をこの世から抹消してしまおうと。旧王国時代から今の権力機構に組み込まれた、人たちがどうにかその流れを押し止めようとしてるみたい……」


旧王国の権力者たちの影響力を利用しようと、帝国にはそんな人たちが幾許か受け入れられたという。


「はるかいにしえの息吹。連なった愛と悲しみと憎しみと。あたしは、夜、枕に顔を埋めて泣く。それはふるえるような歓喜と恐怖のせめぎ合い。世の初めよりあった『在る』ことに神の慈しみを感じずにいられようか? また、我ら人間の弱さへの絶望。その昇華。画布のマチエール顔料を塗ってできる凹凸は、人生である。遠い霞んだ過去から、遠い見えない未来まで永遠と語られるべきそれ。朝になり、あたしは、涙を拭くだろう。限りなき美にまた、触れたのだと」


トラウテは、次の部屋へと入った。あたしもその後を追う。2人の大人が、貴婦人が猫を膝に抱く絵を見て笑っていた。


「これが、絵か! 旧王国には愛国心がなかったのかね! 低俗!」


「ほんとだな! これが絵か!」


なんの内容もない罵倒。


その絵は、陽の当たる昼下がりの室内の柔らかな静けさと、猫に注がれる女性の優しげな視線が、いいな、とあたしは思うけど。


「シスナ、あなたはどこへ向かうの?」


「え?」


「このままでは、あなたが死ぬわよ」


あたしは、ハッとした。自分でなく、誰かが死ぬかもしれないなんて、そんな思い上がり。


「創作されるものの落とし所は美しさ。五感的な、理念的な、構成的な。芸術は綺麗なものだけではできない。人生も同じ。それはわかるでしょう?」


トラウテは、右手を水平に伸ばした。指がまっすぐになっている。


「外や内の醜を恐れてはダメ。あなたは、その醜に足が浸かった時の心の不安定さを自身で待ちきれない。キレイでいられないことに耐えられない、んじゃない?」


右手は、下ろされる。


展覧会場は不思議な静寂に満ちていた。しーんっと静まり返ったそこで、幽霊が吐息を漏らせるなら、その音が聞こえたかもしれない。


「生きることは、悲しいことですね……」


あたしは、思わず泣きそうになった。世界のそんなカラクリは、誰にとっても残酷すぎる。


「でも、こんな美しい芸術を人間は作ってきた……」


「そんなだからって、許されるんですか! 人を……、殺すことを……」


トラウテは、そっとあたしの手のひらを握った。


「こんな時代に生まれてしまったのよ」


あたしはトラウテの顔を思わず見返した。涙を流していた。


彼女もまた、剣を持つことに苦悩する人なのだ。


これは、理屈のことではないのだろう。殺すことに正当性などあるはずもない。


他人だけに、穢い思いをさせてはいけない……。


トラウテは手を離した。


あたしは、ツクヨミの鞘を、そっと握る。


「染まらないでね」


あたしがエリカに言った言葉が、あたし自身に跳ね返ってきた。


ただそこだけが、与えられた環境で生き残ること、その精神を律するためのよすがになるように思われた。

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