第2話 子ども

 アレグロ・レトリバーがキャンキャン鳴くのを聞いて、私はハッと目を覚ました。

 春の陽気な天気に誘われて、アレグロ・レトリバーを見ている最中につい居眠りをしてしまったらしい。

 アレグロ・レトリバーの様子がおかしかった。

 庭の外の方を向いてキャンキャン吠えている。動き方もいつもと違い、左右にふらふらと揺れている。飛んでくるなにかを避けようとしている。

 目を凝らしてみると、小石がアレグロ・レトリバーに向かって投げつけられていた。犯人は庭の外でけたけたとおぞましい笑い声をあげる子どもだった。

 面長で出っ歯。鼻は少しつぶれていて、黒の長袖の上に、胸に英字が書いてある白いTシャツを着て、黒の短パンを履いていた。

 私が何かを言う前にその子どもはけらけら笑いながら走り去っていった。

 アレグロ・レトリバーは子どもの背中を見てくぅんと悲しそうに鳴いた。

 私は今までアレグロ・レトリバーに集中していて気がつかなかったが、その子どもは毎日のように夕方、アレグロ・レトリバーのいる庭の前を通っていた。そこが通学路になっているようだった。

 そして、1度アレグロ・レトリバーをいじめたことで味をしめたのか、大体3日に1度の割合で、その子どもはアレグロ・レトリバーに小石を投げつけるようになった。

 私は部屋中を探し回ってなんとかスマートフォンを引っ張り出した。スイッチを押しても画面は真っ暗なままで、壊れているのかと思ったが、すぐに充電がないんじゃないかと思い当たる。再び部屋中を探し、充電ケーブルをやっとの思いで見つけると、携帯を充電した。しばらくして、携帯は無事に電源がついた。

 スマホのロック画面には2023年4月13日と表示されており、私は未来へタイムスリップしたような感覚に陥った。

 私の世界は2017年で止まっていた。アレグロ・レトリバーがあの真四角の庭に、不安そうに足を踏み入れたのが確か、2017年。部屋に篭もりきりになり、アレグロ・レトリバーを見始めてから6年が経っていた。

 操作を思い出すためにすこし触っていると、充電の減りが異様に早いことに気がついた。私は充電ケーブルをつけっぱなしのまま使うことにした。

 私がスマホを発掘して3日後、その子どもは再びアレグロ・レトリバーに小石を投げ始めた。

 私は既にセットしてあったスマホの録画ボタンをタップした。

 1分ほどの動画が撮影できた。

 その動画をTwitterに投稿し、「ペット見守りカメラに映っていた映像です。この子どもが投げた小石が我が家の犬の目にあたり、私の家の犬は失明してしまいました。絶対に許せません」とメッセージを添えた。

 Twitterで有名な、数々の炎上動画を紹介しているインフルエンサーを見つけ、そのインフルエンサーにDMで同じようなメッセージと動画を送った。

 その動画はあっという間に拡散された。

 特定班という人達が動き出して、動画に映っていた子どもは静堀小学校6年2組の村田颯詠だということがすぐに分かった。

 静掘小学校に何回かクレームの電話を入れ、ネットに正義人ぶって、村田颯詠の行為を批判した書き込みを繰り返した。

 今どきの子どもはネットも使うから、村田颯詠も自身の炎上のことを知っていると思った。村田颯詠がちゃんと一つ一つの心無い言葉を真に受けて、心身が病み、外の世界に出ることが出来なくなる様子を想像した。

 村田颯詠はアレグロ・レトリバーがいる庭の前を通らなくなった。

 学校を休んでいるのか、それとも引っ越したのか、ただ単に通学路を変えただけなのかはわからない。

 ただ、一つの記念として、私は窓からアレグロ・レトリバーにソーセージを投げ与えた。アレグロ・レトリバーは嬉しそうに、しっぽをちぎれるんじゃないかってくらい激しく振って、ソーセージにむしゃぶりつく。私はいつ開けたのかわからないペットボトルのお茶を掲げて乾杯をした。

 今日は村田颯詠退治記念日。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る