第33話 仇討ち

 先発隊の最後のトラックがゲートを潜ると辺りが妙に静まり返った。つい先程迄、鋼の城壁の如くに陳列していた戦車群も今は一両も居らず、もぬけの殻となった駐屯地跡が侘しく横たわるだけである。

 そして此の研究所は余り戦闘経験の無い、六十余名の学術兵だけが取り残された。


「護衛部隊が明日の昼頃には到着するとはいえ、まあ心配だね……」


 クレメント中尉は呟いた。学者肌で自分の研究以外の事には余り関心の無い此の男も、現在置かれている状況に不安の様だ。

 スタインベックは嘘八百を並べ立てて、何とか安心させようと宥めるも、「大尉のやる事は勿論、信じているが其れでも何かこう、戦う兵士が居ないというのがね」と、あくまでも不安が解消しない様子である。

 捕虜や負傷した戦友達を散々嬲り殺して来たくせに――いざ自分に危機が迫ると、此の有り様か。科学者としての覚悟も気概も足りないな、人間としても駄目だ。

 僕は科学者とは常に、危険と隣り合わせに生きる求道者と心得ている。一度でも人を殺めたのなら、自分も何時、何処で誰かに殺されるかも知れないとの可能性を、考えて行動すべきなのだ。其れが研究の為なら尚の事だ。そういった意味でクレメントは僕の美学にそぐわない存在だ。

 所詮、此奴は抵抗出来ない人間を甚振るだけの愚物だな。僕の独自計算によれば、此奴が将来に置いて生物科学の分野に貢献出来る可能性は一パーセント未満だな。ならば居なくても問題無い。


「御安心下さい、クレメント中尉。僕が責任を持って対処しますので」


 そう云うと、漸くクレメント中尉は安堵の表情を浮かべて自室へと戻っていった。

 そう――僕が責任を持って、生物科学の進歩発展の為に適切な対処をしましょう。

 引っ越し準備が一段落したせいか青瓢箪共は各々、一抹の不安を抱えながらも居室や酒保等で時間を潰している。明日の昼迄、我慢すれば護衛部隊に囲まれて本国に帰れる事を思い、一夜を乗り切ればよいと。

 だが好き勝手しておきながら、無事で済むとは限らないけどね。ドイツの寓話にはよく有るよね、過ぎたる悪戯をした悪い子は大抵、魔物に食べられちゃう結末ってやつがね。

 スタインベックは小声で歌でも唄う様にそんな事を呟きながら、笑いを噛み殺しつつ弾む様な足取りで所長室へと向かった。

 


 時刻は午後八時五十分。

 いよいよ最後の決着を付ける時が近付く。久し振りにシャワーを浴びて身体を清められた、衣服も全て清潔な物に着替えられた。        

 最後の晩餐は固いライ麦パンとブルストになったが、昼には懐かしい故郷の料理を味わえたし、大好きなコーヒーも堪能出来た。

 懐に忍ばせた最後の愛銃、ワルサーP38サイレンサーも手に馴染んだ。

 恐怖は無い、迷いも無い、後悔も無く未練も無い。自分でも不思議な位に落ち着いているのが一寸、可笑しい気もする。

 でも其れは、当然の事なのかも知れない。

 僕は此の日の為に此の地に留まり、闘い続けてきたのだから。後は怨敵ヘッシュ少佐を打倒せれば、僕の少々短い人生を成就させる事が出来るのである。

 復讐を完遂させる為にヘッシュとは直接関係の無い、多くのドイツ兵を此の手に掛けてきた。そして多くの仲間も失った。今更、一人生き残ろうとは思わない。


「其れじゃあ、行こうか」


 用意は出来ている、何時でも平気だ。僕は「はい」と頷き、ケムラーと一緒にヘッシュ少佐の待つ所長室へと向かった。

 館内には多くの兵士達が、彼方此方にうろついている。明日の撤収前に最後の荷物の選別に勤しむ者や、整理が一段落して一息付いている者、酒を飲んでいる者も居る。今夜は就寝時刻の制限も無く、自由にやっているのだろう。楽しむが良い――援軍等は来やしない、偽りの明日の為に――。

 そういえば、とうとう彼等は自分達の脱出計画の事を、僕には詳しく教えてくれなかったな。一体どんな方法を取るのだろう。

 ヘッシュ少佐を殺した僕を囮に使うつもりなのか? 其れとも僕を犯人として殺害し、連中を云い包めるのか? 彼等は面倒な事はしないで、チャッチャッと片付けてサッサとフケるだけだと云うのだが、何にしても僕は生きてはいられまい。

 だが其れでもいい。ヘッシュを此の手で斃せる機会を与えてくれただけで、僕に取っては僥倖なのだ―――そして遂に其の時は来た―――。


「其れじゃあ、君の一世一代の復讐劇。とくと拝見させて貰おうか」

「はい、ぬかりなく‼」


 ケムラーは所長室の扉をノックすると、中から「入りたまえ」との声が聞こえた。

 ヘッシュの声である。先程の狼狽していた時と違い、自信を取り戻したかの如くに堂々とした感じの声が、此の男の矮小さを依り際立たせている。

 僕等は室内に入り扉を閉めると、御決まりのローマ式敬礼で「ヒトラーハイル・万歳ヒトラー」と右手を翳した。


「失礼します。ゲシュタポ極東支部所属、アルトゥル・マウラー大尉と他、一名。任務報告に伺いました」


 予定通りに所長室には、ヘッシュ少佐の他にはスタインベック大尉が居るだけである。


「うん? 先程の報告以外にも未だ何か有るのかね」

「はっ! 本官からではなく、本官と行動を共にして来た、ヒトラー・ユーゲント団員のマルコ・デーメル君からの任務報告であります。今回の作戦に置いての彼の功績は、自身の口から御報告申し上げようと思いまして」


 ケムラーの饒舌な物言いに、ヘッシュは何の疑いも持たずに快諾した。


「そうか、敵地に潜入してスパイ活動に従事した、ドイツ少国民の活躍を直に聞くのも悪くないな。宜しい、報告したまえ」


 ヘッシュはにこやかに僕を手招きする。


「さあ、マルコ君。行きたまえ」


 ケムラーが僕の背中を軽く叩いた。


「はっ! 失礼します」


 僕はポケットから一発の銃弾を取り出して、ヘッシュの机の上に置いた。練習と同じ距離を取れる様にと、さりげなく後ろ歩きに後退する。三歩、四歩、五歩……良い位置だ。 

 ヘッシュは僕の差し出した銃弾を手に取り、繫々と眺めている。何なのか、よく解らないといった表情だ。其の意味を知る時は終わる時である。

 其れにしても何と緊張感の無い男だ。幾ら銃弾飛び交う前線とは縁の無い業務に付いているとはいえ、一応貴様も軍属だろうに。

 こんな隙だらけの将校は初めて見た。何時も誰かに守られていたのだろう。

 もう、其の気になれば何度殺せているのか解らない位だ。僕は敢えて奴が顔を上げるまで待つ事にした。ケムラーとスタインベックも僕の意図を理解している様で、クスクスと笑いを堪えている。

 ヘッシュは漸く手にしている弾種が解った様で、得意げに云った。「之は弾頭が緑色だから消音銃の弾丸だね」と笑顔で顔を上げた瞬間に僕は銃を抜いた。


 練習よりも更に速く。恐らく、0・6秒程であろう。


 ヘッシュはまるで、瘧にでもかかった様に固まっている。何が起きたのか理解出来ていないのだ。直ぐにでも撃って良かったのだが、奴の余りにも間抜けた顔を見ていると、僕は少しだけ脅かして遣りたくなった。 

 奴は冷や汗をかきながら、「あぁ」や「うぅ」等と唸るばかりで動けずにいる。普通の軍人ならば、身を躱そうとするか武器を手に取ろうとするのに、此奴は突然の事とはいえ、何の対処も出来ずにいる。平時に措いては其れも致し方ないのかも知れないが、今は戦時である。本当に此奴、戦地に居る自覚有るのか?

 こんな奴の所為で、僕の愛する家族や仲間達が殺されたのかと思うと本当に悔しい――いや、今は悔しさよりも寧ろ呆れた気持ちである――我が怨敵の余りの不甲斐無さに。

 僕は最初の計画と違い、奴に語りかける事にした。ケムラーとスタインベックに眼で訴えると、彼等も了承してくれた様である。


「ヘッシュ少佐殿、其の通りであります。其れは消音銃用の弾です。昨夜、少佐殿の部下から預かった物であります。なので御返しに参りました。どうぞ御受取り下さい」


 此の期に及んでもヘッシュは身動き出来ずにいる。何処までも胆の小さい男だな。    

 僕は最大級の皮肉を込めて云い放つ。


ヒトラーハイル・万歳!ヒトラー


 ポシュッという、消音銃独特の発射音と共にヘッシュの頭が後方に反り返った。

 僕の放った銃弾は眉間のド真中に撃ち込まれている。勿論、即死である。終わってみれば呆気ない、僕の復讐は遂行された。後はもう如何なっても構わない。

 父さん、母さん、親類達、同胞達、そして黒い鼬の仲間達よ――之で死んでも皆に顔向け出来るね――。

 そう思うと何だか急に身体中から力が抜けてきた。僕はおもわず腕が解れて握っていた拳銃を床に落とした。

 不意にケムラーとスタインベックからの拍手が聞こえてくる。


「やあやあ、御見事! 大した腕だねぇ」

「眉間、ド真中! ビリー・ザ・キッドも真っ青だよ‼」


 彼等の褒め言葉も何処か褪めて聞こえる。僕は薄らと笑みを浮かべて云った。


「之で僕の復讐は終わりました――もう、十分です。どうぞ殺して下さい……」


 嗚呼――之で皆の処に逝ける……。

 恐くもないし、悲しくもない。惜しいなんて思ったりもしない――さようなら、現し世よ――。

 そんな覚悟を決めた途端に、大きな笑い声が僕の耳を劈いた。


「あはははは! 君はさっきから何を云ってるんだ? 僕が君を殺すなんて、何時云ったというんだい。初めから僕の云った言葉を思い返してみなよ、そんな事は一言も云った覚えは無いけどね」


 そう云われて僕は呆然とした。

 思いあぐねてみると確かに彼は、「覚悟はいいか」「如何なるかも解らない」「生命の保証は無い」等とは云っていたが、僕の生命を貰うとは一言も云ってはいない。

 僕はクルト・ケムラーという特異な存在の前に、勝手に自分の生命を捧げなければならないと思い込んでいたのだ。


「まあ、如何しても死にたいと云うのなら勝手に自殺でもすれば良い、逃げたいのであれば逃げれば良い。先に云った通りに君の仇打ちに付き合ったのは物の序だ。事が済んだのなら後は君の好きにすればいいだけさ――僕等は僕等でフケるだけだよ」


 好きにしろと云ったって――僕はヘッシュを殺った後は、自分もどういう形でかは解らないけれど、殺されるものとばかり思っていたので、脱出計画等は立てていないのだ。そんな事を考えていると、扉の外から急に何人もの悲鳴が聞こえてきた。何だと思った次の瞬間、ドカンと物凄い爆発音が響きわたった。


「何やってんだ、あのチビ。静かにフケてぇとかぬかしてたクセに」

「なんだかんだ云って、彼が此処の連中に一番頭にきていたのかもね」


 本当に何をやっているというのだ。雅か、あのハルベルトという人、六十人相手に戦うつもりなのか?


「しょうがねぇな――俺もちょっくら、手伝ってくるか」


 そう云うとケムラーは、黒眼鏡とコートを脱いでスタインベックに手渡した。


「他に何か武器いる?」

「FN・ハイパワーも二丁に増えたしな、後はコイツがありゃあ十分だ」


 ケムラーは腰の刀をポンと叩いた。


「タイケー・ナオタネだっけ?」

「いや、コイツはサノ・ユキヒデだ」


 如何やら刀の製作者の名前らしい。いや、今はそんな事は如何でもいい。あのハルベルトという人がきっと、暴走してしまったのだろう。とんでもない緊急事態が発生してしまった様だ。彼等の本来の脱出計画が狂ってしまったのだろう。僕は今迄の御礼に何か協力出来る事はないかと申し出ると、二人は顔を見合わせて考え出した。


「そういやぁ、チャッチャッと片付けてサッサとフケるとしか決めてなかったな」

「戦車を如何にか出来たから、後の事はそんなに気にしてなかったねぇ」


 杜撰過ぎるだろう! 一体、此の人達は何を考えているのだ?

いや、彼等にしてみれば、六十人位の兵士等は物の数では無いのかもしれない。実際、ケムラーは昨晩、四十人からの特殊部隊員を、たった一人で壊滅させたのだ。


「さてと、其れじゃあの御手伝いをしてくるか。マルコ、君は事が済むまで此処に居たまえ。直ぐに終わるからさ」


 直後にケムラーは釘をさす様に云う。


「おい、。彼の事を頼むぞ。其れと変な悪戯はするんじゃねぇぞ」


 スタインベックは、「はぁ~い」と愛想の良い返事をした。其れよりも僕は、『エル』や『アンリ』という聞き覚えの無い名前に戸惑った。するとスタインベックが、「僕とハルベルトの本名だよ」と教えてくれた。

 成程、ケムラーと同じく彼等も偽名を使っていたのか。ナチスに潜り込んでいたのだから、其れも当り前か。

 何だろう――今、死ぬ必要が無くなったと思うと急に又、力が抜けてきた。其れと同時に、気恥かしさと変な好奇心がムラムラと湧いて来た。こんな状況下で不謹慎とは解っているが、如何にも止まらない。知りたいとの欲求が抑えられない。

 僕は答えてはくれないかもと思いつつも、思い切って訊いてみる事にした。此の不思議な人達の正体を……。


「ケムラーさん、スタイ――いや、エルさん。貴方方は一体、何者なのですか?」


 するとケムラーは、指先でコリコリと頭を掻きながら、「ん~何者ねぇ……身の上語りは苦手でね、其処の馬鹿にでも訊いてごらん」

 そう云われるとエルは自らを指差して、にこやかに微笑んだ。

 扉の向こうでは阿鼻叫喚の大騒ぎが続いている。そんな中に散歩にでも行く様な気軽さで、ケムラーは扉を開いて出て行った。

 


 両腕にMG34機関銃を二丁持ちして、背中にはパンツァーファウストを三本担いで、腰のベルトには柄付き手榴弾を六本も差し込んでいる。両肩から提げた鞄には予備の弾倉等が沢山入っている様である。

 そんな物騒ないでたちの小男が無表情で暴れまくっている姿は、此の世の物とは思えぬ程に恐ろしい。余り戦闘経験のない学術兵達は逃げ惑うばかりである。

 中には銃を取って抵抗する者達もいるが皆、屁っ放り腰で真面に戦えてはいない。

 既に二十名近くが斃されている。


「おい、チビ! 何やってんだよ」

「遅えぞ、デカブツ! チャッチャッと片付けて、サッサッとフケるだよ」

「態々、殺る必要あったのかよ?」

「今更な事、云ってんじゃねぇべ」

「生かしとく価値の有る奴はいねぇの?」

「いねぇだな」

「じゃあ殺っちまおう!」


 其処に右手に刀を握り、左手に大型拳銃を持った大男が新たに加わった。


「残りは何人だ」

「四十二。建物の中は隠れる場所が多いから、取りこぼすでねぇぞ」

「了解だ、おチビちゃん」

「チビ、チビ五月蠅ぇぞ、ゴルァ‼」



 銃弾飛び交う館内に、二人の羅刹が徘徊し始める。



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