第8話 東洋の剣技

 まるで古の騎士物語の様であった。剣で敵の首を切り落すなんて、現代戦においては考えられない事であるが、彼は其れを遣って退けた。伝記の中の騎士の如しに。

 あの剣技は何処の国の技だろう。欧州の剣技では無いと思うが、其れにあの剣の形はサーベルとは一寸違うな……シャムシール? 其れとも亜細亜の方の剣かな?


「いやぁ、其れにしても同志ケムラー。さっきの剣裁きは凄いもんですなぁ。ありゃあ東洋の剣技ですかい?」


 セミノロフが大仰な身振り手振りで語り掛けると、彼は真顔で答えた。


「世界でも最高水準の日本剣術です」

「へえぇ、日本……するとサムライの剣技ですかい、どうりで御強いはずだ。同志は日本に居らした事があるんですかい」

「ええ――もう随分と前になりますが、少し剣術の手解きを受けましてね……」


 彼は遠くを見るような眼で云った。何か深い思い出でもあるのだろうか。

 あれは東洋の剣技か。其れにしても日本とは……ドイツの同盟国、けれどもユダヤ難民を受け入れてくれる国でもある。何か複雑な感情を持つ国だなぁ……日本って……。

 彼にしてみれば僕以上に複雑な気持ちだろうな、きっと……。ソビエト政府だって何時、満州を挟んで日本軍と衝突してもおかしくない状態だし、自分にとって馴染み深い国を敵にするなんて辛い事だ。

 僕に至っては今、母国を敵に回している。いや、もうドイツは母国とは呼べないかな――元より僕等ユダヤの民に母国や祖国なんて無いのだから――約束の日が来る其の日迄、彷徨い続けるのが運命なのか……其の時まで多分、僕は生きてはいまい。

 いけない、又候暗い事を考えてしまった。考え過ぎるのはユダヤ人の悪い癖とはよく云うが唯、単に僕の性格が陰鬱なだけなのかと最近思う時がある。

 僕、そんなに暗い子だったかな……そんな事を思っていると、ふと皆の足が止まり彼が静かに腰の剣を抜いて正面に翳した……。一瞬ギクリとしたが、如何やらセミノロフが彼の剣について色々知りたいと頼み込んで、其れに応えてくれたらしい。


「日本の剣――『刀』と云います」


 それは刃渡り六十センチ程の長さである。彼の話によると、刀には長さや形によって色々な呼び名が有り、之は中間の長さで尤も実戦向きと云われる『小太刀』というそうだ。


「何だかゾクリとしやすなぁ」

「欧州のサーベルに少し似てますね」


 そう聴くと、彼は舐めちゃいけないよとばかりにニヤリと笑った。


「鉄の精錬方法、鍛え方が段違いですよ」


 そう云うと、ゆるりとした動きで目の前に生えている葉っぱを剣先でなぞる様にして見せた。一体、何だと見ていたら其の葉っぱがぱっくりと割れた――いや、切られたのだ――「おおっ!」と、僕等は驚きの声を上げると彼は少し得意げに語った。

 

「剃刀の鋭利な切れ味と鉈の破壊力を併せ持つ――世界中の剣の中で、こんな事が出来るのは日本の刀だけですよ――凄いでしょう、皆さん」


 確かに凄い。人間の首を容易に切り落とす威力と、葉っぱを奇麗に割いてしまう繊細な切れ味を持つ刃物なんて、ドイツのゾリンゲン(刃物の産地で有名な町)でも御目に掛れないだろう。

 以前に黒い鼬で一番年長の団員、ガレリン爺さんが露日戦争の時の事を話してくれたのを思い出した。日本兵は銃弾が尽きると銃剣よりも、腰のサーベルを両手で持って斬りかかってきて、相手を真っ二つにしちまうんだと云っていたな。其の時は冗談だと思って笑って聞いていたけど、あながち嘘では無いのかも。

 日本の剣、其れ自体も凄いけど何よりも其の剣を操る技術、技量が凄いのだろう。日本剣術、恐るべきかな。彼自身も其の様な事を語っている。

 セミノロフとヴィヒックが妙に感心して聞いているが、解っているのかな?


「とは云え、銃器の前では余り役立ちませんけどね。所詮、時代遅れの業です」


 彼はそう云ったが、其の表情を見ていると何故か言葉は裏腹に聞こえた。



 現在、僕等のアジトは森の中の洞窟だ。

 パルチザン――遊撃隊の特性上、常にアジトを転々としなければならないのだが、今回のアジトは今迄で一番広い所である。僕も既に四度の引っ越しを経験したが、前回のアジトは酷かった。

 林の中の草臥れた物置小屋で、兎に角狭くて全員が一度に寝る事も食事を取る事も出来ずに、常に十人以上が追い出されては短時間交替制で歩哨に立つ始末であった。

 大部隊でもないのに、一個小隊の人数で見張り番というのも間の抜けた事である。

 其れに比べれば今のアジトは天国だ。洞窟内部は暖かく広さも十二分に有り、直ぐ近くには小川も流れている。高台も有り見張りも隠れ易く、敵軍の襲来にも対処しやすい地形で、車両も四~五台は隠せる。

 唯一つ難点が有るとすれば、此処は巨大な虫が多く生息しており、よく女性団員達が悲鳴を上げるのである。僕も何匹、虫を片付けさせられた事か。

 しかし僕等にとっては天国でも、所詮は唯の洞窟。こんな処にGPUの捜査官を案内して良いものかと思ったが、意外にも彼は好感触であった。


 「此処は良い。あらゆる条件が整っていますね。アジトとしては理想的だ」

 「そうでしょう。唯一の問題は、でっけぇ虫コロがウロチョロしてるくれぇで」


 セミノロフが冗談交じりに云う。


 「毒虫でなければ問題無いでしょう」

 「女性。悲鳴、上ゲマス」


 僕は別に冗談を云ったつもりは無いのだが、周りから笑いが起きた。何だか気恥しい。其処に挨拶と同時に奥に引っ込んだリーダーが、小脇に秘蔵のウォッカの酒瓶を抱えていそいそと戻って来た。


「やあやあ、先程は挨拶もそこそこに申し訳ありやせん。改めやして、黒い鼬でリーダーを務めておりやす、イワノフ・タタモビッチです。以後お見知り置きを‼」


 満面の笑顔で握手を求めて、彼もソツなくそれに応じる。僕の横で女性団員のオーリャが小声で囁いた。「あれが大人の礼儀、処世術ってやつよ」と、クスクス笑いながら云う。大人って面倒臭いな。

 幹部達が彼を取り囲み、何やら相談を始めている。僕等に何所までの道案内が出来るのか、どうゆう道順を辿るべきかを模索している様だ。ドイツ軍が溢れる中、西への移動は容易なものではないだろう。スウェーデン迄か――過酷な旅路だろうな。


「御任せくだせぇ、なんせ此処等は俺達の庭みてぇなもんでさぁ。必ず安全な次の中継地点迄、御送りしやすぜ、同志ケムラー‼」


 リーダーは自信有り気に胸を張った。先ず今日の処は休んで頂き、身体の疲れを取ってから状況を見て、出立は早くても明後日以降になる予定だ。其れ迄は、ゆっくりとしてもらおうという事で話は纏まった。


「有難う、同志諸君。心より感謝します」


 彼は丁寧に礼を述べると、リーダーは其れではとウォッカの瓶を翳して歓迎の意を表したいと申し出たが、彼はやんわりと断った。


「貴重な一本でしょう。ソビエト連邦、勝利の日に祝杯を上げる為に取って置いてください。同志タタモビッチ」


 其れでも、しつこく粘るリーダーの誘いを彼は上手に躱している。遂には渋々と諦めた様であるが、何とも寂しそうな顔だ。


「彼って理知的ね。素敵だわ」

 

 オーリャ・ゴムルカが目を輝かせて云う。彼女が男性を褒めるのは珍しい事である。何時も金髪の切り髪を雑多に結んでいるだけで化粧気も無いけれど、決して野暮ったい感じはせず、可愛い顔立ちの娘である。未だ二十歳になったばかりの彼女は黒い鼬の人気者で、若い男性団員達は皆オーリャを狙っているが、男勝りの性格と歯に衣着せぬ物言いで近づく男達を一蹴している。前にヴィヒックが防御の堅牢さ、城塞の如しだと嘆いていたな。僕には優しい御姉さんなのだけど。


「居丈高で融通の利かない赤軍の将校連中と違って、彼は紳士的で瀟洒な感じがするわね。ねえ、マルコ。ナチ公共は別としてドイツ系の男って皆、あんな風なの?」

「皆、違イマスネ。彼、特別カッコイイ、思イマスヨ――頭良イ、優シイ。オーリャ姉サンノ云ウ通リ」

「フ~ンそっかぁ……私、何だか彼に興味持っちゃいそう――きゃあ‼」


 珍しくハシャイでる彼女は、とても可愛く見えた。そう、幾ら戦時中とはいえ、恋が有ったり、冗談が有ったり、笑いが有ったりしても良いと思う。暴力の中にもユーモアが有ると云ったのは誰だったかな? 僕も死が訪れる迄の僅かな時の中で、少しでも楽しい事を見つけようと思う。だけど、恋だけは出来ないだろうな。

 不意にオーリャが「私が彼に恋しちゃったら妬ける、マルコ」と訊ねてきたので、特に妬けませんと答えたら「生意気ね、嘘でも良いから妬けるとおっしゃい!」と両頬を抓られた。そして其の後にキスをしてくれる。


 オーリャの愛情表現は暴力と愛撫が合わさっている。でもキスをして貰えるのは僕だけの様だ。其れで何時も他の男性団員達からは御前ばかり狡いぞと云われるのだが――仕方ないでしょう……之、子供の役得だから。

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