第二話 nation causality

結果

 ランチタイムの最後の客が店を出ていき、小路丸さなえが営んでいる定食屋小路亭の中は静まり返った。

 空洞化が進んで人通りの寂しくなった街の中心街にありながらも、代々続く味を守り続けている小路亭は常連客が多く、平日でも繁盛して今日も大忙しだった。

 昼の営業はこれで終わりにしようと店の外にかかっているのれんを下げたところでポケットの携帯が鳴った。

 取り出して画面を見ると山下からの電話だった。

「メールを送ったから見てくれ」と山下からの声が聞こえ、小路丸が「もしもし」と言おうとする前に電話は切れてしまった。

 回線の具合が悪かったせいで切れてしまったのだろうか。だったとしたらすぐに電話をかけなおしてくるだろうと思い携帯の画面を見つめていると今度はメールの着信通知が画面に表示された。送信元は山下だった。

 画面をタップしてメールを開くとそこにあるのは二行のそっけない文章とアドレスだった。


下のサイトからアプリをダウンロードして会員登録してくれ。

登録したらおれのIDを検索して申請してほしい。


 二行の文面の下にはサイトのアドレスとIDらしき英数字が書かれていた。

 小路丸がそのサイトにアクセスするとそこは中国語で書かれたSNSサイトだった。アプリのダウンロードボタンはすぐに見つかり、少し不安になりながらもダウンロードしてインストールする。中国語はさっぱりできない小路丸だったが、SNSのアプリならだいたいどれも似たようなものである。それほど苦労することなく会員登録を済ませて山下のIDを検索し、山下に申請を行った。すぐさま山下から通話の着信通知が来た。

「おう、悪いな。といってもこの時間だ、店の方は落ち着いたころだろう」

「ええ、まあ店は閉めたところなので長電話しても大丈夫ですけれど」

「ちょっと込み入った話で長くなるから国際電話じゃ金がかかってしかたない。だからSNSで電話にすることにしたんだ」

「先輩、ひょっとして中国にいるんですか?」

 山下は小路丸の学生時代の先輩で、口も性格も軽いが身も軽く、フリーのカメラマンとして一年中どこかの国を飛び回っている。

「ああ、わけあって今はウルムチにいる」

「ウルムチって言われても中国のどのあたりかさっぱりわからないですよ。北京とか上海とかだったらわかりますけれど……。もっとも先輩がそんな有名すぎる場所にいくはずなんてないから、どんな地名を言われてもわかりませんよねえ。唯一わかるのは僻地だろうってことぐらいです」

「ウルムチは新疆ウイグル自治区だ。それにウルムチは結構な大都市だぞ」

「新疆ウイグル自治区って言われても余計わかりませんよ」

「カザフスタンの隣だ」

 そう言われても小路丸にはピンとこない。

「はいはい、わかりました、場所はあとで調べておきます。で、そんな場所からどうしたんですか」

「おお、そうだ。さっきも言ったようにだいぶ込み入っている話なんでな、メールで書くんじゃおれのほうが大変なんで、電話にすることにしたんだ。でも国際電話じゃ金がかかりすぎておれが破産してしまう」

「それはさっき聞きました。ひょっとして時差があるどころか時空間が歪んでいて会話がループでもしてるんですか。SNSの通話なら長電話しても大丈夫なんでしょ」と小路丸が言ったところで「ちわー、宅配便です」と店の扉を開いて宅配の配達人が入ってきた。

「先輩、宅配便が来たのでちょっと待っててください」と言って携帯を置き、小路丸は荷物を受け取りに店の入り口まで行く。

 配達人は、胸元に抱えていたちょっと大きめのダンボール箱の上面を小路丸のほうに少し傾けて、張られた送り状の一部を見せて本人確認をした。

「はい、わたしです」と言いながら、誰からだろうと送り主の欄を見ると山下の名前が書かれていた。

「先輩、先輩からなにか荷物が届いたんですけれど、私になにか送ってくれたんですか」

「おお、タイミングがいいな。届いたか。まあ荷物の方は後回しにしてくれ。ところで人が花になるってあると思うか」

「あるわけないでしょ」小路丸はあっさりと否定する。

「いやお前、もうちょっと考えて返事をしてくれてもいいじゃないか」

「おとぎ話か空想の話ならともかく、現実の世界で人が花になんてなるわけ……ひょっとして花ちがいですか。植物の花ではなくって顔の真ん中についている鼻」

「いやそっちの鼻じゃない、植物のほうだ」

「じゃあ、そんなことはありえないです」

「うん、まあおれもそんなことありえないって思うんだがな、しかし、人が花になってしまったというんだ。ちょっと長くなる話だが聞いてくれないか」



「なにか珍しい食べ物はないかな、張くん」

 写真撮影の仕事が一段落したところで山下は通訳の張劉帆に尋ねた。山下の中国語ならば日常会話ぐらいならば身振り手振りを交えることで中国人相手でも通用するのだが、山下が写真を撮る場所というのは必ずしも安全な場所ばかりではない。公安警察に取り調べをされる可能性もゼロではなく、そういう場合は通訳を通して交渉をしたほうが物事スムーズに運ぶ。だから山下は常に通訳を連れて行く。そしていつも張劉帆を通訳に選んでいるのは彼が語学に堪能であることもそうだが彼の父親が軍の上層部の人間であるということのほうが大きい。もっとも張劉帆は親の威光を借りることは考えてはおらず、そういう目的での仕事は受けることはしていない。しかし山下の場合はそういう下心を隠そうともせず最初からあけすけに言ってきたのでついつい気を許してしまい今にいたっている。

 生まれつき胃が弱くてしょっちゅう胃痛に悩まされている山下だが、珍しい食べ物には目がない。小さい頃から飲み慣れている胃薬片手にフリーのカメラマンとして、世界各地を飛び回るその合間に常に珍しい食べ物を探し求めている。口さがない山下の仕事仲間は、山下が世界を飛び回っているのはカメラマンとしてなのかそれとも珍しい食べ物を探すためなのかどっちなのかわからんと言っているが、当人はカメラマンのほうが主であると、そのあたりの節度は守っているつもりだった。

 俗に、二本足のものなら親以外、四本足のものなら机と椅子以外はなんでも食べると言われる中華料理である。まだまだ山下が食べたことのないものが残っているはずだと、山下は信じていた。がしかし、そうそう簡単にそんな珍しい食べ物が見つかるわけでもない。

 中国での仕事ではいつも行動をともにしている張劉帆も、仕事が一段落すると山下がそう言ってくることを理解していたので、毎回下調べをしておいたのだが、今回はこれはというものが見つからなかった。

「困りましたね。僕ももう思いつくものはないですよ」

「そうか、それは残念だな。今回は諦めるしかないか」と山下はがっかりする。

 そんな山下のがっかりした姿をみて不憫に思ったのか、張劉帆は「珍しいかどうかわからないんですが、来週まで待ってもらえれば、ちょっとおもしろいものを食べることができるかもしれません」と言った。

 死刑台に登るのを待っている死刑囚のような表情をしてうなだれていた山下はその言葉を聞いた途端、ガバっと顔をあげて張くんの顔をみつめた。

「え、なにか心当たりがあるのか」

「僕もまだ食べたことがないのでそれが珍しいものなのかどうかわからないんですが、週末に人参果を食べてくるんです」

「人参果だと」

「ええ、西遊記にでてくる人参果です。といってもたぶん人間の赤ん坊のような形をした果物かなんかだと思うんですけどね」

「いや、それっておもいっきり珍しい食い物じゃないか」

「いや山下さん、西遊記は空想の話ですから、人参果も実際にあるわけじゃないですよ。たぶん、赤ん坊の形をした入れ物をかぶせて育てたりんごとかそんなものじゃないかと思うんです。なのであまり期待はしないでください」

「おれも一緒に行くのは駄目なのかい」

「ごめんなさい、山下さんを連れて行くことはできないんです。かわりにその人参果の一部だけでも密閉容器にでも入れて持ち帰ってきますからそれで我慢してください」

「そうか、そこまでしてくれるんならそれ以上無理は言わない。すまないがよろしく頼むよ」


 そして週末、土曜日の夜。今ごろ張くんは人参果を食べているのかな、よしおれも飯でも食いに出かけるかと安ホテルから外に出ようとしたところで張劉帆から電話がかかってきた。

「山下さん、今から会ってもらえますか」

「張くんか、ちょうど飯を食いに行こうと思っていたんだ。よかったら一緒に食わないか」

「食事は、ちょっと今は食欲がないので、僕は食べないですけど、会ってくれるのであればどこでもいいです」

「なにかあったようだな、ま、詳しいことは会ってから聞こう」と山下は言って、張劉帆に個室のあるレストランの名前を伝えた。

 山下が店に入って席につき、何を食べようかとメニューを見ているとしばらくして張劉帆が浮かぬ表情でやってきた。

「どうしたんだい、今日は人参果を食べに行ったんじゃなかったのかい」

「ええ、そうなんです。彼女のお父さんが人参果を食べさせてくれるというので、彼女の実家に行ったんですよ」

「ええっ張くん、いつの間に彼女なんてつくったんだ」

「いや、まだ付き合って半年ほどなんですけれど、仕事の関係で出会うことがあって」照れながらそう言う。

「なかなかやるな。で、彼女の実家にも呼ばれるってことはもう、結婚も考えているのか」

「それが、いろいろとあって、彼女はウイグル人なんです。なのでムヘンメトさん、彼女のお父さんの名前ですが、ムヘンメトさんは漢民族の僕との結婚、いやお付き合いさえも許してくれていないんです」

「それはまた厄介な話だな、いやどこの国でも父親が最大の敵か」

「お母さんの方は認めてくれているんですけれどね」

「でも、付き合いすら認めていないんならどうして人参果なんて珍しいものを食べさせようと招待してくれたんだ?」

「それが僕にもわからないんです、ひょっとしたら僕たちのことを許してくれたのかもしれないと、そう思ったので今日はちょっと期待して彼女の実家に行ったんですが」

「ひどい仕打ちをうけたのか」

「いえ、そんなことはないのですが、会ってくれることもなく玄関先で追い返されてしまったんです」

「門前払いというやつか」

「門前払いってよくわかりませんが、玄関の扉すら開けることなく玄関越しに一言、今日は帰ってくれと」

「彼女も出てこなかったのか」

「ええ、リズワンギュル、ああ、彼女の名前なんですけど、リズワンギュルに会わせてくださいと言ったんですが、ムヘンメトさんは帰れとしか言ってくれず、それ以上そこにいてもムヘンメトさんの気分を害してしまうだけだと思って帰ることにしたんですが、彼女の家を出てしばらく歩いていると彼女のお母さんが追いかけてきてくれて」とそこで張劉帆は言葉をつまらせた。

「なにかちょっと飲んだほうがいいんじゃないか、頼もうか」

「いえ、大丈夫です。彼女のお母さんが、僕にこう言ったんです。リズワンギュルは花になってしまった。だからもう会わないでくれと」

「花になる?」

「ええ、どういうことですかと聞きなおしたんですが、花になってしまったとしか答えてくれず、その後、人参果は食べないでくれと。山下さん、人が花になるって、そういうことがあるんでしょうか。僕は彼女がどうなってしまったのか、なんで人参果が登場するのか、何が起こったのかさっぱりわからなくって」



「ということなんだ」と山下は言った。

「それでわたしにどうしろというんです」

「だから人が花になるのかどうか調べてほしいんだ」

「無茶ですよ。そもそも本当に花になってしまったのかもわからないんでしょう」

「……そうだよな」

「ちょっとこれだけじゃあ調べようがないですよ、もうちょっとなにか情報はないんですか」

「おお、そうだ、宅配便の荷物だ、さっき届いたと言っていたな」

「ええ、届いてますよ、結構大きいですね。何を送ってくれたんですか。あ、開けてみればわかることか」

「そうだ、今開けてくれないか」

「わかりました、ちょっとまっててください」と携帯をテーブルに置いて、ダンボール箱を開け始めた。

「おや、花ですよ。植木鉢に入った」と箱の中から鉢植えの花を取り出して小路丸は山下に言った。

「それが、そうだ。花になった張くんの彼女だ」

 小路丸はテーブルの上の鉢植えを見た。ずっと見つめている。しばらくして顔を天井に向けて天井を見つめた。そしてまた視線を下ろして鉢植えを見つめる。今度は目を閉じた。なにか考え込んでいるようだったがしばらくして目を開いた。小路丸の視線の先に鉢植えの花がある。小路丸の顔色がみるみるうちに真っ青になる。

「ぎゃあああああああ」

「ちょっとまて、そんな大声をあげるな、そこまで大声をあげなくてもしっかりと聞こえるから」と山下が言う。

「せ、せ、せ、先輩、なんてものを送ってくるんですか、死んじゃったらどうするんです、元は人なんでしょ」

「いやお前、さっきは人が花になるなんてありえないって言ってたじゃないか。ひょっとして信じてるのか」

「信じるも何も、枯れさせてしまったらどうするんです、私、サボテンだって枯らしてしまうんですよ」

「……ぷ、はははは、悪い悪い、嘘だ」笑いながら山下は謝った。

「え、嘘?」

「送ったのは普通の花だ。お前、今日が誕生日だろう。誕生日のプレゼントだ。それに送ったそれは生花じゃなくって造花だ、いくらお前でも枯らすことなんてできないから安心しろ」

 それを聞いて真っ青だった小路丸の顔が今度は赤くなった。

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