第4話 『カップ麺と猫の耳』

 二人分のカップ麺の蓋を開け、お湯を注ぐ。

 立ち込める湯気と共に美味しそうな醤油のにおいが部屋に広がっていく。


 その様子を、両膝に両手をついて覗き込みながら、興味津々な表情を浮かべる彼女は、無邪気な子供のようでやっぱり可愛い。


 さっきなんとなくカップ麺なんて失礼かなと思ったのは、彼女が可愛いからだけではなくて、どこか育ちが良さそうな品の良さを感じたからだ。

 

 弱々しくて儚げで、悪い人に騙されてしまいそうな危うさがありながら、それでいて、そばにいる人を惹きつけるようなオーラを纏った彼女は、“世間知らずの可憐なお嬢様” そんな印象。


 だから先程のボディーソープとは違って、カップ麺を初めて見る様なその仕草には特に違和感を感じなかった。


 それよりも、お腹をぐうぐうと鳴らしながらじっと三分経つのを待っている彼女の姿は、まるで“待て” をしている子犬のようだ。


 なんだろう、昔感じた事があるこの感じ……そうそう、あの公園で仔猫を育てていた時の感覚と似ている。あの子もちょうど、目の前の彼女のような、猫にしては珍しい綺麗な桜色の毛並みをしていた。人見知りなのに俺にだけは甘えん坊。かなり癒しをくれる存在だった。


「よーし、三分だ。食べていいよ」


「やったー!」


 歓喜の声を上げて食べ始めようとした彼女は困り顔を浮かべる。


「あの……どーやって食べたらいいですか?」


 どうやら箸の使い方が分からないらしい。……やはりネグレクトを受けていたのかもしれない。


「え? ああ、じゃあ、ちょっと待ってて。……これで食べたらいいよ」


 フォークを渡してみるが、やはりフォークの持ち方も変だ。山の中で猿にでも育てられたのか? 握りしめたフォークで必死に食べようとするが、彼女にはどうやら出来立てのカップ麺は熱いらしい。猫舌なのだろう。なんだか本当に子供を見ているようで可愛く感じてきた。


「じゃあ、お椀に移してふーふーして食べて。ちゃんと噛んで食べるんだぞー」


「はい!」


 少し子供扱いしてみたが怒る事もなく、必死にふーふーと冷ましながら食べている姿がまたたまらなく可愛い。

 もしもネグレクトを受けて育ったのなら、親元には返したくないなと思った。もう少しの間くらい、うちで面倒見てもいいななんて、少しそんな事を思った。





 腹が膨れてにこにことした笑みを浮かべ満足そうな彼女がまた可愛くて、俺は冷凍庫からアイスクリームを取り出した。


「ほれ、アイスクリーム食べるか?」


「食べる!」


 目をキラキラさせながら嬉しそうにアイスクリームを食べる彼女はやっぱり可愛い。口元についたアイスをペロッと舐める仕草に、ああ、口元も可愛いなと思った。



 さて、腹も膨れて落ち着いたし、そろそろ事情を聞こう。そう思った。その前に


「なあ、部屋の中だし、そろそろその頭に被ってるフード脱いだら?」


 嫌なら嫌で別にいいと思った。でもまあ一応部屋の中だし、ただ被っているだけなのか、わざと被っているのかも知りたくて声をかけた。


 そこまで強制的な意味合いで言ったつもりはなかったのだが、もう少し柔らかい言い方が出来たら良かったのかもしれない。俺が後悔する時は決まっていつも相手の反応を見た瞬間なのだ。


 さっきまでアイスクリームを食べてにこにこしていた彼女の笑顔は嘘のように消え、眉尻を下げて今にも泣き出しそうになっていた。


「え、やだ。やだやだやだ。これ脱いだら嫌われるもん。絶対、見せたくない。見せたら絶対追い出される。やだ。捨てないで。嫌いにならないで」


 その必死な言い方に、俺の胸に何かが突き刺さるような痛みを感じる。


 脱ぎたくない、ではなく、見せたくない、と言った。つまりは何かを隠していると言うこと。あんなに嫌がるなんて、大きな傷でもあるのだろうか。


 女性だし、外見的な意味合いで見せたくないのかもしれない。それならそれで、無理強いするのは良くないと思った。だからこの話題も流してしまおうかと思った。


 けど、“追い出される” と言う言葉が妙に引っかかった。その後の“捨てられる”“嫌いにならないで”という言葉がさらに追い討ちをかけた。


 ……もしかして、この子のネグレクトはその傷のせいなのだろうか。でなければ納得できないほどこの子は可愛い。こんな可愛い子が娘なら、さぞ自慢の娘、可愛がって育てるのではないだろうか。


 少なくとも俺の親はそうだった。俺より目に見えて妹を可愛がっていた。いや、親でなくても、誰かが救いの手を差し伸べそうなものなのに。それが傷のせいでケチが付き、見捨てられ、嫌われたのだろうか?


 俺の勝手な仮説。けれど、もしもそうだとしたら、傷があっても充分に可愛い、愛されるべき存在だと、少なくとも拾ってくださいなどと道行く男に声を掛けるようなそんな捨て猫の様な事はしなくていいと、言いたかった。


 けれど、俺はフードを脱いだ彼女の姿をまだ見ていない。脱いでも可愛いよ、嫌いにならないよ、なんてそんな無責任な事言えない。ましてや、俺は“やっと会えた”と笑顔を見せた彼女のことを、1ミリも覚えていないのだから……




「あ、……見せたくないなら別にいいんだけどさ、もう外も暗いし、追い出したりしないよ。君が知ってる昔の俺は、君がフードを脱いだ姿を見たら嫌って捨てる様な人間だったのかな、俺、顔が怖いとかよく言われるから……だとしたら、ごめん」


 そんな文法めちゃくちゃな言葉しか出て来なかった。


 すると困り顔の彼女はさらに困った顔をして、俺のそばに近付くと、俺の頬をペロッと舐めた。


「!!??」


 思いもよらない彼女の行動に動揺する。え、ちょ、舐められた。なんで? え?? 意味が分からない。身体が一気に熱くなるのを感じる。


 俺は舐められた頬を掌で押さえながら目を丸くして彼女を見た。

 すると彼女は自分のフードに手をかけて、


「困らせるつもりはなかったの。ごめんなさい。美桜が悪かった。ずっとまた会いたかったの。会えたのが嬉しくて、ずっとそばにいたかったの。人間になったら飼ってもらえると思ってたのに、美桜みお、ちゃんと人間になれなかった。だから、隠してた。ごめんなさい」


 そう言ってフードを脱いだ。



「……………………え?」



……そこにあったのは、俺が想像していたグロテスクな傷なんかではなく……可愛らしいピンクの、猫耳。



「ええええええええええええええ!!!!」


 思わずアパート中に響く様な大きな声が出た。


 猫耳? は? やっぱりイタズラかドッキリか?

 こんなことあるはずないじゃないか。ここは現実世界、猫耳なんてそんなの、物語の中だけの産物ではないのか。


 けれど彼女の言葉の中に出てきた名前には覚えがあった。


 俺が公園で仔猫を世話していた時、仔猫の桜色の毛並みが美しいから『美桜みお』と名付けて可愛がっていた。その仔猫の名前そのものだ。


 もしも目の前にいるこの子があの仔猫だったのなら、その金色の瞳と雰囲気に既視感を感じたのは頷ける。桜色の髪の毛も、あの仔猫の色そっくりだ。特に猫耳の毛並みは……仔猫にあったそれそのもの。


 けれど! 目の前に猫耳生えた少女が現れたとして、ああ、あの時の仔猫かあ、なんてなるわけがない。俺は現実主義者なんだ。疑り深い。けれど、目の前の彼女はしゅんとした顔をしてて。さっきはピンと立っていた猫耳は怒られた猫の様に垂れていて。それはまるで本物の様に見える。


「あ、あの……その耳、本物? 触っても、いい?」


 俺は確かめずにはいられなかった。


「えっ、あ。はいっ」


 やや上擦った声で彼女は応えて頭を俺に差し出した。


 いや、うそだろ? 触れば触るほど、猫耳だ。ペラペラなのに冷たいわけでも熱いわけでもなく、けれどどことなく生き物らしい熱を感じるそれはまるで本物。


 両膝に両手を乗せてじっと耳を触られている彼女は、どこかフルフルしているが、俺はそれどころではない。

 唐突に現れた目の前にある猫耳が不思議で不思議で仕方がないのだ。


 試しに猫耳の中に軽く指を入れてみると


「ひゃあっ!!」


と彼女は耳を振って身体を捩った。


 ……この反応。演技だったら逆にすげぇ。


「うう、あんまり耳ばかり触られると……その、くすぐったいです」


 何この可愛い反応……


 ……俺が拾ったS級美少女は、まさかのとんでもなく可愛い、猫耳付きSS級美少女だった。



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