第2話 『落ち着け、俺の心臓』
「……ところで。そのダンボール、何?」
公園の前で『拾ってください』などと、一歩間違えればあぶない事を言って来た女の子を、部屋に連れて行くことになった俺は、部屋に向かう道すがら聞いてみた。
「え? 何、とは?」
女の子はキョトンとしている。
「なんでそんなダンボール持ち歩いてるの?」
「え、だって、拾ってもらいたかったから。あと、もしも拾って貰えなかったら、外にいるよりこの中入ってた方があったかいから。この中で寝ようと思ってました」
……なんだ? 世間知らずなのか? 感覚がズレているのか? とんでもない子だ。
この子はパーカーのフードで顔を隠しているとはいえ、すぐに女の子だと分かるほど線が細く、放たれる雰囲気のみならず顔もかなり可愛い。
ただでさえ部屋に連れ込みたがる男なんて山ほどいるだろうのに、ましてやそんな事をすれば、明らかに身の危険が及びそうだ。
「で、なんで俺に向かってあんな事したの?」
「だって……やっとまた会えたから」
……"また"? 何度も言うが、俺はこんな可愛い子知らない。箱に入った子を拾った事がなくはないが、あれは仔猫だ。
まさかラノベでもあるまいし、仔猫が人間になって恩返しに来るなんてことがあるはずもない。この子のはずがないのだ。
おおよそ他の人と俺を間違えているのだろう。と言うことは、少なくともこれは二度目の家出と言う事か。
おいおい、大丈夫なのか? ただでさえ危ない目に合いそうな見た目なのに、そんな事をしていたらいつか本当に危ない目に遭うぞ? いや、すでにそうやって生きてきているのか? 決してそうは見えないが……
「あ、……えっと、ごめんなさい……怒ってますか」
隣に並んで話していると思っていた彼女の声が、後ろから弱々しく聞こえた事にハッとして足を止めて振り向いた。
しまった。またやってしまった。
考え事をしているうちに無意識に早歩きになっていたのだろう。そして、俺の顔は怖い顔になっていたのだろう。
こう言うことはよくある。俺は顔付きが怖いらしい。ただ考え事をしているだけで、別に怒っていないのに怒っていると思われる。
だから自然と人が離れて行く。俺の、悪い癖。自覚はしているが、昔からの癖はそう簡単には治らない。
「ああ、ごめん、ちょっと考え事をしてただけ。怒ってないよ」
俺は無理に笑顔をつくりながら、とりあえず俺の部屋の前に着いたので、鍵を開ける。
「はい、どーぞ。散らかってるけど入って。……ただ、家に着いてから言うのもあれだけど……やっぱり君、誰かと俺を勘違いしてない?」
ついさっきまで、俺はこの子の心配をしてたんだ。もしも俺以外の男にあんな風に声を掛け、この子が危ない目にあったら可哀想だと。
けれどもし、この子が俺を他の誰かだと勘違いして部屋に入ろうとしているのだとしたら、それはそれで悪い事をしている気がした。
「え?」
彼女が不思議そうな顔を浮かべてそう言った瞬間に、俺の身体は固まった。
彼女のその柔らかい手が、俺の頬に触れているからだ。
俺の頬に伝わる彼女の細くて柔らかい掌の熱。そして俺に向けられる真っ直ぐな視線。あまりに綺麗なその瞳から目を逸らすことが出来ない。
ちょっと待ってくれ、なんだこれ。
女性に頬を触られた事などない俺の心臓は、バクバクと音を立て始める。
そんな俺の心臓事情など知らないとばかりに、彼女は俺の頬にその手で触れながら、俺の顔に顔を近づけ、俺の顔をさらにじっと見つめる。
近……っ。なに、これ、やば……
俺の部屋の玄関で、俺の頬に触れながら俺の顔をじっと見つめる彼女の顔は……とても綺麗だ。間近で見るとさらに吸い込まれそうなほどの美貌。
白くて、柔らかそうで、艶々とした陶器のような肌、クリクリとした大きな金色の瞳、スッと整った鼻、ぷっくりとした形のいい艶やかな唇……
あ、俺。今日、死ぬかもしれない。
あまりの心臓の鼓動に、あまりに日常とかけ離れた出来事に、ピクリとも動けなくなった自分の身体に、そう思った時
「やっぱり、人違いじゃないです。へへ、やっと会えたあ」
へにゃりとした笑顔を浮かべた彼女は、そのまま両手で俺に抱きついた。
「え……??」
突然の柔らかさと温もりに戸惑う俺に、抱きつきながら上目遣いの彼女は言葉を続ける。
「だって、その目元の黒い点二個と、口元の傷がある人なんて、他にいないでしょ?」
嬉しそうな笑顔の彼女に目を奪われながら、“確かに” と思わずにはいられない。目元に並んだホクロ二個と口元の傷、こんな三点セットが世の中に溢れているとは思えない。そこにプラスして、俺のこの愛想のない顔の、四点セットだ。
とりあえず、人違いしている女の子を部屋に連れ込んだ罪人にならなくて済んだ事に少し安堵しつつ、新しい疑問が浮かび上がる。
人違いじゃないのなら……いつ会ったんだ?? 古傷の存在を知っていると言うことは、傷が出来た以降に知り合った……つまり、この傷が出来た中高生だった頃以降に会ったという事になる。
俺のこの口元の古傷は、中学生か高校生くらいだった頃、道路脇にたむろしている少年達に『何喧嘩売ってきてんだよ』と一方的に殴りかかられた時に出来たものだ。
少年が付けていた指輪か何かが皮膚を引っ掻き小さな傷が残ってしまった。
俺は別に喧嘩なんて売ったつもりはなかったが、その時ちょうど差し込む夕陽が眩しくて細めていた目が、睨みつけているように見えたらしかった。
中高以来……俺、こんな可愛い子と知り合う事なんてあったっけ? ましてやこんな抱きつかれるなんて。ましてやこんな、嬉しそうな顔を浮かべられて。
……この、金色の瞳と嬉しそうな雰囲気だけなら既視感があった。でも、その既視感はすぐに俺の中で掻き消された。この子じゃないことだけは確かだからだ。
俺の記憶に当てはまる人物はいない。となれば……俺の記憶喪失か? 殴られた時に記憶飛んだとか。
ああ、そういえば車に轢かれた事あったっけ。あの時は自転車のブレーキが壊れて道路に突っ込んで救急車で運ばれたんだった。
あまりに自分の中にない記憶なのでつい忘れているが、その前後一週間くらいの記憶が俺にはないらしいと人に聞かされた事がある。
何だか俺の不幸体質をあらためて思い返しつつ、まあそんな感じの朧げな記憶の時に出会ってたんだろうと、自分で自分を納得させた。
そんな事より、今はこんな可愛い子に抱きつかれている事の方が重大だ。もうこの際いつ会ってたかなんてどうでもいい。俺の心臓がそろそろ限界なのだ。本当に俺、今日死ぬかもしれない……
「……な、なぁ、すぐ右側が風呂場だからその足洗っておいで。化膿したら大変だし」
精一杯平静を装った声でそう言った。落ち着け、俺の心臓。まだ死ぬには早過ぎる。
「え、あ、はい!」
礼儀正しい言葉とともに、俺に抱きつく柔らかな拘束はほどかれ、彼女は風呂場へ向かった。
はあ、と呼吸を整えながら、玄関に残されたままのダンボールの“拾ってください” の文字を見つめる。
俺はとんでもないものを拾ってしまったのかもしれない……
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