ex 沼の底へと

 自分は酷く臆病で、碌でも無い人格をしているとレイアは思う。


 目の前で起きる惨劇は、自分が少し勇気を出せば止められた。

 その機会は何度もあった筈だ。

 それなのに自分は目を閉じ耳を塞いで、ただ時が過ぎるのを待つ事だけを延々としてきた。


 今にして思えば、八尋と知り合ってからの自信の言動は、潜在的にそういう碌でも無い自分に嫌気がさしていた現れなのかもしれない。


 八尋を巻き込まないようにする為に、一人で外へ出ていこうとした。

 自分に何かができる訳でもないのに、他人のトラブルに首を突っ込んだ。


 そうしなければならないと内から湧いた強い感情は正義感などではなく、そうする事で自分が。自分と言う加害者が、これから先も生き続けて良いと本能的に自分に言い聞かせたかっただけなのだろうと思う。


 きっと止めてくれるという。

 きっと後ろから割って入って助けてくれるという安心感を無自覚に抱きながら。どこまでも、どこまでも碌でも無い。


 だからこそ、憧れた。本当に格好良いと思った。

 尋常では無い程に怯えながらも、自分の為に戦ってくれた八尋に。

 ずっとそうありたいと思い、思うだけに留めていたヒーローに、憧れたのだ。

 この二年間も、そんな八尋の背中をずっと追いかけてきた。


 だからこそ、より理解できる。


 元より人の苦痛を摂取し最大限の愉悦を得る為にこの体が身に着けていた、半ば読心術めいた洞察力でも十分に感じ取れるが……何よりずっと八尋の事を見てきたからこそ理解できる。


「だからお前を助けようとする事には正当性があると思う」


 八尋が息を吐くように嘘を吐き続けているという事は。

 自分の尊厳を踏み躙りながら嘘を吐き続けているという事は。


 ……そんな八尋を、止めなければならないと思った。


 志条八尋という人間は自分の感情に鈍感だ。

 自身の行動原理を半分も理解できずにいたほどに、酷く鈍感で生きずらい性格をしている。


 今だってきっと、本人がしたであろう葛藤よりも強い力で踏みにじり、自覚しているより激しく傷付いているのだから。


 そんな八尋を止めなければならない。

 確かに本物だった最高のヒーローが自分の為にこれ以上傷付いてしまう前に。

 致命的に壊れてしまう前に止めなければならない。

 そう、思っているのに。


「俺はレイアの味方だ。味方でありたいと思う」


 そんな突き返さなければいけない手を。否定しなければならない救いの手を。


「……良いのか、本当にそれで」


「……いいんだよ、それで……これでいい」


 静かに強く掴んでしまった。

 結局嬉しかったのだ。


 志条八尋が積み上げてきた本当に大切な物を踏み躙ってまで。

 反吐が出るような嘘を吐き続けながらも自分に手を差し伸べてくれた事が。

 たまらなく嬉しかったのだ。


 掴んだその手を沼の底へと引きずり落とす事しかできない事が分かっていても。

 ……そんな自分に嫌悪感が降り積もっても。

 そして八尋は引きずり込まれながら。

 踏み躙り続けながら言う。


「……とりあえず、レイアの怪我が治ったら動こう。あまり時間が無いかもしれない」


「……何をするつもりだ?」


「俺はレイアを助ける事には正当性があると思っている。だけど烏丸さんがそう思ってくれるかは分からない。ユーリを見付けて情報を聞き出せば、その時烏丸さんは敵になっているかもしれない」


 烏丸にそう思わないで欲しいと理想をぶつけるようにそう言った後、一拍空けてから言う。


「……その前に、俺達でユーリを殺害して、一旦この問題に決着を付ける」


「……ッ!?」


 吐きそうな表情でそう言った八尋の言葉に、思わず声にならない声が出る。


「さっきの戦いでなんでお前に追撃しなかったのかとか腑に落ちない点はあるけど、アイツの目的考えると撃退される以外に退く理由がねえからな。烏丸さんが接触する以外だと、やるかやられるかしかない。こちらのやり方は……難しいだろうけど、まあ、大丈夫だ。無謀にも思えるけど無策じゃねえ。可能性は十分にある」


「そうじゃなくて──」


「大丈夫」


 八尋は静かにそう言う。


「……大丈夫」


 自分にそう言い聞かせるように。

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