第3話 氷の車椅子

 『氷結』の魔法で車椅子が作れないだろうか。


 ある日の真夜中、目を覚ました私は、家の外をスイスイと走る自転車を眺めていた。

 その際にぴしゃんと雷が落ちるように閃いたのだ。


 真空の刃で切り刻む魔術や、雷で焼き焦がす魔術より、遥かに試行しやすい。

 あと、被害が出にくい。


 自分の車椅子を作るに当たって、課題を考える。


 五歳の腕力では、車輪を動かすのも一苦労だ。

 街の段差はかなり激しい。

 体を預ける際、体温で氷が溶ける。


 課題を解決するにあたって、『氷結』の改良が必要だった。

 たくさんの水の操作。

 複雑な形状の指定。

 魔術の維持。

 その中でぶち当たったのが魔力という存在だった。


 何回も魔術を使うと減っている感覚はある。

 でも、目で見えるものじゃない。

 魔力は使い切ると、回復した際に最大量が増える。


 ここまでは魔術教本に書いてあった。


 では、使い切るにはどうすればいいのか?

 簡単だ。複雑な魔術を何回も使えばいい。


 魔術教本には、魔力を使い切る事は良い事ではないと警告していた。

 深刻な魔力欠乏症は、幻覚や幻聴など精神的なダメージを負う可能性がある。

 魔力とは、余剰の生命力から生じたもの。

 魔力を使い切るという事は、魂を削り落としているといっても過言ではないそうだ。


 筋肉もそうだ。

 適度なトレーニングと回復があるからこそ筋肉は育つ。

 過度な負荷は筋繊維を痛め、深刻なダメージを負う。


 筋トレは、先人たちが自重トレーニングやヨガなど怪我のしにくい方法を開発していてくれた。

 しかし、魔力トレーニングに先達はいない。


 ひとまず感覚を掴む為に、私は魔力の増加を待つついでに筋トレを始めた。

 足は動かないので、腹筋や腕立て伏せから。


 腕にいい感じに筋肉がついた頃。

 私は魔力トレーニングに着手した。


 『融解』の出力を弱めて使うと、魔力が少しずつ消費される。

 ただ水を沸騰させる魔術なのだが、これがなかなか面白い。

 一気に沸騰させると消費する魔力は少なく済むが、ゆっくり温度を高めていくと消費する魔力が増える。


 『氷結』もまた同じ。

 凍らないぎりぎりを維持するのに、魔力を使う。


 緩やかに魔力を消費するので、チキンレースにはうってつけなのだ。


 コップを両手に持ったまま、じっと覗き込む。

 両親と姉は、私を困惑した目で見ていた。

 そして、『奇行は今に始まったことじゃない』と深く聞かずに放っておいてくれた。

 ……もしかして、私は変な事をしているのだろうか。

 誤解だ。目的の為に努力しているだけ。

 だが、両親と姉は『何をしているの?』と聞いてくれないので、なかなか説明する機会がない。

 自分から説明しにいくのは、なんだかひけらかすみたいで恥ずかしい。


 そして、打ち明ける機会を逃し続け、ついに私の腹筋が四つに割れた頃。

 ついに自作の車椅子が完成した。



「リル、朝ごはん……」



 私を探していた姉のルチアが、玄関の扉を開けた体勢のまま固まった。


 冬の雨を凍らせて完成させた氷の車椅子に座る私を見つめた目は、限界まで見開いている。口もぽかんと開いていた。



「朝ごはん出来たの? すぐ行くね」



 『氷結』と『融解』を駆使して、車輪を回転させる。

 スイスイと動き、段差を越え、家の玄関を潜ろうとしたその時だった。



「ママァッー! リルがついにやらかしたあー!」



 近所に響き渡る叫び声をあげながら、ルチアが家の中に走って行った。



「ん? なんか怒られるような事でもしたっけ?」



 心当たりのない私は釈然としない気持ちで家の中に入る。

 朝食の支度が整ったリビングルームは今日もソーセージが焼けたいい匂いに包まれている。

 爽やかな朝に似つかわしくない喧嘩が聞こえてきた。



「本当だよ、ママッ! リルが、リルが氷でびゃっと、しゅびゃっと! あれは魔法だよ!」


「何を馬鹿な事を言っているの、ルチア。うちのリルは確かに頭が良いし、真夏なのに家が冷えていたなんて変な事件があったけど、平民の私から生まれたリルが魔法を使えるはずがないでしょう」


「そうだぞ、ルチア。姉馬鹿なのも分かるけど、現実を見なさい。ああ、リルが来た……ぶっ! げほっ、げほっ!」



 珈琲を啜っていた父さんが盛大に吹き出し、激しく咳き込んだ。



「父さん、おはよう。大丈夫?」



 新聞がビチャビチャになっていたので、『氷結』で珈琲の水分を取り除いてあげる。

 げほげほ咳き込んでいた父さんは、深く息を吸った。



「ナタリー、まずいぞ。リルがやらかした!」


「全く、あなたまで馬鹿な事を言わないでくださいな。父親は娘を溺愛すると言いますけど、最近のあなたは度を越しているんですから自重してちょうだい。ほら、お代わりの珈琲……」



 振り返った母さんは、なみなみと珈琲を注いだマグカップを右手に持ったまま固まった。

 父さんが一目惚れするのも納得するほどの美魔女が、かなり間抜けな顔をしていた。



「リル、それは何かしら?」


「車椅子。作ったの。なかなか苦労したよ」


「あら〜……どうやって作ったのかしら?」



 母さんの質問に私は答えた。

 なるべく分かりやすく、かつ簡潔に。



「母さんと父さんが前に買ってくれた本があったでしょ? それを読んで『氷結』の魔法を使ってみたの。雨が降っていたから、それで車椅子を作ってみた」


「な、なるほどね。さっぱりわからないわ。というか、魔術教本だったなんて今知ったわね」



 母さんは、父の為に注いだはずの右手に持っていた珈琲を啜った。

 滅多に珈琲を飲まない母さんにしては珍しい。



「リル、今度の慰問でモンテスギュー子爵に、その車椅子を見せなさい」


「いいか、リル。それとなく、だぞ。それとなく、やんわりと失礼にならない範囲で見せるんだ」



 母さんの言葉に、父さんも重ねる。

 モンテスギュー子爵は、孤児院の慰問に訪れる貴族の一人で、ミーシャの父親だ。

 ミーシャの話によれば、お仕事ばかりの厳格な人。

 我儘を言うと怒るので苦手と語っていた。



「え〜? 貴族に関わると面倒な事にならない?」



 渋る私に、両親とルチアが鬼のような形相を向けた。



「見せない方が面倒な事になるのよ!」


「お貴族様と知り合えるチャンスを嫌がるんじゃない!」


「リル、頼むから必ず見せるのよ。いいわね!」



 まあ見せるだけなら、それほど面倒な事にはならないか。

 そう納得して食卓を囲む私を、家族は困惑した様子で眺めていた。



「前々からリルは変わっていると思ったけど、まさか魔法を使うとはねえ」


「ルチア姉さん、魔法じゃないよ。魔術だよ」


「どっちも一緒でしょ」


「魔法の規模を落としたものが魔術。魔法はもっと凄い」



 ふぅん、とルチアは興味もなさそうに呟いて、トーストにバターを塗った。

 カリカリと小気味の良い音が響く。


 私もパンの上に目玉焼きを乗せ、むしゃりと頬張った。

 うむ。前世の記憶にある食パンよりナッツっぽい味が強いけど、それもまた良きかな。アルス小麦らしい。

 母さんが焼いたパンはどれも美味い。


 朝食に舌鼓を打っていると、新聞を畳んだ父さんが質問してきた。



「リルは、将来、どうなりたいんだい?」



 将来。その言葉に私は目を瞬いた。

 漠然とした目標は決めている。



「魔術を極め、自分の意思で自分の足を動かしたい」



 父さんは皺の増えた目元をくしゃりと歪めた。



「そうか。そうだよなあ。リルはその為に頑張っているんなら、父さんから何か言う必要はないね。……まあ、娘に字を習っている時点で父としての威厳はないようなものか」


「あなた、そろそろ支度を整えないと遅刻するわよ」


「おっと、もうこんな時間か」



 ジャケットを掛けるポールからストライプのネクタイを掴んだ父さんは、ワイシャツの襟下に通して締める。

 エプロンで手を拭いた母さんが父さんに近づいて、頬にちゅっと見送りのキスを贈る。



「二人は今日も熱いねえ。新婚さんみたいだ」


「リルは本当にませてるわね」


「そうかなあ」



 氷の車椅子は完成した。

 行動範囲は広がったけど、いつもの日常は変わらない。



「そろそろ孤児院に行く時間よ。早く食べなさい」


「は〜い」



 ああ、そういえば、そろそろ貴族の慰問があるかも。

 ミーシャに車椅子と魔術を見せてあげれば、少しはびっくりするだろうか。

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