episode16「Like a Blood」

 ラズリルはザップと対峙している……ようにミラルには見えていた。しかし実際は違う。


(身体が動かせない……まずいね、能力だ……)


 ラズリルの身体は今、一切自分の意志では動かせなくなっているのだ。


 恐らくザップが肩に触れたのが原因だろう。他の理由は考えにくい。敷地内に入った時点で発動する能力なら、チリーはともかくミラルやシュエット、レクス達も対象になるハズだ。対象を選んで発動するなら、まずラズリルよりチリーを選ぶハズ。そうしなかったのだとすれば、選べなかったのか条件が必要だったのか。


 ラズリルは”触れることを条件に対象の行動を操作する”能力だと推察した。


 外でレクスと戦っていたジェインは見るからにヴァレンタイン騎士団のメンバーだ。恐らく彼もまた、ザップの能力の影響を受けているのだろう。だとすれば、これからラズリルに起こることは一つしかない。


「……ごめんよミラルくん、いきなりの実戦訓練になりそうだ……! 避けてくれ!」


 ラズリルの身体は、自身の意志に反して動き始める。握り込んだナイフをミラルに向けて振り始めたのだ。


「――――っ!」


 咄嗟に退いて回避するミラルを見て、ラズリルはひとまず安堵する。

 なるべく身体に力を入れて抵抗しているおかげか、ナイフの振りは多少遅くなっている。ミラルが避けられたのは、訓練と警告の賜物だろう。


「ラズに何をしたのよ……!」

「見りゃ、わかるだろ……友達になったんだよ……」


 ミラルには、ザップが何を言っているのか飲み込みきれなかった。

 だがラズリルの表情から、今のナイフが彼女の意志ではないことくらいは理解出来る。


「クソ! なれよ友達に! 完全にッ!」


 再び、ラズリルのナイフがミラルに襲いかかる。


 そのナイフの軌道が、ミラルには少しだが見えた。

 首筋に向けられたナイフを、ミラルはどうにか回避する。完全には避けきれず、鎖骨の周囲に切り傷が出来た。


 ――――いいかいミラルくん。避けきれなくてもいいから、とにかく急所だけは守り給え。


 ラズリルの言葉を思い出しつつ、ミラルは距離を取って身構える。


 ナイフのような軽い刃物は多少切りつけられても致命傷にはならない。だが、首や脈は切られれば当然致命傷になる。素人ではない相手がナイフをわざわざ使う場合は、それらの部位を的確に狙う自信があると考えられる。それならば、致命傷になり得る部位だけを死ぬ気で守れとラズリルはミラルに教えた。


 今のラズリルのナイフは、ミラルの想定よりも遅い。訓練中のラズリルは、寸止めで何度もミラルにナイフを振るっていた。ほとんどまともに回避することは出来なかったが、ある程度目は慣れている。


 このナイフはギリギリ避けられる。反撃の糸口こそ掴めないものの、致命傷だけは避けられる。


「ラズ……もしかして操られてるの……?」

「悔しいけどその通りだ……訓練は……覚えているね?」


 そのままラズリルは何度もミラルへナイフを振るったが、ミラルはその全てから致命傷を免れた。


 だがあくまで致命傷を負わないだけだ。ミラルの服や腕にはいくつも切り傷が出来ている。頬をかすめたナイフを避けつつ、ミラルは思考を巡らせた。


 ザップはエリクシアンだ。身体能力だけでミラルやラズリルを圧倒出来るハズなのだ。

 それをしない理由が、ミラルにはわからない。


「あなたエリクシアンなんでしょ! こんな汚い真似しなくたって、私達を始末出来るハズよ!」

「おい! お前! 汚いって言ったな! なんだよクソ! お前まで俺の心をちくちくさせるのか!?」

「はぁ!?」


 次の瞬間、ラズリルのナイフが速度を上げる。


 首筋が薄く切れる。後もう少し深ければ致命傷だっただろう。ゾッとしながらもミラルは、ザップの情緒とラズリルの状態を関連付けた。


(あいつを刺激したら、ラズの動きが速くなった……?)


「お、俺は怪我するのは嫌いなんだよ……! 見ろよさっきの傷ゥ! しばらく痕が残るぞ! これが消えたって心にはずっと傷が残るんだッ……! 痛ェよォ……! 戦いなんてのはこんなのの繰り返しだろ! 自分でなんてやってられねェーーッ!」

「な、なんなのよコイツ……!」


 ザップの言動はミラルには理解し難い。情緒が激しく、泣き喚くような声は聞くに耐えなかった。


 要するにこの男は、自分が傷つくのが嫌で他人を操作して戦っているというのだ。呆れた臆病者だが、この戦い方を可能にしてしまうのがエリクシアンの力なのだ。


 このままでは当然勝ち目はない。チリーかレクスが来るまで堪え忍べる可能性は低くなってきている。


(何か……何かないの……!? この最低な男をどうにかする方法!)


 ザップが直接戦わないのは、ミラルにとっては不幸中の幸いだ。


 エリクシアンの動きよりも、人間であるラズリルの動きの方が避けやすい。

 そこから隙を見出すことが出来ても、ミラルには決定打がない。武器を持っているわけでもなければ何か攻撃手段があるわけでもない。


 ミラルにあるのは――――


(……あるわ。一つだけ……不確定要素だけど!)


 すぐに、ミラルの中で即席の作戦が組み上がる。

 しかしこれは一か八かの賭けだ。それも賭けに二度勝たなければならない。


 ゴクリと生唾を飲み込んでから、ミラルは意を決してザップに向かって叫んだ。


「あなた……本当に最低だわ!」


 その言葉に、ザップの顔面が青ざめる。


「自分の手を汚さないで、人を操って戦うなんて……卑怯よ! 最悪!」

「ひ、卑怯……?」

「そうよ! 卑怯者だわ!」


 乗ってきた。そう判断してミラルが畳み掛けると、ザップはすぐさまわなわなと震え始めた。


「俺のこと言ってるのか……? 俺を、卑怯で最低な、小さくてくっせえ穴蔵に住んでそうな汚ェネズミ以下のゲロカスクソ野郎だって……そう言いたいのかよォォォォッ!?」


(……そこまでは言ってないわよ……っ!)


 やや良心の呵責があったが、ミラルは躊躇する気持ちを飲み込んで押し切ることに決める。


「そうよ! 卑怯で、最低な、穴蔵にいそうな汚いネズミ以下の、クソ野郎よ!」


 生まれてこの方口にしたこともないような罵詈雑言を、ミラルは一息に吐き出した。


「ひ、ひィーーーーーーーーーーーッ!?」


 ザップは罵倒に対して極端に反応する。わずかな罵倒に反応して、感情をすぐに昂らせる程だ。そしてそれがそのまま、ラズリルの操作に影響していた。


 そのまま順当に考えれば、感情が昂ぶれば昂ぶる程ラズリルの動きが速くなる。だがあえて限界まで刺激することで、操作を鈍らせることが出来ないかとミラルは考えた。


 情緒の滅茶苦茶な人間が、馬の手綱を上手に握れるハズがない。


 それにこれは、ラズリルの教えでもある。


 ――――実力でかなわない時は精神を揺さぶって隙を作るという手もあるよ。そこに勝機がある……かも……。場合によるけど。


 この教えは、どうやらザップに対しては特に有効だったらしい。一つ目の賭けには勝てたようだ。


「お、おいおい……」


 ザップの過剰な反応と、普段のミラルからは考えにくい罵詈雑言に、ラズリルは思わずそんな言葉を漏らしてしまう。そしてそれと同時に、身体を支配する力に異変を感じ取った。


 今まではミラルに向かってナイフを降らせようとしていた力が、今はあらぬ方向に向かおうとしている。実際に、ラズリルはナイフを完全に空振った。


「さ、最悪だお前ェーーーッ! なんて口の悪い女なんだッ!」


 喚き立てるザップはもう止まらない。

 その場で地団駄を踏みながら、ザップは涙と鼻水を垂れ流す。


「クソ! 今日は絶対眠れねえよォーーーーッ! 最低だ! 最悪だ! クソクソクソクソクソ! あァーーーーッ! 頭ン中お前の言葉でいっぱいだ! 死にてェ~~~~~~ッッッ!」


(今だわ……!)


 ラズリルの動きは完全に乱れている。ミラルはそれを突き飛ばしながらかわし、ザップへと急接近した。


(私の中には……賢者の石の魔力を操る聖杯がある)


 ミラルは両手を突き出し、泣き喚くザップへと触れた。


「もし魔力を操れるのだとしたら……! チリーにしたのとは逆のことだって出来るハズよっ!」


 これが、二つ目の賭けだ。

 聖杯の力を用いて、ザップの中にある魔力を操作する。ミラルが持つ、現状考え得る唯一の――――決定打。


「お願い……聖杯よ、私に力を貸しなさいっ!」


 ミラルの身体が、強く光を放つ。自らの意志で扱う聖杯の力は、あの日よりも力強く輝いた。

 オーロラのような光がザップを包み込み、その光がザップの身体から魔力を吸い上げていくのが、ミラルには見えた。


「は……?」


 次の瞬間、ラズリルが閃光の如く駆けた。


 今までの速度とは比べ物にならないスピードでザップに接近し、ミラルとの間に割り込んでいく。


「ミラルくん、目を閉じてくれ」


 思わず指示通りにミラルが目を閉じるのと同時に、ラズリルのナイフがザップの首筋――――頸動脈を切り裂いた。

 夥しいまでの鮮血が飛び散り、返り血がラズリルを濡らす。せめてミラルだけは汚すまいと、ラズリルはその場に立ち続けた。


「申し訳ないが一切の加減が出来ない。……こんなことは、もう二度としたくなかったんだけどね」


 そのまま、ザップはその場に倒れ込む。

 ピクピクと痙攣しながら、ザップはありったけの血液を首筋から流し続けた。


「なん……で……俺……エリ、クシ…………えぇ……?」

「……」


 エリクシアンが失血死するかどうか、ラズリルにはわからなかった。しかしそれ以前に、普通の刃が通るのかさえ不明瞭だった。


 しかし結果はこれだ。


 今までラズリルが過去に行ってきた”仕事”と変わりがない。

 その事実に、ラズリルは唖然とした。


(ミラルくん。君の力は君が思っている以上にとんでもないのかも知れないぜ……)


 恐らくミラルの聖杯によって魔力を操作されたザップは、一時的か永久的かは不明だが、エリクシアンの力を失っていた。

 それが能力だけでなく、身体能力や生命力をも奪い、常人のものへと変えていたのだとしたら、この結果にも納得が出来る。


 そして本当にそうなら――――ミラルの力は、対エリクシアンへの切り札になり得る。


 既に事切れたザップを見下ろして、ラズリルは僅かに恐怖で震えた。



***



 激しい闘争だけがこの渇きを満たす。

 一滴の水もない砂漠を歩き続けるような日々に、サイラス・ブリッツは事実上の死さえも見ていた。


「俺はしばらくぶりに見つけたぜ……満足のいく獲物をな。思わずゲルビアを抜けちまう前に出会えて良かったぜ」


 退屈に甘んじ、ゲルビア帝国の軍人として生きる人間としての自分と、闘争を求める獣としての自分の間で板挟みになっていた。そんなサイラスがようやく、獣性を取り戻すことが出来た。ゲルビア帝国が大陸を粗方領土にして以来、取り戻したくても取り戻し切れなかった獣性だ。


「ありがとよ……ガキ。……おい、聞こえてるか?」


 サイラスは問う。


 己の右手に首を掴み上げられたまま、ぐったりとうなだれるルベル・Cチリー・ガーネットへと。


 チリーの両腕の籠手は、既に粉砕されていた。


「終いにするにゃ惜しいぜ、お前は」


 茫漠たる意識の中、チリーはどうにかサイラスを睨めつける。


(何だ今のは……! あり得ねえ……ッ!)


 なんとか意識を繋ぎ止めながら、チリーは歯を軋ませた。

 先程見た光景は本当に現実のものなのか? そう何度も胸の内で問い直してしまう程、チリーにとっては信じがたい光景だった。


「わけがわからねえって顔だな」


 チリーは応えない。応える余裕さえない。

 僅かに残った余力で必死に抜け出そうともがいていたが、首を掴むサイラスの右腕は一切緩まなかった。


「今度はゆっくり見せてやるよ」


 言って、サイラスはチリーの身体を投げ捨てる。


 床に叩きつけられ、血反吐を吐きながらチリーは這いつくばるような態勢でサイラスへ視線を向けた。

 本来なら今ので殺されていてもおかしくない。見逃されたという事実は屈辱的だったが、そんなことに憤慨出来る程の余裕はなかった。


「ゲルビアで初期に作られたエリクシアンには、研究所ラボの連中が識別名コードネームをつけている」


 語りながら、サイラスがゆっくりと歩み寄る。


(――――来る!)


 再び、サイラスの魔力が膨れ上がった。


 それに呼応するかのように、サイラス自身の身体が幾度も隆起と沈降を繰り返す。まるで煮えたぎるマグマのように忙しなく流動し、サイラスの身体が一回り巨大化する。

 紅く、硬い鱗がサイラス体表に出現し、全身を包み込んでいく。爪は鋭く長く、頭部には二本の角が生えていた。


 顔は獰猛なトカゲのように変質していき、その口元からは鋭利な牙が覗く。黄色い虹彩に囲まれた真っ黒な瞳孔が、ギョロリと動いてチリーを見据える。


 激しい音を立てて床が揺れる。床を叩いたのは、サイラスに生えた太い尾だ。そしてそれと同時に、背中で真っ赤な翼膜が広げられた。


 その光景に、チリーは瞠目する。


 エリクシアンは人間ではない。超常の力を持った怪物である。それをわかっていて尚、今のサイラスの姿には驚愕を隠せない。


「俺の識別名コードネームは――――竜化ドラゴアウトだったな」


 識別名コードネーム竜化ドラゴアウト


 伝承でのみ語られ続ける存在、ドラゴンの力を備えた竜人への変化を可能にする能力である。


 チリーにとって、いや、この世界の大部分の人間にとって竜は伝承どころか虚構フィクションの存在だ。絵画や戯曲、小説の中にしか存在しない怪物である。


 だが目の前で翼を広げるサイラスの姿を、竜以外の何と形容したものか。翼を持つトカゲなど存在しない。


 虚構フィクション現実リアルに具現化させる。見ているだけで目眩がするような現象が、今正に眼の前で起きているのだ。


(クソが……ッ! 次元が違うッ……!)


 これがイモータル・セブンの隊長である最たる理由なのだ。


 エリクシアンの中でも、更に突出して強力な戦闘力を持つ存在。たった一人で戦局を完全に覆す程の怪物。その想像を絶する魔力と圧迫感は、まるで押し潰すかのようにチリーに降りかかる。


「うおおおおおッ!」


 このまま押し切られるわけにはいかない。


 チリーは身体を起こすと、今出せるありったけの魔力を込めて両手をサイラスへ向ける。

 真っ赤な閃光が熱線となってサイラスへ飛来する。チリーの渾身の一撃は、サイラスの身体へと見事に直撃した。


 が……


「良い足掻きだ。まさか今ので終わりか?」


 サイラスの身体には傷一つついていなかった。


 装甲が硬過ぎるのだ。


 振り絞ったチリーの魔力では、貫通は愚か鱗に傷さえつけられない。


 圧倒的強者。


 それがイモータル・セブンの隊長、サイラス・ブリッツの真の姿だった。


 驚愕するチリーに、サイラスはニヤリと笑む。


「まあ、俺をこの姿にさせてくれただけで十分だ……楽しかったぜ」


 巨躯からは想像もつかない程の速度で、怪物サイラスが接近した。


 チリーの頭部を掴み上げ、乱暴に投げ飛ばす。掴まれた時に背中に食い込んだ爪が、チリーの身体を深く切り裂いた。


 鮮血を舞わせながら投げ飛ばされたチリーは、べしゃりと音を立てて床にもう一度叩きつけられた。


 高く舞った血液が、倒れたチリーへ降り注ぐ。真っ赤に染められた凄惨な姿になり果てて、チリーはもうピクリとも動かなかった。


 サイラスはすぐに、チリーから背を向ける。


 動かぬ相手にもう用はない。


 竜化した状態で二撃も耐えたのはチリーが初めてだった。それだけでもサイラスは心が躍るような思いだ。これ以上を望むのは最早贅沢とさえ思える程に。


「嘘……でしょ……?」


 サイラスの耳に、少女の声が届く。視線を向けると、血溜まりに沈むチリーを見つめて愕然とするミラルとラズリルの姿があった。


「……ザップを片付けたのか。どうやった?」

「ねえ……チリー! 嘘でしょ! そんな……!」


 悲痛な叫び声を上げながら、ミラルはすぐにチリーへ駆け寄ろうとする。しかしそれを、ラズリルが制した。


「放して! チリーが!」

「……だ、ダメだ……近づいちゃダメだ……」


 勝てるわけがない。逃げられるわけがない。ラズリルはサイラスを見て一瞬でソレを悟った。


「もしかしたら助けられるかも知れない! ねえラズリル放して! お願い!」


 聖杯の力を使って魔力を増幅させれば、チリーの回復力を上昇させられるかも知れない。そうすれば、最悪の事態だけは免れる可能性がある。


 ミラルのそんな考えは、ラズリルにだってわかっている。わかっていてもなお、ミラルをチリーに……サイラスに近づけるわけにはいかなかった。


「なあ嬢ちゃん達……結構、れるクチか……?」


 サイラスは既に、ミラル達を獲物として認識しているのだから。


「聞き分けてくれっ! 絶対に近づくなっ!」


 ほとんど絶叫に近いラズリルの声に、ミラルの鼓膜がビリビリと震える。


「だけ……ど……チリーが……っ!」


 泣き崩れそうになるミラルを抱き止めて、ラズリルは必死で身体の震えを抑えた。


「そうつれないこと言うなよ。なあ、ザップをどうやって始末した? あいつはエリクシアンだ。まさか嬢ちゃん達までエリクシアンってワケじゃねえよなァ?」


 普段はいくらでも回るラズリルの舌が、今はほとんど動かせない。サイラスの問いにどう答えるべきなのか、考えがまるでまとまらない。


 認識が甘かったのだ。


 イモータル・セブンの隊長という異次元の相手を、見誤っていた。


 この状況を打開出来るとすればミラルの力だけだが、ザップに対してミラルは触れることで聖杯の力を発動していた。


(こんな奴に……どう触れるって言うんだ……?)


 不意打ち以外では絶対に倒せない。そしてそんな不意は、きっとない。


 絶望した瞬間、ラズリルは頭が真っ白になっていくのを、どこか他人事のように感じていた。


「答えろよ」


 サイラスが歩み寄る。


 もう何も出来ない、思いつかないラズリルは、気がつけばミラルを抱き止めているというよりはしがみついているような態勢になっていた。


「まあ……りゃわかるか」


 サイラスは呟き、口元に笑みを浮かべた――――が、突如その足をピタリと止める。


「……あ?」


 何を感じ取ったのか、サイラスは振り向いて血溜まりへ視線を向けていた。

 つられるようにして同じ方向に視線を向けたミラルとラズリルは、そこで起こっている現象に目を見開く。


「なに……あれ……?」


 血が、動いている。


 チリーを包み込む真っ赤な血が、まるで生き物のように激しく蠢いていた。


 表情の読み取りづらい今のサイラスの顔が、一目でわかる程笑みで歪む。


「最高じゃねえかッッッ!!」


 血溜まりの中から、亡霊のようにチリーが立ち上がった。


 その身体からは止め処なく血が流れ出し、チリーの全身を包み込み始めている。


 真っ赤な血が被膜のように全身を包み込み、顔すらも覆い隠した。

 顔の上部で部分的に血が黒く凝固し、まるで目のような二つの黒い塊が出来上がり……ソレはその目をサイラスへ向けた。


「チリーじゃ……ない……?」


 そこに佇む正体不明の怪物を見て、ミラルはその場に膝から崩れ落ちた。

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