004 オーパーツと仮説

 フム。第四回目の議題なのだが……。


 前回、オーパーツについて語ったのだが、あれでは、まだまだ語り足りていない。


 ゆえに、今回の議題は、オーパーツとソレに関わる仮説としようか。


 ただし、


 その仮説とは、哲学とも関わる話であり、それなりに小難しい話となる。それゆえ、取り上げる仮説の二つは筆者ですらも完全に理解しているわけではない。完全に理解している話ではないのだから間違った事を言ってしまう可能性もある。


 加えて、


 難しい話を、なるべく平易にし、出来る限り分かりやすく話そうと考えている。だからこそ、その二つの仮説自体の意義や意味などが本来のあるべき姿と、かけ離れてしまう可能性がある。その辺りは、大変申し訳ないが、ご容赦して頂きたい。


 さあ、では、記事を始めていこうか。


 まずオーパーツが持っている矛盾から語ってゆこう。


 いや、矛盾とは、オーパーツなど、あり得ないとする為に矛盾を突くのではない。


 むしろ、


 逆に、オーパーツは、あり得るのだと証明する為、矛盾点を解消するわけである。


 つまり、


 懐疑論者が唱える科学的見地からの否定論や事実誤認としてオーパーツを一刀両断にするのではない。その逆で、オーパーツは場違いな工芸品として、確かに、あるのではないかと問題提起する為、オーパーツが持つ矛盾点を解消したいわけだ。


 では、矛盾を解消する前に一つ例をあげてゆこうか。


 それは、


 オーパーツとされる、アメリカで発見された人面彫刻石の話となる。


 その人面が彫られた卵形の黒い石には天辺から底に向けて直径1mm~2mm前後の穴が貫通している。その穴こそが矛盾なのだ。つまり、石は、1872年に見つかったのにも拘わらず、現代のドリルを使わねば穴を開けられないという代物である。


 では、これからオーパーツは在るのだとしたまま、その矛盾を解消していこうか。


 その為にも必要となる要素が、ある思考実験と科学的な仮説となる。


 大体、思考実験とはなんなのか。それは思考の中だけで、つまり、想像だけで行う実験となる。哲学に分類され、倫理的に、或いは技術的に実現できない実験を仮に行ったとして、その実験結果が、どうなるのかと想像して結論づける事を言う。


 つまり、


 今月は、20日、働く予定だから給料は18万円だろうが思考実験の正体となる。


 間違っても、20日、働いたから給料は18万円だった、ではない。


 さてと。


 では、取り上げる思考実験が、なんなのかを語ろう。


 それは世界五分前仮説というものだ。


 筆者自身は、恥ずかしながらも世界三分前仮説と錯覚して覚えていた思考実験だ。


 ただし、


 この勘違いこそ、この思考実験を語るには打って付けの材料となる。つまり、世界五分前仮説は、その時間が、たとえ五分だろうが、三分だろうが、その実、どちらでもいいわけだ。その意味の詳しくは後述するが、端的に言えば、この実験の正体は、


 この世界が五分前に作られたとするのならば、というものだからだ。


 つまり、


 世界の五分前に出来たと仮定し、それを否定する根拠とはなんなのかと思考する懐疑的な思考実験だからこそである。そして、過去から今に時間が繋がる事を証明しうる確固たる根拠が、実は空虚なのではないかと問題提起しているわけである。


 もっと簡単に言おうか。


 つまり、


 確かに今は在るが過去は実は幻想に過ぎないと言っているのである。


 要するに過去というものは、己の記憶の中にしかないものだと……。


 言葉を平易にしても難しく、一見しては、到底、理解しがたき仮説となっている。


 思考実験の一つであるシュレーディンガーの猫もそうだが、この世界五分前仮説も難解で、過去は幻想だと聞いてもピーンとこないのが普通である。筆者とて何度も何度も思考実験を繰り返して……、ようやく少しだけ意味が咀嚼できたのだから。


 だからこそと言っては、言い訳にもなってしまうが、


 もっと分かりやすくする為に、ここで思考実験をしようではないか。


 では読者諸氏に問おう。


 もし仮に、この世界の全てが五分前に出来たとして、


 己が持つ記憶ですら五分前に作られたものだったら?


 兎に角、


 まずは、


 この思考実験を理解する為に、もっと分かりやすく砕いてゆこうか。


 まず、TVゲームでのMAPを想像して欲しい。コントローラの右を入力する。すると自分がいる場所が右にずれる〔※地図が東にスクロールするという事〕。ずれれば左側に見えていた地形が画面外に消えて、右側に新たな地形が描画される。


 この時、


 左に消えた地形が過去〔原因〕であり、新たに現れた地形が未来〔結果〕となる。


 その上で、今、画面に表示されているMAPが現在となるのである。


 そして、画面外に消えた地形は消し去る。消さなければ余計なメモリーを浪費するからこそ。新たに現れる地形も、その全てを画面外に描画していたのでは合理的ではない。ゆえに描画する部分だけをデータから取り出して画面へと描画処理する。


 これはコンピューターでのスクロール処理と呼ばれるものであるが、


 このスクロール処理こそ時の流れとして、コンピューターを読者諸氏本人とする。


 その時、


 読者諸氏はスクロールによって過去が過ぎ去り、未来が訪れたと感じるであろう。


 しかし、五分前仮説では世界は五分前に作られた〔※それ以前の過去と未来はデータとしてしか存在していない〕のだから、五分前以前の過去は、コンピューター、つまり、読者諸氏の存在する世界から完全にロストしてしまっているのである。


 ちょうどスクロール処理によってコンピューターから消え去っているのと同じく。


 このような原理で、この世界を構成する全てのものが五分前に作られたとしたら?


 それは、


 なにも物質的なものだけではなく、心や記憶などあらゆるものがだ。


 その全てが数分前に改めて作られたものであったら?


 そして、


 世界が作られるの同時に五分前以前の過去は消え去り、なくなってゆく。未来は新たに作られ、MAPがスクロールするように現在が構成される。その上で五分前以前の過去は消え去ってゆくを繰り返す。その時、世界が五分前に作れたとするならば、


 つまり、


 五分前にコンピューターの電源を入れ、そこでMAPが表示されたとするならば?


 それを現実へと戻し、読者諸氏自身も五分前に作られ、心も思い出という記憶も、思い出の品々も、その世界を構成するもの全てが五分前に出来たものだとするならば、それを否定する事が出来るだろうか。いや、とても難しい話で申し訳ない。


 兎に角、


 スマホに残る自撮り画像も、歳をとった自分の両親も、両親からもらったプレゼントも、結婚した愛しき彼女も、その彼女との間に出来た子供も、仲のいい友達も、汚れてしまった地球環境も、超新星爆発で消え去ってしまった星の残骸も全てが……。


 うむむ。


 こうしてみても、小難しい話だと思う。不甲斐ない。


 ともかく、なんとなくでもいいので五分前仮説は、こんなものだと理解して頂き、


 それは否定できる論がないのだとだけ言っておこう。


 つまり、世界五分前仮説を完全否定する論は、この世に存在しない。


 そして、


 先に、三分でも問題はないと記したが、この思考実験の本質は……。


 過去というものが確かに在って……、


 その過去があるからこそ今があるという価値観に対しての懐疑的なアプローチなわけだ。つまり、世界五分前仮説は、過去という時間的な概念の否定なわけだ。ゆえに五分前であろうが、三分前であろうが、たとえ何分であろうとなんら問題はない。


 この世界が三分前にできたとして、とすれば良いだけの話だからだ。


 そして、


 論を簡素化する為、ここでは過去とはあやふやなのだとだけ覚えておいて欲しい。


 さてと。


 お次は、


 科学的な仮説となるのだが、その仮説とはシミュレーション仮説と呼ばれるもの。


 この世はシミュレーションなのではないか? と考える仮説である。


 シミュレーションとは実験を行う事が難しい物事について想定する場面や物を再現したモデルを用いて分析する事である。例をあげればコンピューター上に戦場を再現して戦い、勝ち負けという結果を得るのが戦術シミュレーションゲームとなる。


 そんなシミュレーションを主軸としたものがシミュレーション仮説なのであるが、


 端的に言ってしまえば、この世は仮想現実なのではないか? と言いたいわけだ。


 まさに、あのマトリックスの世界だ。


 言うまでもないが、コンピューター上に再現された戦場で戦う兵士達は自分達が仮想現実にいるとは気づけない。ゆえに、たとえ我らが生きる、この世界が仮想現実であったとしても決して証明する事もできないし、認識する事すら不可能だ。


 そして、


 この仮説はスペースX社の創業者であるイーロン・マスク氏などが支持している。


 それどころか、この世がシミュレーションされた世界でない確率は一億分の一とさえ言い放つ。ただし、学術的には、50%の確率で、この世はシミュレーションであるとされている。無論、この説も自身の正当性を証明する論拠は皆無なのだが。


 兎も角。


 肯定できる材料もないのだが否定する事も出来ない仮説である事には間違いない。


 ゆえ、ここでは、この世は仮想現実なのかもしれないとだけ覚えておいて欲しい。


 そして、


 世界五分前仮説とシミュレーション仮説の両方を併せると一つの仮定が成り立つ。


 つまり、


 この世はゲームのようにプログラミング〔のようなものを〕され、再現された世界であり、作られた世界は時間的な連続性を持たないとする。そして、そこにオーパーツをはめ込む。過去はなく、オーパーツも、今、この瞬間に作られたのだから、


 どんなに場違いな工芸品だろうと、あり得るという事になるわけだ。


 簡単に言えばゲームでのアイテムにあたるものこそがオーパーツであるのだから。


 無論、それが何千年前に作られたものだと考えられても、その古ささえ、物語での演出と同じようなもの。今、この瞬間、永い時を経たよう作られたとできる。いや、それどころか、どんなに複雑怪奇で、到底、作れないとさえ思われていても、


 この世はシミュレーションなのであるから、プログラム〔ようなもの〕を組めば、


 いとも簡単に作り出させるのである。


 だからこそ、オーパーツは、あり得るのだと言える。


 あの人面彫刻石の問題とてプログラム〔のようなもの〕によって、今、この瞬間にデータから謎めいた石が再現され、穴が開けられたとするならば、なんら矛盾なく、存在しうるロマンとなり得る。それ以外のオーパーツとて、なに一つ例外もなく。


 それどころか、ほぼほぼ全てのオカルトさえ、この論で説明できる。


 幽霊であろうとUFOであろうとUMAであろうと、それは仮想現実〔シミュレーション〕でのデータの再現でしかなく五分前仮説によって原因など必要としないのだから。いや、いささか当記事の論考から逸れてしまった。話を戻そう。


 兎も角、


 ただし、


 この論には、重大な弱点がある。弱点とは世界五分前仮説もシミュレーション仮説も、その両方が在ると証明できるだけの論拠がないという事。五分前仮説は思考実験に過ぎない。シミュレーション仮説に至っては哲学の域を出ていないのだから。


 ゆえに、


 こんな風に考えたら面白いね、という域をでないものとなっている。


 まあ、オカルトなんてそんなものだ。


 面白ければ、それでいいのではないだろうか、と筆者は考えている。


 と、そうまとめて今回は終わろうか。


 ふむむ。


 今回は、なんとも小難しい話になってしまって、大変、申し訳ない。


 次は、もっと興味深くも気楽に愉しく読める記事を書きたいと思う。


 では、また、なんらかの機会があれば、また読者諸氏と愉しんでいきたいと思う。


 チャオ。

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