8月14日(日)#1

 

 私には、夢があった。

 それは、いつか連休が出来たらアラームを鳴らさず昼まで寝てみたい、という慎ましくも贅沢な夢。


 小学生の頃から走ることが大好きで、実家のバスケットゴールで遊ぶことにハマって以降、中学と高校は迷わずバスケ部を選択。平日、土日問わず練習に明け暮れていた。

 そして運良く、私はそれなりにバスケとの相性が良かったらしい。スポーツ推薦という枠で大学へ進学することができた。

 それからは完全に部活が中心の生活になり、1日何もない「休み」というものは一切無くなった。

 ほぼ毎日のように朝練があるため、決まった時間に起きなければならない。唯一、練習が休みである日曜日も、集団生活の中では掃除の当番が回ってきたり、なんだかんだとやる事があってゆっくり寝ていられない。講義の課題やレポート提出、テスト勉強もある中で、常に時間に追われていた。

 だからいつか休みができたら、時間を気にすることなく目が覚めるまで起きない生活をしてみたいなあ…なんて密かに思っていたのだけれど。

 

「起きちゃった……」

 

 帰省2日目。

 古びた天井の木の目を、私はぱっちりと冴えた目で見つめて呟いた。

 寮生活で、毎朝5時半に起きる習慣が骨にまで染み付いてしまったらしい。アラームをかけていないのに、5時半ちょうどに目が覚めた。

「んー……」

 ゴロンと寝返りを打つと、何気なく伸ばした手の甲がひんやりとした畳に触れる。

 やけに背中が床と近いなと思って、ああ、と気付いた。

―― そうだ。ここ、ベッドじゃなかった。

 私が使っていた部屋は2階にある。ただ、いない間に物置にされていたことを昨日知った。まあ、使う人がいないのだから当然といえば当然かもしれない。

 ベッドの上にまで物が置かれ、マットレスは処分されていたために来客用の和室に直で布団を敷いて寝ることにしたのだ。小学生の頃、友達が泊まりに来た時にしていたように。

 それにしても、田舎の朝は早い。

 まだこんな時間なのに農作業をしているような機械音がするし、どこかの民家で犬が吠えている声も遠くに聞こえる。

 ちゅん、ちゅん、と鳥の囀りが聞こえて、もう寝直すのは無理そうだと諦めて身体を起こした。


 

「おはよー」

 軋む廊下を歩いてリビングに入ると、私がいつも朝の準備の際に流しているワイドショーが流れていた。

 こんな山の方では、チャンネルも街中ほどバリエーション豊かではない。それでも、この局の電波は届くんだな…と妙なところで感心してしまう。

「あら、もう起きたの?おはよう」

 いつだって私より起きるのが早かった母は、やはり今日も例外ではなかった。すでにパジャマから着替え、エプロンを着けた状態で突き当たりの脱衣所から顔を出す。

「まだ寝てたかったんだけどねー勝手に目覚めちゃった」

「いいことじゃないの」

 その後ろで聞こえる、ガタガタと洗濯機を回しているような音。

 小さい頃は当たり前のように聞いていた生活音をこんなにも懐かしく思うんだなと、家を離れて初めて知った。

 変わらない日常の音を久しぶりに聞けて嬉しいような、毎日これを聞いてストレス無く好きなことをしていた頃が恋しくなるような。

 …なんてセンチメンタルになる間もわずか、せっかく早起きしたのだからと、私は畑の草取りに駆り出され、そのあと母が野菜たちに水やりをしている間に簡単な朝食を作って、食べ終わって食器を洗って、洗濯物を干して。

 そんなこんなで、色々とやっているうちに日も完全に昇って蝉が鳴き始める。

 今日も、暑くなりそうな気がした。



「ねえ、そういえばお父さんいつ帰ってくるの?」

「次の土曜日よ。今回は長めらしいから」

「ふーん、忙しいね」

 やることがなくなった8時過ぎ、私はソファーに寝そべってスマホを開いた。

 と言っても、普段からそんなに触らないからか特別することもない。

―― いつもこの時間何してるっけ…。

 仰向けになり、お腹の上にスマホを置いた。すでに時間を持て余していて、いつもあんなに忙しいのに極端なものだと思う。

 その姿勢のままボーッとテレビを見ながら、いつもならこの時間は朝練の真っ最中の時間だなとぼんやり考えた。

「あんたと綺麗に入れ違ったから残念がってたけどね。まあ仕事だからどうしようもないけど」

「ふーん…」

 父は私の帰省にちょうど被る日程で出張が入っていたようで、私が帰ってくる前日、つまり一昨日の朝すれ違うように県外へと出て行った。らしい。

 祖父母はだいぶ前に亡くなったから、今この広い家にいるのは母と私だけ。

 上の空で返事をする視線の先、テレビはもうワイドショーの終わりがけ。普段の生活では絶対に見ることができない時間帯に、天気予報が流れていた。

 スタジオから屋外への生中継に切り替わり、画面いっぱいに映された晴れ渡った空。その後すぐに映像が変わり、快晴のもと、ひとりの女性と番組キャラクターなのか鳥のような見た目の着ぐるみが手を振っている。

 不意に、小学生の頃、風邪の治りかけなどで身体は元気にも関わらずまだ学校に行けなかった、あの妙に高揚する感覚を思い出した。

 皆が授業を受けている間、布団の上でひたすらゴロゴロしていたあの特別感。それに似た、〝普段は動いている時にぐーたら過ごす何もない休み〟に対しての心地よい背徳感が、憂鬱な気分に混じって確かに私の中で膨らんでいく。

「ねえ穂花、あんた暇でしょ?」

「うーん……」

 テレビにぼーっと目を向けたまま生返事。何を聞かれたのか、はっきりと意味を理解せずのんびり相槌を打った。

 画面の中では、クローズアップされた女性が満面の笑顔で今週の予報を告げている。相変わらず、この辺りの天気はピンポイントで表示されることがない。ただ、隣の県の予報ではこの先1週間ずっと晴れマークがついていた。 

「晴れが続く予報ですが、地域によってはゲリラ豪雨になる可能性もあります。念のため傘を持ち歩いてくださいね」

 お天気お姉さんはそう言うと、「それではよい1日を!」とニッコリ笑う。そして映像はスタジオへと戻った。

「ゲリラ豪雨ねえ…」

 確かに、今年の夏は異常気象だ。まるで熱帯地域のように激しく変動する天候。屋内で活動する私たちは特に影響は受けないけれど、陸上部や野球部なんかは見事に振り回されている。

 ただここら辺は、最近雨が降っていないと昨日母が言っていた。このまま稲が萎れてしまわないかと。

 ひどい雨に悩まされるところもあれば、続く日照りに悩まされるところもあるようだ。

 クッションを枕にしてボーッとしていると、掃除機を持った母が「ねえってば。ちょっと買い物行ってきてよ」と私の顔を覗き込んだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る