第2話 苦い思い出

 筋肉質だが、体系は相かわらず華奢。そんな先輩をおぶってアパートの階段を上がり、二階の自室に辿り着くのは、何てことはなかった。

 寧ろ夢見心地で、足取りは軽く、この後の事など考えもしなかった僕は、背中の重みに心躍らせていた。

 8年ぶりとはいえ、連絡をもらえた事もそうだったが、何より頼られた事が嬉しかった。

 だから左手の薬指の指輪は見ないふりをした。


 今朝シーツを替えたばかりのベッドまで先輩を運び、先ずは靴を脱がせる。

 靴下を剥ぎ取り、H&M、Tシャツ、ジーンズ、ボクサーパンツ。僕はできるだけ淡々と、でも目にはしっかりと焼きつけながら、先輩をすっぱだかにした後、そっと厚手のタオルケットでつつんだ。


 変な気を起こしたわけではない。

 着の身着のままで、何らかの理由で家が無くなった先輩は、明日もこの服を着るはずだから、それまでに洗濯をしておいてあげようと思っただけだ。


 そもそも僕と先輩は同じ部活だったし、高校時代は寮生活だったし、遠征や合宿では一緒に風呂に入り、お互いの裸ぐらいは何度も見てきた仲だ。

 夏の合宿では、同じベッドで寝転んで、遅くまで他愛ない話をしたり、そのまま眠って朝を迎えたり、という事もあったのだ。


 そんな無防備な行動がよくなかった。

 僕たちはいつの間にか、「あいつら付き合ってるんじゃないか」「どう見てもゲイだろう」そんな噂の中心人物になっていた。


 僕らが通っていた男子校では、男同士でイチャコラ乳繰り合っているように見える輩はたくさんいた。実際に付き合っていたやつらもいたかも知れない。

 そんな人たちを差し置いて、僕等がそういう目で見られるようになってしまったのには、色々と原因はあっただろう。


 先ず、学年が2つ離れていて、別々の階で別々の部屋だったにも関わらず、先輩はわざわざ僕の部屋に来てはベッドに潜り込んで、サッカーの日本代表戦を、携帯で一緒に見たがった。

 きっと、僕がいつもバカみたいに笑っていたから、付き合いやすかったんだ。


 当時は、FIFAワールドカップ予選に、僕たちは色めきだっていた。一人で見るより、誰かと盛り上がった方が楽しい。先輩は単にそう思っていたに違いない。

 僕たちは点が入る度、或いは取られる度、興奮し狭いベッドで転げまわった。同じ部屋のルームメイトの迷惑など顧みずに、観客と化した。


 もちろん、それ以上の関係はなかった。

 先輩がノンケなのは知っていたし、その気があるのならゲイなのかどうなのかわからない僕とは、むしろ距離を取るはずだ。

 僕がそうしていたように。


 ゲイにとっての恋愛対象は男。

 異性愛者が、異性と適切な距離を取るのと同じだ。


 先輩が他の高校の女子と付き合っているのも知っていたし、男同士で仲良さげに寮の廊下を歩くやつらを見て、「あいつら付き合ってたりして」と、冗談ぽく笑っていたから、僕もそれに合わせて笑った。


 カミングアウト。告白。そんな事は決してやってはいけない。

 なぜならノンケの男性は特にゲイを嫌うから。


 先輩だってきっと、僕がゲイだと解ったら、離れて行ってしまうに違いなかった。

 そして、僕が学校でゲイバレしてしまったら、間違いなく先輩までそう思われて、辛い思いをさせてしまう。

 僕はノンケの振りをして、どうにか他の学生達に同化しようと努めていた。


 しかし、そんな努力も虚しく、僕たちはいつの間にかゲイカップルに仕立て上げられてしまったのだ。

 自分たちではどうしようもないぐらい、その噂は大きくなり、サッカー部の顧問の先生までもが知る所となった。


「お前、陽人と付き合ってるのか?」と気まずそうに訊ねられ、違うと否定したがその噂が沈静し、日常が戻って来る事はなかった。


 先輩が部活を引退する頃には、噂は更にヒートアップしていて、一度や二度否定したところで、どうにも止める事は出来ない所まで来ていた。

 仲良くやってきたサッカー部の連中も、遠巻きに僕等を白い目で見ながら距離を取り、離れて行く。


 冬のサッカー選手権大会が終わり、1月に部を引退した先輩が、僕の部屋に遊びに来る事はなくなった。


 先輩は卒業するまで、いつもグランドの片隅で、一人でリフティングしていて、僕はその姿を、教室の窓から眺める事しかできなかった。


 先輩が卒業してからの2年間、僕は学校でも寮でも孤立した。少し仲良くなれた後輩がいたとしても、過去の噂が邪魔をして、すぐに離れていく。

 僕とハル先輩はゲイで、そういう関係だったと言う間違った噂は、いつも僕を孤独にし、地獄へと突き落とした。

 

 僕が生まれ育った町は九州の地方都市。

 自宅から少し離れた校区外の私立高校に、僕もスポーツ推薦で入学し、入寮した。

 田舎の小さな町では、こんなセンセーショナルな噂は、あっと言う間に広がってしまう。

 僕はひたすら親の耳に入らないか、地元の友達に知られはしないか、そんな事ばかりにビクビクしながら、学校生活を送っていた。


 卒業したら、誰も知らない街に行こう。

 当事者が消えれば、噂もいつか消えるだろう。

 こんな僕でも、僕らしくいられる場所があるはずだ。

 そんな思いで僕は地元を離れ、東京の調理師専門学校に進んだ。

 調理師を選んだのは、単純に料理に興味があったし、将来は自分で飲食店を経営する事が夢だったからだ。


 一人で好きなように切り盛りすれば、深く人と接する必要がなさそうだったのも魅力的に思えた。

 先に東京の美容専門学校に進んだ先輩を、意識しなかったと言えばウソになる。

 もしかしたらまたいつかどこかで会えるかも知れない。そんな淡い期待はあった。

 だがそんなロマンチックな再会はこれまでなく、上京して6年目の奇跡の再会だった。


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